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2003年06月09日(月) 不安材料

 メル友になりませんか、と云いたくなる。擬似的に頭の回転が速くなったような感覚が楽しいと思うから。彼ほど頭が良いわけじゃなくて、でもそれなりに頭が良くて、思ったように返してくれる。ほんの少し違った答えを返す。それが楽しい。君の方が己を選んでいたら、と考えなくも無い。でもそれでもきっと今と同じ状態に陥っていたんだろう。結局は己自身の問題で、彼らの問題ではないのだから。

 事故の後遺症というのは一体いつ頃出てくるのだろうか。己は醜くて卑怯で、それで彼を縛れないかと一瞬でも本気で考えてしまった。彼はそれでも本当に離れたい時には離れてしまうのだろうけれど。
 首の左側面から肩にかけてが痛いのだがこれが事故の所為なのかそれとも単なる肩こりか分からない。病院に行こうか。


 抱きしめてくれる腕なら他の誰だって良い。今は君しかいないから、他の誰も君を理由に抱きしめてくれないから、己は君以外抱けない。馬鹿馬鹿しい。要するに精神の問題ではないということなのだ。結局は人間は肉体から離れられない。どれだけ精神的恋愛を謳ったところで、肉体関係を結べば浮気だということになる。それがどうした。己は友人とでも寝られる。己が男だったら最低の男になっているだろう。女という肉体のリスクが己を戒めている。それでも一度突き抜けてしまったら、己は感じなくなるだろう。リスクも、モラルも。あるのはただ安堵にも似た快楽のみ。
 人間は肉体だけでも精神だけでも生きていけないのだろうけれど、どちらによりウェイトを置くかということはあるのだろう。それは己の稚さ故なのか、己は肉体の感覚がより高位になる。抱きしめられて好きにならないでいるのは難しい。それでも抱きしめられていないと、抱きしめていないと眠れない。何も考えなくなるまで、限界を超えて気絶するようにでないと眠れない。
 人間として見ていると云ってくれたこと、本当に嬉しかったけど、己は人間として女という属性を捨てられない。決してニュートラルにはなれなくて、意識して己を持っていっているだけ。だから結局のところ己は女として見られたいのかもしれない。そして同時に女として見られるのが嫌で、中性の立場に己を持っていく。その時に人間としてと云われてもやはり何らかの違和感を持つのだろう。矛盾、我儘。でもやはり今まだ己は恋愛とか言うフィルターを通して人間を見ているから、人間にとって性別は捨てきれない要素であるのだろうと思う。男だから、女だからという社会が要求する型、脳の形、肉体という容れ物、精神という主体、その全てが性を持つ。無意識に、意識的に、当然のように。だから切り離せない。そして肉体は容れ物だけれど、主体でもあって、精神と肉体とそのどちらが欠けても己は存在できない。では肉体が主体ならばやはり肉体が属する性に左右されても仕方がないことなのか。
 性差は個人差の一つであると考えることも出来よう。それでも切り取られたその部分はやはり個人差と云うには共通項を持ちすぎている。
 人間の殆どは強制的、洗脳的な異性愛者だと、何かで読んだ。社会が求めるから異性愛を選ぶ。では求められなければ人間はどちらを選ぶのだろうか。



 全てを消耗するなんて馬鹿らしい。でも己は君にそれを求める。己は君だけになってしまったら君を切る。そんな自分は嫌だ。
 そうか、そうなんだ。貴女だけになってしまう前に己は離れたかったのだ。貴女を好きで堪らなくて、貴女自身さえ見えなくなるほどに溺れてしまった己が嫌で、何とかしたかったのかもしれない。それなのに。傲慢で我儘だ、本当に。自分から切るのは楽なんだ、見限ってしまえばいい。他人の心持など本当には理解できないのだから気にしないで、見限ってしまえばいい。でも、見限られるのは嫌だ。まだその人に心がある状態でいきなり無理矢理に奪われる。苦しくて絶えられない。本当に傲慢。


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