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2003年06月06日(金)
マイケル・カニンガム

昨日、授業のあとに大学図書館で、次回の課題のテキスト「White Angel」を読んでいたら、最後にぐぐっときて、公衆の面前で泣いてしまった。目が疲れたふりをしてハンカチで押さえていたのだけれど、ちょっと恥ずかしかった。

マイケル・カニンガムは、今上映されている映画『めぐりあう時間たち』の原作者として話題になっているが、映画も観ていないし、原作『めぐりあう時間たち─三人のダロウェイ夫人』も読んでいない。別の長編『この世の果ての家』も読み始めた(開いた)ばかりで、この短編を読んで、そうか、こういう作風なのかと初めて知った次第。

「White Angel」を読んでいる間に、この短編の登場人物と『この世の果ての家』の登場人物の名前が同じということに気づき、あれ?と思っていたのだが、家に帰って『この世の果ての家』の解説を読んだら、この「White Angel」は『この世の果ての家』の一部だとあった。なるほど、本当だ!
「White Angel」は、「悲惨な死亡事故が起こり、おまけに墓場でセックスとドラッグにあけくれる子供たちが出てくるような話」であるとカニンガム自身が言っているのだが、どうしてなかなか繊細で、じわじわ感動するということではなく、ある一点に急に胸が熱くなるといった感じ。

解説によれば、長編『Home at the End of the World』より先に、この短編が「New Yorker」に発表されて話題になり、長編のほうが出来上がってもいないうちから騒がれたらしい。なるほどこれは短編だからこそいいとも言えるかも。長編の中の一部分として流して読んでいたら、繊細な心の動きに気が付かなかったかもしれない。気が付いたとしても、涙が出るほど感動はしなかったかもしれないなあと思うと、短編もいいものだ、短編だからこそ輝きを放つ話もあるのだと再認識した。

また、マイケル・カニンガムはゲイである。ゲイであるがゆえの女性の心の捉え方などが、受け入れられる要因かもしれないなと思った。映画のほうは、観た女性はみな「良かった」と言うが、男性は「う〜ん」という反応で、「女性にしかわからないだろうな、ニコール・キッドマンは良かったけどね・・・」といった感じ。泣いてしまった短編も、主人公は少年だが、少年の兄のガールフレンドの心情を思った時に、ぐぐっと来てしまった。

「White Angel」を読んだ限りでは、英文も癖がなくて読みやすく、『この世の果ての家』も、全部原文で読んだほうがいいかもしれないと思った。機会があれば、原文で通して読んでみたい。


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