Sale e Pepe  panna


MAIL HOME PHOTO DIARY BBS

過去 目次 未来

giugno:幸せ恐怖症     2003年06月01日(日)

早いものでもう6月である。3月末に引越して来て、2ヶ月が過ぎて行った。
慌ただしいような、淡々としていたような。
沢山の事をしたような、何も出来なかったような。
日記を読み返すと恋愛にうつつを抜かしていたように見えるが、まぁ、それはそうなんだけど、そればかりではないのである(弱)。

とりあえず、悲しんだり落ち込んだりしながらも毎日は楽しく(どっちやねん)、東京にいた頃の生活に比べればかなり精神的に安定している。
約束は覆されて当たり前、物事は上手く行かなくて当たり前、そんな数年間を過ごしていたので、なんだか余りに順調すぎるように感じて薄気味悪くなる時があるほどである。

当たり前に続く平穏な生活や未来というものをイメージしにくい体質なのかもしれない。そんなのはテレビドラマの中や他人の家庭にしか存在しないものだとどこかで思っている。
自分が不幸だ、可哀想だなどとは思わなかったが、欲求や要求は満たされず、叶わないのが当たり前だと子供の頃から諦めている。
彼はどうやらそうではないらしく、自分がしたい事はする。自分の意志で道をつけてそこを歩いて行くのが当然だと思っているようで、とても羨ましい。
家族の仲もいいし、お父様を尊敬している、と言っていた。
私は自分の家族に暖かいイメージを持った事などないし、それどころか家族とは一体なんなのか明確なイメージが持てない。
結婚をした時は、私は自分が育ったのとは全く違った家庭を作りたいと思っていた。私の母のような母にはなりたくないと。
なりたくないとは言っても、逆にどういう母になりたいのかイメージ出来た訳でもなく。
母になるより先に、私は私にならなくてはいけなかったのに。

「今」を凌いで行くので精一杯で、「これから」どうしたいかまだ考え倦ねている。
流されるのではなく、流れを感じながら自分の足で歩いて行ったり、泳いだりする事が果たして私に出来るのか。

「幸せ恐怖症」という言葉を目にした。以前は、自分は人一倍幸せを求めていると思っていたので私には関係がない、と気にもしていなかった。
でももしかしたらその気があるのかもしれない。
私がこのまま彼とうまく行って、一緒に生きていければきっととても幸せだろうと思う。
なのにその幸せをイメージした途端に思考が停止し、怖くなる事がある。
どうやったら魔法は解けるのか。

喉につかえたりんごを、どうか。吐き出してしまえるように。

***********************************

びっくりした。今日は会えないと思っていたらブツ(謎)を届けに夕方ちょこっと来てくれた。う〜ん、子供に邪魔されてくっつけなかったのが残念無念。
私は好きになった人がタイプになってしまうので、彼は私にとって今最高に素敵な人。あぁどうしよう。ドキドキ。

幸せを怖がらないようにしよう。彼と並んで歩いて行こう。誰よりも幸せになってやろう。






My追加



Design by shie*Delicate Erotic
thanks for HTML→HP WAZA !