2002年09月26日(木) 記憶の中の言葉




正直な話し、ココ最近、全くミスドとのやり取りを行っていなかった

第7章(忘れそうだ)、書きたくても書けなかったんですよ



でだしで、

「付き合いたいとかそういうのではなく…」

とか言っていたが、実に今の俺、段々と本気になってきていた



『本気になってきていた…』



そうなんです、ココ最近、俺は「どうしようか…」と悩んでいた



ブッちゃけ、とっととふっ切れようとさえ最近では考えていた



この間書いた通り、この寒さ、色々な事を思い出させる



以前の辛かった経験…



寂しさに耐えられなくなったこと

逃げ出したくなった事

自分の中途半端さに憤った事



「ああ、自分はどうでもいい君なのか…」

あの言葉、聞いた時のあの感情…



今から4年前、東京に住んでいた頃の事

俺は高校出たてで予備校に通うべく東京へ出た



不幸中の幸いに、特待クラスに入れた事によって

費用は通常の1/5、そしてその残りは働いて自分で出した



その仕事というのは新聞配達



レトロでしょ?



全国紙なら大体やっているんだけど、

『新聞奨学生』なるものがあるんですよ

年間契約で働き、部屋・まかない・そして給料まで貰えるものです



部屋といっても専売所の上にあって

便所も台所も洗濯機を置くスペースすら無い

ホントに寝るだけのものです

便所は共同、食事は食堂、洗濯はラウンドリー、風呂は銭湯



実に部屋のスペース、俺のは2畳!

人が2人寝そべったらイッパイですよ、ハイ

エアコンなんて物など無く、更に窓はかなり小さいのが南に1つ

夏場、室内が40℃超えたのはさすがに驚いた



あの劣悪な環境…正直な話し、監獄でした



仕事の事を少し…



やる事は単純、朝刊・夕刊・勧誘・折込、コレだけです

人によっては集金もあった



ただ過酷であったのは確かです



朝は毎日2:30起き

だから前の日の22:00頃には寝ていた



で、配達です、大体配り出しが3:30位で終わるのが6:30

3時間程度の作業です



時間で見れば大した事は無いんですよ、俺もそう思う



でも実際は上る階段数、一日2000段を超え

自転車での配達、300軒の家に周り距離にして15キロくらい

そしてその重量は全部で100〜150キロくらいかな?

測った事は無いんですけど、かなり重いです

バランスを崩したら支える事なんて到底出来ない、それ位に

紙のくせに生意気なんですよ



で、朝食後、ちょっとしたら予備校



帰ってきた直後に夕刊配達です

朝刊よりかなり楽です、件数も重量も2/3くらい

2時間ほどで終わります



この後は夕飯



で、その後は毎日やる作業ではないんですけど

折込作業っていうのが順番で回ってくる



アレですよ、チラシをまとめるヤツ

それを明日の朝刊全員の分を用意してあげるんです



俺が居た専売所は全部で3000軒くらいのお客さんがいた

当然、用意するのはチラシの束3000個です

平日は良いんですよ、かなり楽

実に2時間半もあれば出来る

ただ週末になると、尋常ではない

4時間も5時間もかかる作業になるなんてざらです



特に正月がヒドイ!

アレは思い出したくも無い…

本紙より折込の方が2倍強厚いんですよ

配達も5〜6時間はかかる

1月1日は新聞配達にとって地獄の日です



その他に勧誘



下げたくもない頭を下げるあのストレス

勿論、取ってくれば給料の他にお金が貰えます



でも、ちょっと思い出してみて下さい

普段、新聞の勧誘が来たらどうします?

冷たくあしらいませんか?

無視しませんか?

不快感をあらわに無愛想に応対しませんか?

