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| 2003年04月26日(土) |
大学という場所の己にとっての意味 |
気が付けば早一月が過ぎている。さて、これからどうなることやら。
戻ってきてくれて嬉しかった。この表現は何か間違っている気がするが。ああ、ようやくと云うのが正しいのかもしれない。今年大学生なんて聞くと思わず[若いなぁ]などと呟いてしまうけれども。相変わらずの語り口がこれからどれだけ変わるのか、或いは変わらないのかを、密かに眺めていようと思っている。
大学という場所で己は少なからず変わったと思っている。高校まででは考えられない生活を送っている。根底は何も変わっていないのかもしれない。それでも誰かに愛される喜びというものを知った、それが故の不安も知った。学生の本分は全うできていないかもしれない。でもそれ以上の物を己は此処で得たと思っている。 友人がいないという状況を、普通の人はあまり想像できないだろう。ほんの数人。彼らだけを支えに己は学校に行っていたように思う。そこまで深刻だったかはもう憶えていない。己はあまり頓着しない性質だから、そういうことを気にしていたつもりはない。でも己は淋しさに慣れていたし、一人で過ごす術も知っていた。 今はもう一人が物凄く耐えられなくなって誰かに助けを求めてしまう。それは良くも悪くも他人に依存しているということになるのだろう。
一人で立っていられないんだ。それはあるまじきことだけれど、貴女無しにはもう歩けない。
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