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2004年03月01日(月) 私が日記をサボらなかった理由

3月です。早いものですね。今年もあと残すところ10ヶ月になりました。こんばんは。あゆです。

るるんちのたっきーちゃんももうすぐ1粘性。ねばねばしてるのかよ。
おめでとうさんだ。
ついでに言うのではないが、ゆみなんちの末のお嬢もみごと希望校に合格し、もうすぐ高校1年生だ。おめでとうさん。
負けず嫌いで言うのではないが、ウチの次女ももうすぐ高校1年生だ。この次女は、るるんちの慈英クンのように「うちのお父さんとお母さんは、毎晩ぼくたちが寝たあとに鍛えてるんだよ。ウォーウォーいって」なんて他人様に言った過去はない。
しかし、それは次女が保育園時代のことだった。その頃はまだ旦那のことをあまりケチだと思っていなかった私は、子供たちが寝たあと、たまには夫婦で鍛えることもあった。るるんとこみたいに毎晩じゃないけど。ある夜、鍛えていたところ、眠ったと思ってた次女がそっと寝室のドアを開けた。わしらはアワテテ布団に隠れた。その様子をじっと見ていた次女は一言、

「やっぱり...」

と言って開けたときと同じようにそっとドアを閉めて自室に戻っていった。

その言葉はその日、今ではすっかりケチで有名になった旦那に、夜8時くらいから、「りなちゃんもう寝たら?」と何回も何回も言われたことを受けた言葉だった。
次女よ、オマエは幼い頃から人間の本能を察する能力があったのか。
それとも、そんなに執拗に「寝たら?」と言われたのが腹立たしかったのか。今となっては謎である。
まさか今になって「あん時、どういうつもりだったんよ」と聞くわけにもいかない。

だけど、よく考えると、るるんちに関しては、慈英クンが幼稚園時代に「ウォーウォー」言って鍛えていたときにたっきーちゃんが製造されたと思われ。

さすがに昨日のるるの日記のオチに私が食いつかない筈もなく、長い前置きになってしまった。前置きだったのかよ。

何が言いたいのかというと、
私がフリーになったということだ。
フリーになったと言っても離婚したわけではない。そうだったらどんなにうれしいか。
仕事がフリーになったのである。
まあ、率直に言うとクビだ。垂直に言うとクギだ。
景気が上向きの兆候であるという政府の発表とは裏腹に
まだまだ苦しい会社はたくさんあるし、ウチの会社もそのひとつであった。
まあ色々あって、1本いくらという契約性にすることにした。
だからもう、痔、群馬、浅香光代、おとうさんの話はここには出てこないだろう。ネタが減るのが残念だ。
痔とは、たまには焼き鳥食いにに行こうという約束をしているのだが。敢えて鳥インフルエンザに挑戦する痔に乾杯。

今までこんなおばはんを辛抱強く雇ってくれたボスに感謝したい。

そして、今回の件の「色々」の部分にこの男が、いっちょうかんでいる...ということだけは言っておこう。


と、言うわけで今日から私は
パチンコをしながらの職探しの日々である。
パチンコ初日は1,000円で確変で当たり、5連荘しながらそのあと950回ハマり、やっと当たったと思ったら単発でその出ダマも飲まれるという
前途多難な今後を象徴しているような結果であった。

しかし、私が今、一番心が重いのは、


24時間こいつと一緒にいる...ということである。




だから今日、私は日記を書いた。





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