ばばさま介護とひとりごと日記
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今私が毎日介護しているばばさまは、主人の母です 彼女は今から6年前に、コタツで手をついて立ち上がろうとして、 大腿骨骨とうを自然骨折しました
最初は、ただ、痛いいたいというだけで、原因もわからず、 ぎっくり腰だろうと思っていたのです。 しかし、一向によくなる様子もなく、公立の病院に入院しました あちこち検査したのですが結局わからずじまい… あげくに、夜中にがさごそ、独り言する人だったので、 大部屋の方々から苦情が…眠れないから何とかしてほしいと… 翌日、歩けないまま、よくなったと言われ強制退院させられました
自宅で、療養していましたが、やはり歩けないので ほかの整形外科に再入院しました そこで、骨とうが、骨折していると原因がわかり 以前の公立の病院に紹介状書いてもらって、再入院になりました 骨とうに金属を入れる手術が行われましたが、足と足の間には 内側に足を入れないようにと、空気袋が置かれていました 体の中心から反対側に足をやると、 せっかく手術した股関節が外れてしまうのだそうです 外れないようになるまでには最低3週間かかります
しかし、手術の麻酔が強かったのか 手術後、ほとんど眠らずおめめはぎんぎん 点滴は振り回し、手術のすぐあとで起き上がろうとするのです 一日、起き上がる角度は10度ずつ上げていくようにと言われていたのに もうそんな問題ではありませんでした とにかくまともではないのです、異常な状態でした 夜も眠らないのですから…… 完全看護のはずの病院からは家族が交代でつくように言われ 3交代で3週間続けました いったいいつまでこうやってついていなくてはいけないのでしょうか?と 看護婦長についに直訴!! しかし相手からはそんなこといったおぼえはないといわれました
翌日からは、家族がついてるのをずっと減らしましたが 2人部屋から、大部屋に移されたとき、またまた問題発生 あまりに騒ぐので、同じ部屋から苦情がきたのです で、また2人部屋に逆戻りでした ところが、その部屋はこれからやる手術患者用の部屋だというのです なんとかお願いして手術用の部屋に置いてもらうようにたのみました 病院としても、ボケの患者は毛嫌いされているようで、 ギリギリまで、尿管をつけたままおかれたのもそのせいでした とにかく早く退院ほしかったようです
やっと退院してきて、1週間がすぎた時…… 布団の上でトンと腰をおろしたとき…今度は反対側を骨折 また病院に逆戻りでした そして、またまた悪夢のような3が月 今度は手術のあとの狂いはずっと少なく… 以前の時は麻酔の量間違えたのではと思えるくらいでした それでも、見えないものが見え、あそこにだれだれが来ているなどと
今回は退院のあとすぐに自宅に帰らず、保健施設でリハビリを兼ねて 3ヶ月の間お世話になることにしました そこでの指導で、廊下に手すりをつけ、ベットを町から借り 受け入れ準備も何とか完了 そして、介護生活が始まりました
寝ていたまま背骨を自然圧迫骨折したり、腰が曲がっているため お腹の皮がくっついているので、毎日ふいてやらないとただれたり 何度話しても理解できず、外に出て行こうとしたり とにかく、毎日が戦いでした ちょっとも油断できないのです ストレスが昂じて、毎日大声で泣き喚き、窓ガラスをたたき タンスの中身を全部出してその辺に広げ、洗濯してくれてありがとうという? そうしてるうちに、急に人をののしりだしたり… 喜怒哀楽がものすごく激しかったです
ボケは他の人にはすごくいい子になりまともに見えます 家族、特に嫁には理性のたががはずれるためかすごい当り方されます だんだん、相手が認識できなくなり、日付もわからず時間も忘れ そして、季節も関係なくなりました 暑いも寒いも関係ないのです この頃は、私は、施設に新しく入ったおばちゃんになったりです でも、そのほうが何をしてあげてもありがとうといわれます ご飯を食べさせてもごちそう様と… 老いは、だれもが通る道…私はどんな道を歩むのか…
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