勿論、そんな人ばかりではなかったですよ



俺、一度、玄関先で1時間弱待たされた事があったんです

そうまでしても、取ってこなくちゃならないんです



ノルマ…あります

実際、俺たちの立場から言えば、配達を増やしたくなんてないんですよ

自分の作業の手間が増えるんだから当然です

だけど、このノルマを達成せず、配達件数を減らすと

『拡張員』と呼ばれるプロが勧誘をするんですよ



よく、「窓ガラスを割られた」とか「ヤクザみたいな奴が来た」とか

アレがそうです、新聞取らせるためには手段を選びません

警察沙汰も何度かありました



それでも件数増やす為には専売所も雇う事にしちゃうんですよ



で、その後の嫌味やら冷たい視線やらを受けるのは俺達末端



そういう事になりたくなかったら自分達で増やすしかない

そういうことです



こんな生活をしていました

実にやる事が決まっていたので1日があっという間に終わっていきます

気付けば疲労と眠気だけが残っている生活

コレが俺の19歳の頃の記憶です



ご想像通り非常にハードです、配る地域によりけりですけど

この頃の体脂肪率4%、コレにも驚いた



そうは言うものの、慣れと要領が伴えば誰にでも出来ると思ってます

夏になった頃には苦とは感じてなかったから



でも、そこまでいくまではしんどかった、本当に…



3月下旬、配達を始めてから1・2週間

予備校はまだ始まっていなく、そして友人達もまだ出てきていない



寂しかった



1日があっという間に終わっていく



夕食が食べ終わった頃には浮腫みきった足



寝なければと分かっていても生活がついて行かず眠れない



同じ世代の人達は10人ほど居ました

でも、「お互いに明日の仕事がある」「今日の疲れが残っている」

そう考えると、夜出かけようなんて考えられなかった



淡々と過ぎていく日々



慣れない配達作業に何度も繰り返す失敗



「辛いんだ」なんて言っても社会がそれを認める事はない



毎日毎日、叱られ、罵られ、侮辱され、蔑まられ…



責任を背負っているプレッシャー



それとは見合わない器量



始めた頃の俺、本当にまいっていた

正直、地元に逃げたかった



そんな頃、友人の中では一番に東京に出てきたのが第1章のコ

この頃、この女性しか目に入っていなかった



中学から仲の良い2人



たまには相手の部屋に遊びに行く事もあった



その頃、そのコには彼氏がいた

高3の時に付き合いだした彼氏だった

その彼氏、俺の部の後輩で赤の他人というわけではなかったが

彼氏のいないところであっている事に罪悪感はなかった



と言うよりも、むしろ「奪い取ってやろう」…、そう考えていた

だけど行動を起こせない俺はただただ別れるの待っているだけだった



そんな俺にとって

彼女と二人きりで過ごしている時間が唯一無二の時だった



…4月初旬



何度目かの訪問



二人だけの時間が過ぎていく



辛酸を嘗めさせられた受験の頃の話



彼女の大学生活の話



俺の仕事の話



二人だけの時間が過ぎていく…



そんなときに“彼氏”からの電話

俺は息を潜めその電話が終わるのを待つ

罪悪感は無くとも、やっている事が良い事ではないのは分かっていた



俺は声を発せず何かをしていた

何かをしていたのだけど、意識はどうしてもその電話の会話へと傾く



「え?どうして?」と彼女は言う

「うん、いるよ、何で?」

「そんなんじゃないって…」



『あっ、誰か居る事には気付いたんだな…』と俺は思う

会話は続く…10分…20分…

そして聞こえてきた



「そう、どうでもいい君」



その電話、確か40分間くらいだったと思う

俺はその間、彼女の言葉を反芻していた



「そう、どうでもいい君」

「そう、どうでもいい君」

「そう、どうでもいい君」



「ああ、自分はどうでもいい君なのか…」



武蔵小金井のプラットホームで一人、高円寺へ戻る電車を待つ

その時、そう答えを出した



「彼女の中では俺はどうでもいい奴だった」

「勝手に俺一人が空回りをしていただけだったんだ」

「俺は彼女にとってなんだったのか、知って悲しかった」



今も思い返すとホントに苦い経験だったなぁと思う

この頃の俺にとって致命傷もいいとこでした

もう何に対しても無気力

行く前にはとことん浮かれていたのが帰ってきたら死人

無様…その言葉に尽きますね



って言うかさ、甘えていたんだわ、そのコに

甘えさせてくれるから夢見ちったわけだ

逃げ場があったから飛び込んだ…そういう事です



彼女と付き合えればすべてが上手く行く



本気でそう思っていた



それからはと言うと、彼女の事を吹っ切るので精一杯

初めて持った携帯の番号も意地になって教えなかったり

3日に1回は打っていたメールも出さなくなったり

自分は自分で楽しもうと遊びに出かけたり…

大嫌いなカラオケに行くようになったのもこの頃でした



罪悪感がなかった、と言うのは

実はその頃には男女として本番まで行かずとも色々やってたんです

罪悪感、無かったんじゃなく無くなっていた



変な期待を持っていたのも分かるでしょ?



そういうコだったです



俺が浮気を嫌うのも彼女が原因

彼女、この後も浮気を重ねました



8月の日記に書いた

あの教室で「キスして」と言った女の子の5年後の姿です



そしてあの言葉を聞いた1ヵ月後くらいだったかな?

彼女は俺の期待だった通り、彼氏と別れた

バカだと思うだろうけど、俺はそんな彼女を慰めにまたその部屋へ行った



世間では夏休みが始まった頃…



彼女は家の都合により、大学を辞め、実家へと戻って行った



東京で会ったのは、慰めに行った時が最後

俺はこの後、他の女性でまた痛い目にあう

色々な事が宙ぶらりんのまま、またもや受験に失敗

契約が終了し、俺の新聞配達生活が終わった



彼女とどうなったかと言うと、

次の春、色々と遊びに出かけた

エッチィ事もしていたが、肉体関係まではいかなかった



その後、俺に『彼女』ができ、その年の冬まで会わない期間が続く

その間、彼女は元彼と元鞘へ戻る



翌年の春、『彼女』との別れ、大学合格

彼女もまた、彼氏と再度別れる



そしてその夏、肉体関係へ



でも結局、「付き合う」事は無かった

俺の中2からの恋愛はこんな遍歴を持つ

浮き、そして沈み…色々あったわ…



勿論、今でも会ってます、友人としてね

実家の飲み友達の一人ですよ

そういや、あの夏以来、男として会った事はないなぁ



まさに良くも悪くも色んな経験を与えてくれました

憎んだ事なんて数知れず

それでも感謝しています



受験前の冬、急に彼女に連れて行かれた豚カツ屋さん、美味しかったぁ…



ココで一句



お礼より 杯傾け 笑いあう



そう言えば、話の路線がいつの間にかこちらに変わっていたっけ!

ミスドとの事はまた後ほど



彼女に感謝しているのは間違いないんですけど、

あの後の秋に、アイツ、行方不明になったんですよ!

親・友人巻き込んで、そりゃあもう大騒ぎ

あの時の事は腹立ったな!



長々と…



御粗末です

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