妻が転院した病院は埼京線戸田公園の駅近くにあります。戸田というと「戸田競艇場」があって税収面で戸田市を潤しているということですが、その戸田競艇場は荒川近くの「戸田漕艇場」の西端にあります。漕艇競技のメッカ戸田漕艇場は幻の1940年の東京オリンピックの漕艇競技場として、また荒川の治水対策として作られたのだそうです。1964年東京オリンピックで漕艇競技のメイン会場となりました。2020では有明に新しい競技場が作られるようです。
漕艇・ボートと荒川の水利を利用したスポーツが盛んな戸田ですが、江戸時代には中山道の戸田の渡しがありました。江戸防衛のため荒川には橋を掛けなかったのです。この戸田の渡し場には、寛保2年(1742年)には3艘の舟が、天保13年(1842年)には13艘の舟が渡しを行っていたとのことです。戸田の渡しは「板橋宿」と「蕨宿」の間にあります。江戸出発後の最初の難所であったと思われます。
下の写真は戸田の堤防沿いにある戸田渡し場跡の石碑です。不便な場所にあるのですが、妻が入院している病院からは歩いて行ける範囲でした。
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