2002年10月07日(月) ある日常の風景(合宿の一時)




合宿の時の事です



この合宿、ある冤罪事件をテーマにした勉強会でした

(冤罪:無実の罪)



昭和41年に逮捕、公判により死刑判決を受けた

その死刑囚、いまだ投獄中

既に36年と言う月日を監獄で過ごしていると言うことになる



日本の死刑制度ってヤツはまた難儀なもので、

死刑執行はその日の朝に言い渡され、9時半頃に執行されるらしい

だから、囚人にとって、朝食前の看守の巡回は恐怖そのもの

その足音が自分の監獄の前で止まった時、それが死の予告



死刑囚はこの恐怖をずっと抱え続けるそうだ



基本的に“死”なんてものに疎い俺達にとってその恐怖は計り知れない

恐怖に耐え切れず、自我崩壊を起こす囚人も少なくないそうだ

実に、今回のテーマとなった事件の囚人もその一人



死刑になるほどの罪

殺人・強盗殺人・放火・強姦殺人…

「その恐怖の中で生きろ…それもまた“刑”の一部だ

 お前はそれだけの罪を犯した」



俺はそう思うことは出来ないのだが、まぁ、その気持ちは分かる

そうなる原因を作ったのは、誰でもない、犯罪者だ

まさに“因果応報”だろう…



だけど、無実の罪を着せられ、その恐怖の中に放り出された人は

どうなるんだよ?



人生の半分を監獄で過ごし

気が狂い

息子の顔を見る事も出来ず

ただただ“犯罪者”と後ろ指指される



人並みの幸せがあったであろうその人生

息子の育つ姿に期待を持ったであろうその人生

縁側で若かりし時を顧みる老後を夢見たであろうその人生

様々な出会い、多くの経験を積み、更に磨かれたであろうその人生

『ああ、俺は幸せだった』と言えたかもしれないその人生



そんなある人のその人生を

ドス黒く泥を塗りたくったのは

他でもない国家権力の象徴たる

警察権




この事件、証拠とされているものの殆どに矛盾がある

その矛盾の殆どにある説明をつけると納得がいく



事後的に作られた物



世の中にはまだまだ冤罪が跋扈しています

その中には、事実、本当に罪を犯した人がいるのかもしれない

でも、俺たちが触れたこの事件、事実は明白

誰が見ても、どう考えてもそうなんですよ



『そんな証拠偽造なんて…それも国側が…』



皆そう思うだろう…俺だってそう思う

でもそれは建前、事実は事実としてそこに存在している



捜査する側は

何を胸に抱き、何を守り、何を成すべきなのか

本当に分かっているのだろうか?



俺には国民が納得する結果を出すことだけをしているようにしか見えない

そしてそれを助長しているは誰でもない国民自身なのだと確信を持っている



悲しい事にコレが現実なんですね








この事件の彼は救われるのだろうか…?



この合宿に参加した49名の誰もがそう思ったのではないだろうか?



弁護士サマによる、為になるオハナシの後、教授達が生徒に意見を求める



皆一応に「授業では聞けない有意義なお話をありがとう」と連唱する



…そして、俺の番



「授業では聞けない有意義なお話をありがとう」と言う

そして続ける

「今までに、“冤罪”に関する本を

 授業を通していくつか触れる機会がありました

 その多くは、弁護士の方が書いているせいか、

 検察・警察等の不正や裁判官による誤判に対して

 批判されているのですが、

 一度として“弁護士”に対する批判は見たことがありません

 無実の人を救い出せない弁護士の仕事に批判が無いのが疑問です」

最後に「ありがとうございました」と付け加える

コレが俺の精一杯の皮肉だ



俺の言いたい事を言いのけたのはその後の女性



「コレだけ『この事件は冤罪だ』と言う証拠が揃っているのに

 今だ彼に無罪判決を出させない原因はなんなのですか?」



弁護士が答える…



「この事件の判決を出したのは、法曹界の“権威”たる

 有名な裁判官によるもの

 再審請求は、その判決に対して真っ向から異議を唱える事になる

 皆、それを怖がっている、それが再審の遅れる一つの理由だ」



“権威”による判決、だから覆えし難い

日本はこんなバカな事をまだ言っているんですよ

“人の命”より、“偉い人の判決”が優先されるそうです



“権力”に酔って盲目してんじゃねぇよ、クソじじぃ



今まで、「この事件は冤罪だ」「私は彼を助けたい」と主張していた

この弁護士、明らかに目尻を下げ、バツが悪そうな顔をする



「情けねぇ事言ってんじゃねぇよ」と弁護士を見る視線

「そんなことを聞くなよ」と女生徒を見る視線

その場を支配したのはその二つの視線だった








再審を行うには、被告人が犯人ではないと言う新たな証拠が必要となります

今までの証拠が如何におかしくても、判決はその証拠を採用してしまった

故にそれは覆らない



被告人となったある男性は、新証拠が見つからない限り

“無罪”を勝ち取り、死の恐怖から逃れる事は無い



果たして、36年前の事件の新証拠が、今、見つかるだろうか…

…そう思う自分がいる



そして、弁護側としては、被告人の自我崩壊を理由に

監獄から病院へと移送し、彼を牢屋の外へ出そうとしている

「それが今の弁護活動だ」

二日目に現れた新たな弁護士がこう言った



もう、彼から“犯罪者”を剥ぎ取る作業はしないようだ

『ああ、彼はもう犯罪者から逃れられないのだな…』

…そう思う自分もいる



捜査する側だけではない

弁護する側も、何を成すべきなのか誤解しているだろう?



結局、“彼は救われない”

俺達の疑問の答えの辿り着く場所



今、経済面・司法面・外交面・内政面で大きく揺れ動くこの国

果たして『正しいから』を理由に動く事の出来る社会になるだろうか?



ココで一句



赤報隊 お前等の悔しみ 未だ残る



“勝てば官軍”

いくら正しかろうが、力無くして正義は無い



ああ、くだらねぇよ、ホント

そう思わない?CHILDさん?



御粗末です

INDEX







My追加