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ウミガメの産卵は可愛いけど、
ウミガメが便器にはまったら笑えるね。 皆さんこんばんわ。あなたのゆみなです。 どなたの? 最近、どうもシモネタ(便)系が多く、 私のことを誤解してる人も多かろう少なかろうじゃ困る。 って意味が通じない。 「多かろう」で終わらせねばならないのに、 指が勝手に動いてしまう哀しい性。 (「哀しい性」 実はマイブームだったりして。) あ、「みのる」じゃないから。みのるが私のマイブームだったら大変だ。 てか、みのるって誰? で、なんだっけ? あ、そうそう。シモネタ系だったね。 るるは私の日記を「羞恥と引き換え」という これぞ”言い得て妙”というべく言葉で評していたが、 では「羞恥」とはなにか。 ここでつぶさに検証してみたいと思う。 「羞恥」 恥ずかしく思う気持ち。恥じらいの感情。(広辞苑より) 恥ずかしく思う気持ち? まずここで私は首を捻る。 捻りすぎて痛いぞ。首。 残念ながら私は便話(べんばなし)を全然恥ずかしいと思わないのである。 私にとって「恥ずかしい」と思うのは、 実は(みのるではない。あ、もういいですか)もう一つのシモネタ系の方が たまらなく恥ずかしいのである。 今、こうしてそのことを思い浮かべて書いてることすら恥ずかしい。 思い浮かべるな。わし。 次に「恥じらいの感情」 「恥じらい」を広辞苑で調べてみた。 「恥らうこと」と書いてある。 なんだ。それ。それでも広辞苑か。 だからその「恥らう」とは何だ。 と、ついツッコミをいれたくなったぞ。広辞苑。 「相手の対応や周りの様子などによって恥ずかしそうな素振りをすること」 これが広辞苑による「恥らう」だった。 これを読む限り、どのように説明したらいいか相当困ってるとみた。広辞苑も。 「そのくらい調べなくても解るだろうよ。」 とでも言いたげな感じが手に取るようにわかる。 あ、また話がずれてしまった。 つまり私にはその「恥じらいの感情」とやらも欠如してるらしい。 自分の日記を読む限り、全然恥ずかしそうじゃないし。私。 むしろ嬉々として書いてるじゃないか。 良いのか、それで。いや、良くない。 早い結論だ。 一応、私も女である。 これからはシモネタ色を払拭し、 ”ニューユミナ”として生まれ変わろうと思う。 るるはニューハーフだけど。 手始めに、「あゆの大竹しのぶ煮」について書こうと思う。 どんな煮物だ。 「似」だよ。似。 実際にあゆに会ったことがある私が断言しよう。 似てる。 確かにあゆは大竹しのぶだ。 大人なんだか子供なんだかハッキリしろという顔。 童顔にもほどがあるぞ。と思うくらいの幼さ。 それに拍車をかけてるのが、あの背の低さであろう。 夜中に歩いてると補導されるのではないかと 何度ヒヤヒヤしたことか。 しかし、大人なんだか子供なんだか判らない人というのは、 世の中にはけっこう多い。 その代表ともいえるのが、 そう。もうお判りだろう。 筑波大の小田晋教授だ。 あのメガネ。あの前髪。あの声。 大人かよ。子供かよ。 いや大学教授なのだから、 大人の中でも一流の大人なんだろう。 いつもイッパシなこと言ってるし、難しい話してるし。 でもなぜかその風貌によって、どんな堅い内容の話題でも 「うんうん。そうだよね。晋ちゃん。」 と相槌を打ちたくなってしまうのだ。 私は小田晋教授を 『キングオブ大人なんだか子供なんだか。』 に認定した。たった今。 とここまで書いて、便系でなくてもなんとか書けそうな気がしてきた。 あゆにはネタの宝庫「ユキちゃん」がいるし、 るるはるるで、「ネタがないネタ」でずいぶん引っ張ってるし、 私から便系をとったら何が残るか心配だったが、 あった。 「マヌケ」だ。「マヌケネタ」があった。 これからは、 「そんなこと考えて何が楽しいんだよネタ」で書いていくとしよう。 人間、何かを失っても次が見つかるものだ。 今日の日記は、なんとタメになる日記だったのかと我ながら驚いてる。 小田晋教授に分析してもらったら、 「人は何かを失う度に成長していくのです」 と、甲高い声で言われそうだ。 いつまで続くかは分からないが 本日、私は宣言しよう。 さよなら。便・・・
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