| 2002年05月01日(水) |
スリランカ・日本外交樹立50周年 |
ことしは、1952年4月28日にスリランカと日本が外交を樹立してから50年目にあたります。これを記念していろいろな催しが企画されいます。まずこの4月26日は50周年を記念するセミナーがコロンボで開かれました。引き続いて四月末に国会議員団をスリランカを訪れ、今後の二国間の協調関係が議論されました。こちらの新聞等で報道された「スリランカ・日本関係」をすこし紹介します。
日本とスリランカの関係は西暦7世紀日本の仏教僧がスリランカを訪れ、アルナダプーラで修行をしたことに始まるそうです。僧の名は「Amoga Vajira」といって大乗仏教の僧だそうです。この話ははじめて聞いたので、これから少し調べてみたいと思います。
外交樹立を記念して、両国で(スリランカ:富士山の図柄、日本:シギリヤ壁画の図柄)で記念切手が発行されるほか、9月25日から東京でスリランカ文化を紹介する「スリランカ週間」が開催されます。また、スリランカから二頭の象が日本にプレゼントされ、この二頭は日本からクロアチアに再寄贈されるそうです。この二頭の名前は「Mihindu」「Kumari」といって、コロンボ郊外の「象の孤児院」で育てられていた象です。
最後に、かつて日本人にとって非常に重要な出来事があったことを書きたいと思います。それは、第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和会議でのスリランカ政府代表のジャヤワルデナセイロン代表(当時、後のスリランカ大統領)の演説のことです。
この和平会議では日本を独立国として認めるか、それとも自由を制限するべきかという根本的対立があり議論が紛糾しました。しかし、以下のジャヤワルデナが引用した仏陀の言葉に集約される彼の考え方が、会議の方向性を決めたといっても過言ではないようです。
曰く「Hatred ceases not by hatred but by love.」(怨みは怨みを返すことで癒させるのではなく愛で癒される)。
日本は第二次世界大戦においてアジア諸国に大きな損害(日本軍はスリランカのトリンコマーレ軍港を爆撃しました)を与えました。しかしサンフランシスコ和平会議で独立国としての「自由」を与えられ、その後奇跡的な復活を遂げることができました。この日本の経済発展を考える時、このジャヤワルデナの演説が与えた日本社会への影響の大きさを痛感せざるを得ません。
私は幸運にもスリランカで働く機会をえたからには、これを肝に銘じて働きたいと思っています。またより多くの人に知ってもらいたいし、次の世代にも受け継いでいきたいと思っています。
スリランカは停戦中の内戦が最終解決に向け動き出そうとしています。長い内戦の影響で社会・文化・経済面での立ち遅れは非常に重大ですが、希望が見えてきました。いまこそ50年前の「恩」を返す時だと思っています。
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