selenographic map
DiaryINDEX|past|will
甘く囁いて、心を溶かして、貴女の誘惑に絡めとられてしまいたい。
貴女を己のものにできたらいいと思う。でも己だけの貴女なんて、その時点でもう貴女ではないのだろうけれど。 離れられないのは寧ろ己のほうだから。貴女を放さないでいるのは己だから。己の所為だから。
己の全てを捧げても思い通りにならない、貴女が好きだから。
夢を見ていた。奇妙に穏やかで明るい夢。
自転車に乗って、街を走っていた。袴姿の己は大正時代の女学生といった風情。茄子紺の飾り布がなびく。誰かの許へと走っているのだ。伴侶の許へ、走っているのだった。弁当を届けに行くのだ。 見慣れない風景と過ぎていくばかりの時間。辿り着けるか不安になって酷く辛くて哀しくて泣きたいような気分。 漸く着いた学校のような場所。あの人の働いている場所で、己が通った場所。 見つけた愛しい人に思わず抱きつく。抱きとめる腕は優しくて穏やか。 憂いは何もかも消えて今は愛しい人の腕の中。
途切れて、揺らめいて、世界が転じる。
いつものように乗った電車の様子がおかしい。 己は周りから浮いた床上10cmのセーラー服。定期券を胸ポケットに入れている。 電車の中はセピア。国民服のカーキー色。地味な紺の和服。少年、少女、老婦人、座り込む疲れた人々。 車掌の来る気配がして酷く慌てた。此処は己の世界ではないのに、持っている定期券は己の世界のものなのだ。見つかったらどうしよう。何を言われるのだろう。何をされるのだろう。 何よりも恐怖が先に立った。 咄嗟に目の前に居た少年に声を掛けた。正確には助けてと取り縋ったのだ。早口に捲くし立て定期券を差し出す。少年は僅かに戸惑いながらも、暴力的な手段に出ることも、叱りつけることも無かった。 ふと視線を流し、一回り小さい少年と目を見交わした。 小さい少年は「この辺りにはボックスが所々空いているから」というようなことを言い、自分の切符を差し出した。それを掌の中に押し付けると、何かの枠に手を書けするりとそれを通り抜けた。それは窓でもなく、扉でもなく、強いて言うならダストシュートのような感じでその先に続くのは地下だと思った。 車掌が来た。少年が庇うように抱きすくめてくれる。顔を埋めていると会話だけが聴こえる。妹なのだと言い張る少年を尋問する車掌の声。不道徳だと喚き散らしている。怯えているのだとか身体が弱いのだとか少年は言う。 不意にやんわりとした婦人の声が割って入った。彼女に宥められたように二人は口を噤んだ。車掌の靴音が遠ざかって、顔を上げるとそこには柔和な老婦人の笑顔があった。大変ねぇ、と彼女は言った。
夢は途切れた。幼い少年は何処へ行ったのか戻ってこない。優しい腕に抱かれて優しい笑顔を向けられて、酷く哀しくなった。
|