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No-Mark Stall *




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不動の紫。 | 2008年06月24日(火)
音を立てぬよう静かに入室したクリスは、寝台の上ですやすや寝入っている親友を心配げに一瞥し、その傍から離れぬ男を睨みつけた。
並の男であれば即座に席を立ってその場を去るような迫力があったが、どこか気配がぼんやりとしている印象を受ける黒髪の青年の注意はひたすらひとりに向けられており、彼女の視線をさらりと受け流す。
憤然としながら椅子を引っ張り出し、彼の向かい側に据えたクリスは、息に音を乗せて静かに問いかける。
「シアシェは」
「見ての通り眠っている」
滅多なことでは揺らがない静かな紫の双眸に、珍しくクリスでも分かるほどの感情が湛えられていた。
彼らの心配を知ることもなくぐっすりと眠りを貪っている親友の額をつつき、クリスは嘆息する。
「まったく困ったものね」
彼女の独り言にアスは応えない。ただ無言で彼女の目覚めを待っている。
まぁ分かりやすいこと、とクリスは胸中で溜息をついた。一口に魔物といってもその形態は様々で、精神のありようも種族によって全く異なるということは認識していた彼女だが、自らの僕にはこれだけの一途さはあるまいと思うと、案外薄情な竜への苛立ちまで募ってくる。
それともこれは種族の性質というより彼個人の性格に因るものかしらとつまらないことに思考を巡らせたところで我に返り、現在の一方的にクリスが気まずい状況になっている大元の原因であるシアシェを恨みがましく見つめた。
「あとどのくらいで目を覚ますと思う?」
「起こそうと思えばいつでも。ただあと半日は休息を取らせるべきだろう」
「起きたあとだるそうね、それは」
既に丸一日は眠っているだろう親友が起きた後こぼすだろう愚痴を思い、クリスは小さく笑みを刷く。
実際シアシェの心身にかかった負荷は相当のものだろう。クリスどころかおそらくはアルガでさえ見たこともないだろう複雑な魔術の制御を補助の杖なしで行ったのだから。あれを暴走させずに上手く収束させるなどおそらくクリスには無理だ。
自分と彼女は持っている能力そのものが違うということは分かっており、自分にしか出来ないことがあるように彼女にしか出来ないことはあるのだと知ってはいるが、何事にも負けず嫌いなクリスはどこか悔しさに似たものを感じていた。制御に長けるシアシェですら寝込むほどの負荷がかかった魔術を行ってみたいとは思わないが、竜王の歌姫として完成されるにはいずれは辿り着かねばならない境地だろう。
しばらく心配げに親友を見下ろしていたクリスだが、うん、とひとつ頷いて立ち上がった。
「そろそろ私は行くわ。目が覚めたら教えてちょうだい。いいこと、すぐによ」
「……」
ふいと視線をそらしたアスに、これは自分で様子を見に来なくては駄目だろうということを悟り、彼女は大きく溜息をついた。
意趣返しというつもりでもないが悪戯心が不意にわきあがり、シアシェの前髪をかきあげて素早くキスをひとつ落とす。彼に独り占めさせてなるものか。
アスの顔があからさまに歪む。にやりと令嬢にあるまじきはしたない笑みを浮かべ、クリスはそそくさと退散した。

閉まっていくドアを見つめ、どこか憮然とした顔つきをしていたアスはシアシェに視線を戻してしばらく考え込んだ。
その表情のまま乱されていた前髪を元の通り整えてやり、閉ざされている瞼にそっと口付ける。唇はそのまま頬に触れ首元に触れ、腕を取って掌と爪の先にまで流れていく。
「……あす、くすぐったい」
むずかるように体をよじり、目を覚ましたシアシェが眉根を寄せて彼を見上げた。
一日見ていなかっただけでひどく懐かしい気分になる藍色の瞳を瞬きも惜しんでじっと見つめる。恋しげな熱をはらむ紫の瞳とは対照的に咎めるような彼女の視線に、彼は軽く肩を竦めた。
「……」
そうして落とされた謝罪代わりの頬への口付けに、彼女は彼の額をびしと弾いて抗議した。どうやらこれでは許してくれないらしい。
「もう少し寝ていると良い」
「ほっといてくれれば寝てたかたら」
もともと寝起きが悪いこともあるのだろうが、すっかり彼女の機嫌を損ねたらしい。元々感情の振幅が少ない娘だが、それだけに傍目に分かるほどの不機嫌はとりなすのが難しい。
むくれる彼女の手に自らの指を絡め、空いた手で宥めるように髪を撫でた。
「……」
ぽすぽすと枕を叩き、シアシェが何事かを彼に訴える。アスは首を傾げたがすぐにそれを了承し、珍しく笑みを見せた。次の瞬間には彼を大きく立ち上がった影が飲み込み、猫にしては大きく虎にしては小さな体躯の猫科の動物が中空から突然現れしなやかに着地する。
漆黒のそれはひょいと寝台に飛び乗ると首をもたげたシアシェの下にするりと入り込み、彼女はその腹に頭を預けて目を閉じた。
シアシェがもっと幼い頃にはよくこのように枕になってやったが久々だな、と猫の姿を取ったアスは昔を懐かしみ、これで彼女の機嫌が良くなるならば安いものだと鷹揚な彼らしい判断をくだしてぱたりとひとつ満足げに尾を揺らした。


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シアシェは特殊能力はないけどそこそこ器用という設定。
そもそものコンセプトが特別な力のない子、普通なら脇役に回されるタイプ、というアレです。練ってくうちに余計な設定が多少つきましたが。
脇を固めるクリスとニーナ(アニティア)は一芸特化。そしてこの子たちのがよほど王道の主役っぽいキャラ付けになっております。がんばれシアシェ油断してると出番食われるぞ。

ぱっと思いついた文句からアスなんですがタイトルからえらい外れた感じです。
いちゃつきシーンを書きなれようと思ってがんばってみましたがやっぱりむずむずする。いたたまれない。読む分にはまったく平気ですが書くとなると落ち着かない。
written by MitukiHome
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