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長電話     2003年02月28日(金)

久々に友達と電話で話した。メールではたびたび連絡を取っていたが、肉声を聞くのは約4ヶ月半ぶり。
この友人はバンド仲間(笑)である。他のメンバーが堅実で常識人(当社比)なのに対し、彼女と私は何故か誤った道(特にオトコ関係)を歩みやすい。
「私達は傷を舐めあってるよね」と今日も笑ったのだが、一体その原因は何処にあるんだろうと考え込んでしまう。
彼女と私は性格は全く違う。人に与える印象も違うだろうし(強い女だと思われがちなところは共通するかな?)、実際内に持っているものも違う。しかし物事の感じ方、受け止め方が似ている。そして脆弱なポイントが似ているのだと思う。
彼女が今日言ったのは、私たちが二人とも幼い頃の経験が似ているのだと言うこと。彼女は社長令嬢(!)で私はビンボ人の子供であるが、幼い頃に親の愛情を身をもって感じることが出来なかったおばあちゃん子である。それぞれに事情は違えども、幼い頃の私たちは甘えること、わがままを言うことが上手に出来ない子供だったようだ。
そういう事を言い訳にしてしまうと何でもアリになってしまう部分もあるのであまり言いたくはないけれど、妙に納得してしまった。

「要するに私たちはさ、愛に飢えてるんだよ」

彼女は一時期怪しかった事もあったが(爆)、結局は優等生というポジションからずれる事がなかったのも同じ。
自分の存在をありのままで受け止めてもらっている、という実感が希薄だったのだ。
だから恋愛においても、その他全てにおいても、本当に私は認めてもらっているのだろうか、愛されているのだろうか?と常に焦燥感、不安がつきまとう。
多くを求め過ぎているのかもしれない。100%受け入れてもらいたいという渇きはなかなか癒されるものではない。

「私たちに必要なのは3歳児に戻る事だよ」

甘え方がわからない、でも甘やかされたい。全てを許されたい。何も言わずに抱き締めて、背中をさすり髪を撫でてくれるようなそんな腕を必要としている。
けれど自分がそこまでしてもらえるほどの存在だと思える自信はない。
安定した恋愛をできる人っていうのはやはりご両親を見ると愛されて育ったんだろうな、と推測されるような人が多い気がする。
愛されるという事に根本的な自信があるんだろうと思う。
その自信がないと、愛情が欲しいばかりに与え過ぎてしまう。そうすると甘えたいはずが甘えを許す立場になってしまう、それも一方的に。
三十路を過ぎないとそんな事に気が付かないとはなんとも情けない限りだが、高い授業料を払ってこれから何を得られるのだろうか?
はじめに与えられた愛情が続くと考えるのはやはり幻想なのかしら。
私はせっかく一緒になったならば愛情は殖やし続けたいと考えていたけれど、水も肥料も与えられずに一人で自生できるほど強くはないのだ。

さて、これから彼女と私はどんな人生を歩む事やら(含笑)。






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