ハニワ在ル...はにわーる

 

 

Pure or Easy? - 2004年10月23日(土)

今日は現役メタル祭り、PURE ROCK JAPAN。

先だってはハードロック同窓会でスパークかまし、
さらに当代流行の式神でもなけりゃ、
今やマシンガーでもなくなりつつあるワシだが、
現役メタルに興味がないわけではない。

しかしそこに集う人々に愕然。
15年前と同じ格好、下手すりゃ同じ服。
見た目で判断できるレベルで、疎まれるのはやっぱり必然だ。

ワタシは仕事柄メタルとかの嫌いな人に囲まれているので、
そこではこんなライヴに出入りしていること自体絶ッッッ対に内緒。

好きなんだから堂々とすればいいんだが、
何故メタルとそのファンが疎まれるのかも自分なりに分かるし、
ワタシもいわゆるメタオタはヤバいと思うので、
そこに対して反論はなく。

しか自分は疎まれる人種と違うと思っていても
そういう意志はえてして他人に伝わらないし、態度の如何を問わず
必ず不利な状況になるのは分かっているので、あえて隠している。


なんでヤバいと思うかちょっとマジメに語ろう。

過剰にリアルか過剰に嘘くさいか、
ロックの価値観はそういうところにあると思っている。
過剰でなければ歌謡曲の範疇を出ない。微妙だけどね。

例えばサンボマスターが
『あんたが誰かは関係ないが、そのぬくもりに用がある』と
絶叫するのは、知らぬ者同士がが集まって
知り合い以上の密接なコミュニケーションを生む
ライヴハウスの風景をリアルに言い当てていたりするし、

例えば椎名林檎の出来上がりすぎて
実体感のないビジュアルと物語として綴られる言葉は、
嘘っぽくなるほどロックとしての色艶を増していく。
さらに言えば、虚構であればあるほど
アーティストの内面に近づいていったりする。

余談だが、希にこの両方を成し得るアーティストがいて
ワタシはそれをザ・イエロー・モンキーだったんじゃないかと思っている。
個人的な思い入れではなくね。

さて思うに、メタルとそのファンがイタいのは
多くがその両方から目を背け、歌謡曲にもなりきれず
中途半端に甘んじているからではないかと。

例えばリアルな洞察の深さがない。
共感できない価値観を未だに保持しようとする。
虚構を楽しむ知性がない。
いや、存在自体は虚構のようなものだが、
それを虚として受け入れ、客観化しきれていない。

拳を突き上げて陶酔する弱さを自覚できていない。
この痛々しさときたら、疎まれるどころか
もはや憐憫の対象でさえある。

イタいってのは便利だからワシも良く使ってしまうが
よく考えたらとんでもない侮蔑だ。
それでも言わざるを得ない。

現実から逃げ、偽りの力を誇示するもののファンファーレ。
これは逃避であり虚ろなものであると
自覚して楽しんでいるのはほんの一握りだと思うし、
ワシも胸を張ってその一握りのほうだと言えるかは微妙だ。

ワシは昔それに気づいてメタルから離れたが、
マシンガンズをきっかけに戻ってきた。
そこでマシンガンズが多少なりカッコよかったのは
ある程度現実に目が向いていたからだ。

現実と乖離した、しかし虚構としても不完全な
そんな世界観を自ら手放す賢さがあったからこそ、
“カッコ悪さ”を極めるカッコよさを手に入れていた。

でも今や奴さんも(以下略


前置きが長くなった。
じゃーアンタはメタルが嫌いで
今日のイベント楽しくなかったんかい、と訊かれれば


そりゃーもう楽しかった。


普段忘れてたさっきみたいなことを
いろいろ考えてしまうくらい、好かった。

アタマではいろいろ解ってるけど、
やっぱりこの音楽に魅かれるところがある。

それで、今日のイベントを観てたら
“いつかカッコよくてイタくないメタルが現れる”
って、信じられそうな気がしたんだよ。

絶滅危惧種の若メタルしんたろ&ミッチー、
今日はいなかったけど、Syu。
どうか懐古趣味に染まったりしないで。

そして、easyに拳を掲げて強くなったつもりになるよりも
もっとpureに内面的な強さへ目を向けようとしている(よね?)
アニキ&アニイ、応援します。


それにしてもアニイ驚いたー。てげカッコいいんだもん。



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