中島らもと父 |
私の大好きな中島らもさんが亡くなったと、聞いた。 らもさんの本と出会ったのは、小学6年生頃。 初めて読んだ本は「変!!」という本だった。 題名に引かれてなんとなく買って以来、私はらもさんが好きになった。 らもさんは、なんとなく、その時何年も会っていなかった私の父親と同じ匂いがした。 父親とらもさんはまったく同じような青春を生きた人だ。 ちょっと違うのは、学生運動の時代に、父親は火炎瓶を投げていた人間の一人だが、らもさんは投げていなかった人間の一人だったということくらい。 父は、らもさんをさらに過激にしたような人間だったので、私は父に会うと、いつも緊張していた。 父はとても優しく、フレンドリーな人間だが、フレンドリー過ぎて、心をズカズカ見透かすようで怖かったのだ。 らもさんは、その父をもっと謙虚にしたような人に見えて、私はらもさんに、父親の影を見ていたのかもしれない。 だけど、そのことに気づくのはだいぶ後になってから。 私は父が苦手だ。 とても好きなのだけど、彼と何年かぶりに会おうということになった時、待ち合わせの喫茶店で一人、緊張して泣いてしまうほどに苦手なのだ。 それは、大人になった今でも。 私は、今まで生きてきて、あの人ほど鋭く、頭が良すぎて、変わっていて、純粋な人を知らない。 それは、未だに母や叔母達も口にするほど。 とても良い人なんだ。とても良い人過ぎて、人の為にひと肌脱ぐ事にためらいがなく、何度もコテンパンに裏切られて、まっとうな道からどんどん離れていって、おっさんになった今、話をするのも辛いくらい、「人を信じる」ということに対して理路整然とした言葉でそれを否定するような人だ。 それが経験に基づいた正論であるがゆえに、思わず、納得させられそうになるくらい。 だから、私は父が苦手だ。 私が生きて、築きあげてきたくだらない綺麗事が、足元から崩されそうになる。 綺麗事の中で生きていたほうが、幸せなのに、現実を見せられそうになって怖い。 でも、その父と、唯一、気楽に話せたのが中島らもさんの話だった。 私と父は、何年も連絡も取らず、何年も離れて暮らしていたのに、中島らも好きという面は、偶然にも共通していた。 私はらもさんに父親の影を、父親はらもさんに、青春の影とカタルシスを感じていた。 親子であるがゆえの共通の趣味。 私は青春時代、らもさんの本を書店で見つけるたびに自動的に買ってしまうようなほどらもさんの本を貪り読み、らもさんに、脳味噌の半分くらいを鍛えられた。 らもさんはまさに、私の「父親」だった。 父は、私がそんな思いでらもさんの本を読んでいた事知らなかっただろう。 私も、ずっと気づかなかった。 父と再会するその日まで。 父と再会して、父とらもさんの話をしている時、私は何故、らもさんの文章に魅かれるのか、解った気がした。 好きだけど近づけない父を、らもさんと重ねていたのだ。 なんだか、複雑だった。 知らないうちに、私はちゃんと父に似た感性に育てられていたという、自分の子供としての勘に、自分で感心するような、片親でもちっとも寂しく思った事はないけど、どこかでやはり父を求めていて、だけどあくまで「父そのもの」ではなく、「父に似た感性」に魅かれてしまった自分の子供らしい切なさと。 子供の頃から、本当は父親を求めていたのかもしれない。 父親が再婚して、私に義理の妹ができて、ママンと私と、父と再婚相手の人と、義妹と、5人で会った時(家はそういうのをまったく気にしない関係だった。再婚相手の人は私をかわいがってくれたし、再婚相手とママンも特に仲が悪いわけではなかった。)、父に、 「ほらリカ、妹の舞ちゃんやで。パパに似てかわいいやろ。」 と言われても、私はその子をかわいいなんて思えなかった。 ヤキモチを焼いていたのだ。 父親に、なんの臆面もなく甘える義妹が、そして父親の前に出ると緊張して何も話せなくなる自分が、憎たらしかった。 ずっと、近づきたかったんだ。 近づきたくて、近づけない状態をずっと長く作ってしまって、大人になって父と同じように話せるようになった今も、会うことを躊躇ってしまい、また何年も連絡をとっていない状態だ。
相変わらず、私はらもさんの本を書店で見ると、自動的に買ってしまう。 らもさんは、私の青春の父であると同時に、父との絆の象徴でもあった。 その、らもさんが亡くなってしまった。 らもさんが亡くなった昨日の夜、「バンド・オブ・ザ・ナイト」を読み終えた所だった。 私は、親子関係からの勝手な執着心も混ざっていたファンだったが、とても、悲しい。 らもさんは生前に書いたエッセイで、 「葬式の時、悪口で盛り上がるような憎たらしいじいさんになりたい」 といったような事を書いてらした(うろ覚え)ので、今夜は、酒でも飲みながら、らもさんの本を読み、 「馬鹿な事書きやがって」 と一人悪口でも言いながら、らもさんの冥福を祈ろう。
追記: 自分の中でいろいろ考えすぎてずっと書けなかった父親の話を、らもさんの訃報をきっかけに、吐き出すように書けて、少しスッキリした。 複雑な気持ちだが、らもさんは、きっと、「今日の天使」だったに違いない。 死ぬ時まで、私に父親らしい事を残していきやがった。 ちくしょう。ありがとう。親父。
|
2004年07月28日(水)
|
|