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2004年01月19日(月)
自分に足りないがんばり

早大が授業料全額免除−入試で上位91人の学生─サンスポ.com

オリバー・カーン来日会見、日本にエール─日刊スポーツ.com


早稲田大学蹴球部4年生WTBインタビューより

吉永:めちゃくちゃ勉強したよなー。俺なんか中学の勉強から始めたもん

※吉永は一浪して早稲田へ。吉永だけに限らず、「めちゃくちゃ勉強したよなー」と自信を持って言えるがんばりって、すごいなと思う。各方面で力を出している人って、例え一時期だけにしても、皆何かにめちゃくちゃがんばっている時期がある。そういうがんばりや粘り、精神的な強さに憧れると同時に、それが自分に足りないと思う。

昨年の青山先生の授業でも、マイケル・シェイボンの発表のときは粘りが足りなかったと思って、今でも悔やんでいる。次のアン・ビーティではもっと粘ったつもりだが、それでも釈然としないものが残っている。もっともっとがんばれば、もっともっとちゃんとできただろうにと思う。それは、発表がうまくできたかどうかではなく、自分の中で精一杯やったかどうかの満足度という意味だ。「あの時はめちゃくちゃがんばった!」と言い切れない自分が悔しい。

文学の解釈には正解がないから、結果はこうであるとはっきり言えないし、正反対の解釈があっても間違いではないけれど、訳文や自分の考えを表現するにあたって、最大限の力を出し切ってがんばったかどうかの判断はつく。

言葉は難しいものだから、言いたいことと、言っていることがイコールにならない場合もあるし、そこで誤解を生むことも多々ある。特にネット上ではそういうことが非常に多い。私は感覚人間で、好き嫌いで判断することが多いから、それに惑わされてしまうのがどうもいけないとは思うのだが、シェイボンは好きな作家だったし、だから余計に悔やまれる。

青山先生に「一番好きな作家は誰ですか?」と訊ねたところ、「もう好きも嫌いもない」というお答えだった。そうか、そうなんだ・・・私はまだ青いなと思った次第。けれども、もともとの職業柄、自分の感覚はやはり大事。自分の感覚を信じてこれまでやってきたわけだから、美術と文学の違いはあっても、そう簡単には崩すことのできない直感でもあるから、好き嫌いなく・・・というのは非常に難しい。


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