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「りゃ!」の歴史は存外に古い。
紀元前七世紀、以前から反目しあっていた、 古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国が、 龍宮場一帯の覇権を巡って全面戦争に突入。 その戦いに際して、 オマールエビ帝国の将軍イセエビッチと 同じくアムールガイ王国の将軍アワビデウスのとった 「玉手箱作戦」はあまりに有名であるが、 その名に象徴されるとおりの過度の長期戦により、 両国は以後3千年の長きにわたって、 殺戮と略奪と侵略の歴史を繰り返すこととなった。 これが世にいう、 「3千年も経てば誰も発端なんか覚えてないだろ戦争 (以後、覚えてないだろ戦争とする)」 である。 「りゃ!」は「覚えてないだろ戦争」の終盤、 まさに戦況が最終局面にさしかかった紀元前四世紀、 実に唐突に歴史の表舞台に姿を現す。 「りゃ!」の名を世に知らしめた世界初の書物、 「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」には、 記念すべき瞬間について、こう書かれている。 『その夜、「りゃ!」は戦場に忽然と姿を見せた。 登場の瞬間を見たもの誰一人としてはなく、 しかしはたと気がつけば明らかに異形の三名が、 紫、緑、赤茶色の衣服にそれぞれ身を包み、 激しく互いのあげあしを取りあいながら、 我こそが「清楚な奥様大将軍」の地位に就くものであると、 かがり火の下で果てなき言い争いを繰り広げていた。 兵士たちは、未知の生物でも見るかのように、 しばし彼らを遠巻きに眺めていた。 やがて月が真上にのぼった頃、口々につぶやく兵士の声が、 さざなみのように夜の戦場に広がりはじめた。 「だめだこりゃ」「だめだこりゃ」「だめだこりゃ」 かくして彼らの名は定められた。 「りゃ!」 (「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」 第123巻上の中の下の下の下より)』 ちなみにその100年後に記された、 もう一方の戦の当事国「アムールガイ王国」の歴史書、 「アムールガイ王国の盛衰とソースの秘訣」では、 名前の由来として3人の頭文字説を採用しているが、 以降の彼らの破滅的な行動を鑑みるに、筆者としては、 やはり「だめだこりゃ」説を強く支持したいところである。 さて、こうして突如現れた「りゃ!」は、 その正体も目的も明かさぬまま、 古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国の間を、 何度も往復していたとされる。 彼らは、あくまで中立の立場を主張し、 時にはふんどし姿になって身の潔白を証明しながら、 古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国それぞれの軍に、 「お題による戦況報告制度」 「兵士達へ100の質問」 「行き場のない軍人チャット」 「困った時の30の質問」 「幻のチケット作成」 「伝説の0727夏の宴」 など、実に多くの提案を行い、また実行に移した。 その成果については、 「画期的かつ大成功であった」 というものから、 「自分たちばかりが大喜びをして不発に終わった」 とするものまで今に至っても激しく評価は分かれる。 ただし唯一、かの有名な「伝説の0727夏の宴」に関しては、 後世の歴史家すべてが「破格」と判断し、 歴史書においても、 『狂ったように打楽器を打ち鳴らすものあり。 血を流さんばかりに唄うものあり。 四肢すべてを使いて踊り狂うものあり。 ただ杯をひたすらあおるものあり。 遠く北国へ伝書鳩飛ばすものあり。 骸の如くバタリと地面に倒れ伏すものあり。 まさに正気にあらざる騒乱の夜。 (「アムールガイ王国の盛衰とソースの秘訣」 第549巻下の中の上の並より)』 などと記され、すでに歴史的評価は定まり、 今後も覆ることはないとされている。 やがて彼らは、その意味不明な活躍によって それぞれ時の王の目にとまることとなった。 長引く戦争により国土は疲弊し、 国民の不満はつのるばかりであったこの頃、 終戦を密かに模索していた両国の王が、 その仲立ちとして「りゃ!」に白羽の矢をたて、 秘密文書を託したのだ。 俗にいう「ひとつよろしく文書」である。 雨の日も風の日も猛暑にも嵐の日にも、 彼らはその「ひとつよろしく文書」を運び続けたとされる。 時には懐にいれ、 また時には背中にくくり、 あるいは頭に巻いて、 時に眠さでふらふらになりながら、 二日酔いでゲロゲロしながら、 関所でライターを没収されながら、 それでも平和を望む強い心で必死に運び続けた彼らの行為を 尊いものとして両国国民と国王は称えた。 彼らの献身的な姿をもとに、 「♪えんやこりゃ えんやこりゃ 野を越え 山越え えんやこりゃ 今日も明日も えんやこりゃ」 という歌がうまれ民衆に支持されたことは、 すでに広く知られるところであろう。 そして半年後、彼らの努力と苦労が、 3千年のバカみたいな長きにわたる戦争を、 ついに終結に導いたのである。 その瞬間、両国の兵士と国民が入り乱れ、 あらゆる町が喜びと歓声に包まれた。 「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」はいう。 『人々は訪れた平和を心より味わわんと、 誰彼の区別なく酒と料理をふるまい、 天空に向かいて「りゃ!」の名を連呼し、 唄い、踊り、夜になりても眠るものなく、 まるで一時に太陽が三つ、月が五つのぼり、 星が朝も昼も輝くようなさまであった。 この歓喜の宴は2年半続いた。 (「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」 第203巻中の中の中の下の上より)』 2年半ってバカか、こいつら。 いや、バカなのである。 バカであるから、2年半の騒ぎの間に、 英雄「りゃ!」が姿を消していることに人々は気づかなかった。 2年半にわたる酔いがさめ、ふと気づけば、 「りゃ!」の姿はどこにも見当たらなかったのである。 彼らは現れた時と同じように、忽然と姿を消していた。 人々は今更ながら慌てふためき、 両国の王は驚くほど多額の懸賞金をかけて3人の行方を探したが、 とうとう彼らの姿を目にしたものはその後一人たりとも現れなかった。 かくして呆然とする人々の手に、 「りゃ!」の3人が命がけで運んだ 「ひとつよろしく文書」だけが、 平和の重みを伴ってずっしりと残された。 その数、17000枚。 やがて「ひとつよろしく文書」を記念して、 両国国民の間に書簡のやりとりが爆発的に流行。 のちに『交換日記』と呼ばれるそれは、 「りゃ!」と「ひとつよろしく文書」を称えるものとして、 17000という中途半端な数字を神聖化し、 後世の交換日記文化に多大なる影響を残すことになる。 つまるところ、そのせいで数千年後の今、 私が「17000HIT記念」とかいって、 こんな中途半端な時期にかり出されて せっせと日記書いているわけである。 もちろん、私としてもこの「交換日記の祖」に対し、 尊敬と敬愛の念は忘れたことはない。 その証として、「りゃ!」の人々が立ち去る前、 「ひとつよろしく文書」のすみに隠すように残したとされる、 今や交換日記界で聖句とさえ呼ばれている言葉を ひっそりとここに記して終わりたい。 「オマールとアムールは似てるようで似てない」
rya
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