Air - 2003年10月02日(木) 帰りに友達に会おうとハチ公の方に回ったら、 文庫タワーの前で新装刊の某音楽雑誌の店頭販売が。 いや、トイレットペーパーでも売ってるのかと思ったよ。 「今なら○○がついてお買い得ー」 「きっとあなたの好きなアーティストが見つかりまーす」 「立ち読みだけでも結構でーす」 「今この機会に是非お求めくださーい」 エプロン姿で雑誌片手に懸命な呼び込み。 でも、売ってるのは音楽ジャーナリズムなんだぜ。 まぁオオゲサに、オオゲサに言えばだよ。 カッコとか気にしたらいけないんだけどさ、 でもワシが「好きなアーティスト載ってても買わねぇ」と 思ってしまったわけなんだから、きっとそこには 魅力が減ってしまうなにかがあったんだよ。 数日前になるが、9月の末に会社の人と呑みに行った。 あんまり部署で仕事以外のコミュニケーションを取らないので、 「ストレス溜めてるだろー」と思った他部署の社員が 契約社員とワシを連れ出してくれたのであるが。 ワシは会社に対してストレスなんて全然溜まらない。 時給換算300円台、時間外労働月200時間、 家族経営のせいで人間関係最悪の前職からしたら、 どこだって天国だろうよ。 だから「大変でしょう、なんでも言っていいよ」 なんて言われたって、ここで愚痴ることもないすよ。 だって会社にワタシからの不満はないんです。 ワシみたいな足りないヤツを間違いでも拾ってくれて、 あまつさえ前よりもいい環境で働かせてくれて。 なにより、生きる支えである 音楽の傍で働くことができるようにしてくれた。 それだけで充分だ。むしろもったいないくらい。 パンサは「Air」をして 「空気のように傍にある存在こそ大切にせよ」と言ったけど。 ワシにとってそれは音楽だ。 残念ながらこの歳にして、恋愛のカタチで 身近な人間にそれを見出すことは成らなかった。 音楽がそれを上回る必要性を以って ワタシの中に決然と存在してしまったから。 それならばそれに尽くせるこの仕事の なんと幸せなことよ。 帰り道に、そんなことを思いながら 「Air」を聴いていたらなんだか涙が出た。 ワシには、音楽があるじゃないか。 たぶん、叩き売られてる雑誌を買えなかったのは、 そこにある「音楽」への敬意の希薄さ。 ワシもそれを、知らず忘れていることはあるかもしれないけど。 ココで気づいたから、もう、忘れたくない。 -
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文投げる |