KENの日記
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2018年03月02日(金) 韓国の「独立運動記念日」

3月1日は韓国の「独立運動記念日(Independence Movement Day)」でした。 3月1日は1919年1月に亡くなられた李氏朝鮮王国国王「高宗」の葬儀3月3日に向けて、現在のソウルを中心に起こった独立運動を記念する記念日です。韓国の文在寅大統領は日本に向けてかなり踏み込んだ批判を行いました。

現在の政治は横に置いて切っ掛けとなった「国王高宗」について少し調べてみましたの記録しておきます。高宗は1852年生まれで1863年に11歳で李氏朝鮮26代国王に即位しました。日本の明治維新の数年前です。1897年日清戦争後に李氏朝鮮王国が「清」からの独立が確認されたことにより大韓帝国の初代皇帝となります。1910年の韓国併合以降は大日本帝国の王族となりました。「高宗」は朝鮮半島から日本の明治時代から大正時代前半を見ていたことになります。

明治になって日本では「征韓論争」が交わされ「西南戦争」に発展しました。そもそも「高宗」の実父「興宣大院君」が幼い「高宗」に代わって政権中枢に座り、強硬な「鎖国政策」を採用して日本との国交を断絶しようとしたことが発端です。大院君の政策は明治政府が「西郷」を失うことの原因となりました。

「高宗」の皇后は「閔妃」です。大院君を除いて政権を握った「閔妃」は「清」と接近します。1884年朝鮮の改革を目指す「金玉均」等は閔政権打倒を目指して甲申政変
を起こしますが「清」国軍に敗れ日本に逃避しました。日本では佐野市の「須永元」などが支援しました。

1895年4月日本は日清戦争に勝利し下関条約を締結します。「清」の後ろ盾を失った「閔妃」はロシアに接近しようとします。そして日本領事館も関わったとされる「閔妃」暗殺事件が発生します。日本は隣の独立国の王妃を暗殺するという前代未聞のテロ行為を行いました。1905年日路戦争に勝利した日本は大韓帝国を保護国化し、1910に韓国併合へと突き進みます。

これだけ見ても韓国(朝鮮)と日本の摩擦は大変なものです。NHKで「西郷どん」を放送中ですが、西郷隆盛を「朝鮮問題」で失ったことは日本の大きな損失だったと思います。




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