時間的問題により、かなり早めの更新です
覚えていますか?
いつから、親に甘えなくなったのかを
世間でよく言われる「男の子の方が最初は甘えん坊だ」
多分に漏れなく、俺もその一人だった
懐かしい記憶の底に、
親父の膝に座っていた景色がある
抱えられていた親父の腕の感触がある
肩車からの景色がある
頭の片隅に母親の背中の温もりがある
いつも抱っこされ、抱きついていた小さくて広い背中
一緒の布団、温かく、安堵に包まれ、
読んでもらった絵本の内容、小さな落書き
母親の友達の言葉
「やっぱり、男の子の方が甘えん坊だねぇ」
そんな言葉を聞きながらも、母親に抱きついていた事を覚えている
…あれはいつの事だったのだろうか
今では思い出せない
甘えん坊だった
その事は覚えている
なぜか、家族との思い出を顧みると
いつも甘えている俺が居る
この記憶はかなり前にまで遡る事ができる
一番古い記憶を辿れば、俺がまだ3歳に満たない頃にまで遡る
今の実家に引っ越す前の市営団地の狭い台所
『つまらないつまらない』と思いダダこねる俺を背に、
母親が食事の支度をしている場面
その当時の他の記憶は殆どない
その後作った首の傷のこともミズボウソウの痕の事も覚えていない
ただ、そこに甘える俺とその相手をする両親がいた
不思議な事に、この頃の姉の記憶はあまりない
登場人物は俺・両親だけ
それがなぜなのか、それを知る方法が今、あるのだろうか?
ふと顧みるに、
『俺は甘えなくなったのではない、甘えられなくなったのだ』と思えた
俺の記憶の場面はガラリと変わる
ヒステリックな叫び声を上げ叱る母親
寝巻きのまま、外に追い出され過ごした一夜
恐怖を与えた平手打ち
記憶とは違う冷たい視線を浴びせる父親
全てを止める怒鳴り声
強く握り締められたゲンコツ
その頃は、正直『父親などいない方が良い』と思っていた
確か、小学校低中学年の頃だったと思う
今になって思えば、アレは“シツケ”なのだと理解できる
確かに当時の俺はひどく憎んでいた
高校で空手をやり、肉体的に追い越した時、親父を見下したのは、
そういう気持ちからに違いない
力で勝るようになり、親父の態度が変わったと分かった時、
「情けねぇ、俺はこうはなりたくねぇ」と思ったものだ
虐待などと騒がれる昨今、それでも俺は受けたものを虐待だとは思わない
理由は「そう思えない」からだ、それ以外のものは無い
自分も子供に対して同じ事をするか?と言われたら、
間違いなく「しない」と答えるが、だからと言って両親を責める気は無い
その後、直接的な甘えは無くなった
小学校高学年からは親に何かをしてもらうより、
自分で好き勝手にやっている方が楽しく思えた
世間的にも、コレは普通だと思うが、
毎年ある祭りや花火、初詣・初日の出、プールや海
親と出かけることは無くなった
子供社会にどっぷり浸かる年月、親との関わりが薄れたと誤解し続ける日々
じゃあ、俺は、この子供社会から、いつ、抜け出したのだろうか?
…イヤ、今でもまだ、子供社会の一員なのだろう
親から離れ、同じ者同士でたむろし、時を過ごす
親の援助を受けながらも、自分の事は自分で決める
それを“親の手から離れた”“自分は自立している”と過信している一員
バカだ…、俺はまだまだ子供だ
何が“自分の意志を貫く”なんだ…
親の苦労・気持ちも考えられない自分が、何を…
『愚か』、そんな言葉が俺の中の俺に向けられる
実に、留年する、という事を然程の事だと思っていなかった
“それもまた一つの人生”とさえ思っていた
『浪人時代は、あれはあれで色々経験できた』
『現役で入った連中よりは社会の仕組みに触れる事が出来た』
それがこの思考を成り立たせた定義
そんな気持ちのまま、親に告げる
母親はかなりガクリとうなだれていた
そしてそれを『大げさな、留年なんてよくあることだ』としか
見ていなかった自分
今日、荷物と共に一通の手紙が母親から届く
内容は、「俺の留年の事、それに対しての親の考え」
母親は親父に明かし、意見を求めた、と書かれていた
『ああ、まだ決まったわけじゃないのに…
ってか、卒業するって言ってんじゃん
やるって言ってるんだから、見てろなぁ』
そう思いながら、
親父からの手厳しい言葉が来る事を予想しつつ、読み進める
「お父さんはなんて、答えたと思いますか。
『口では厳しい事を言うけど出来る限りやってやりたい。』
リョーが、自分の努力もしないで招いた結果でも、やってやるのって、
聞いたら、『親だから』と一言、言いました」
母親からは、「アナタは卑怯だ」「ずるい」と書かれていた
「自分の子供が志半ばまで来ているのに、見放すと思う?見放せるか?」
「そういう気持ちを知っていて、こういう事態を招くあなたはずるい」
父親の言葉に、涙が流れた
母親の言葉が、ひどく痛かった
今はただただ、自分を呪う
こんな手紙を書かせた自分を恥じる
俺はただの愚かな子供だった
親の気持ちに感謝し、そのワラを掴む
ここで一句
「親不孝」 この言葉の重さを 量り知る
さぁ、再出発だ
御粗末です
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