ハニワ在ル...はにわーる

 

 

ばーちゃん - 2003年09月15日(月)

去年は触れなかったが、
9月15日は亡くなった父方の祖母の命日。

ワシの尊敬して止まない人はこのばーちゃんなのである。



明治の終わる直前、
ワシの田舎のなかでもさらに田舎の地区の
多分結構貧しい農家にばーちゃんは生まれた。
8人兄弟の3番目とかだったらしい。

ばーちゃんは亡くなる直前、
うわ言で兄弟の名を呼んでいたそうだ。
兄弟の面倒を見ながら家の手伝いばかりしていた
その様子を思い出していたらしかった。

学校の先生のお手伝いをするほどのできる子だったが、
勉強ができるだけで「女のくせに」と言われる時代でもあった。
ちなみに、ばーちゃんは先生のお手伝いをするのも
あまり気が進まなかったそうである。曰く、
「放課後残ると家の手伝いができないから」…。


ほとんどの女子が小学校だけ出て結婚していく環境で、
向学心の強かったばーちゃんは苦学しながら
県庁のある町の看護学校を出て、看護婦になった。

写真を見ると、当時の看護婦の制服も
パフスリーブにロングスカートでなかなか素敵だ(笑

それでもばーちゃんはもっと勉強したかったらしく。
後年になってから、はにわーるにも
「とにかく勉強はできるだけしておけ」と
ことあるごとに言っていた。


きっと自分も大学に行って思うまま学びたかったのだ。

ワシの地元は封建主義が根強く、ばーちゃん世代では
男尊女卑の考え方が当たり前にまかり通っていた。

ちなみにワシが4年制大学に進んだ数年前(←?)でさえ
「女の子なのに4大?」とばーちゃんに言ったお方があったそうな。
←満面の笑みで「ええそうですよ♪」と返したらしい♪


勉強したい。
…世が世なら難なく叶っただろう夢なのに。



祖母が亡くなったときワシは20歳になったばかりだった。

ワシに「成人式の晴れ着を作ってやる」とこだわっていたが、
それでも「そのお金で車の免許を取って行動範囲を広げたい」
と言うとちゃんとわかってくれた。

もともと自分が年寄りになってからも
「年寄りの言うことより若い人の新しい考えを信頼する」
と言い切れる頭の柔らかい人であった。

自分以外には、すくなくともワシらには
そりゃー優しいばーちゃんであったが。

自分のこととなると、とにかく
意志が強くプライドが高く、ギリギリまで
他人の手をわずらわせないことにこだわって、
身体が痛くても痛いとも言わないような人だった。



意志が弱くヘタレ性のワシだ。
歳を取るにつれどんどん
ばーちゃんを尊敬する気持ちが強くなっている。

Anchangに魅かれたのも、
きっとばーちゃんと同じことだ。
この2人はどこか似てる。

ばーちゃんみたいなばーちゃんになりたいが、
若いときにもっと苦労しないとそりゃダメだろ。
んにゃーまだまだである。


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