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2004年12月27日(月) 今年も年の瀬。あたしゃも少し背が欲しい

こんばんは。玉川カルテットです。

るる家のほほえましくも、母子のかけひきも命がけといった感のあるクリスマスも終わり、
おやびんがあれだけ大騒ぎしといて黙り込んでいるところをみると
結果は散々だっと思われる有馬記念も終わり、
世の中はどっぷり年末である。

毎年思う。
1年は早いと。
確かにダンナも早かった。過去形かよ。

その年末に私は歯が痛い。
すっかり腫れ上がっている。腹が。いつもだ。ほっとけ。

M-1も予想どおりアンタッチャブルが優勝したし、
私の年末年始の楽しみといったら
ボビーがK-1で勝てるかどうかということと、
正月の「初笑いうるとら寄席」に昭和のいる・こいるが出るかどうかということだけだ。

あ、あと小学校の時の同窓会が2日にある。
4年ほど前に一度した時は、
中学の時に転校し、親の仕事の都合で転居を繰り返した私の住所を
一生懸命調べてくれて同窓会のお知らせを送ってくれた。
会場に行ったときは、幹事の女の子が
「来てくれたーーーー」と泣き出してしまい、
それがうれしくて私も泣き出し、
さながら「あの人に会いたい」状態だった。
徳光さんがその場にいたら絶対泣いていたと思う。
そんなことがあったので、
今回はさぼと驚きもしなかったのだが、
私はお知らせが来て次の日にすぐ返事を出した。

「出席します。今度はおとなしくしておきます」

そう。前の時はうれしさのあまり、酒を飲みまくり、
3クラス合同だったので二次会に30人ほどいた元同級生たちに
「あんた、昔きれいやったのにすっかり老けたねえ」とか
「相変わらず足、短いねえ」とか
「頭の上に乗せてるものはとろろこんぶか?」とか
男女問わずまんべんなくからみまくり、
その上恩師とチークダンスも踊った。
どうやってウチに帰ったかも記憶にない。

そんな私に今回もよくお知らせを届けてくれたものだ。
離れてるんで黙ってりゃわからないものを。
また暴れてほしいってことか?

仕方ない。
期待にこたえてやっぱり暴れてやるか。

3回目の招待状は来ないだろうが......。

何を生き急ぐ、わし。




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