のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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米国でのビジネスに追われ、久々の日本出張です。 歳のせいでしょうか、最近は日本に来る度に、 その街並みの変化に驚かされます。
特にここ数年の品川駅周辺と新橋汐留エリアの 変化の速さは目を見張るものがあります。
「えっ! こんなところにこんな大きなビルがあったっけ?」 なんて会話がしょっちゅうです。
羽田空港へ向かう際に利用した浜松町からのモノレールとは まるで違う近代的な「ゆりかもめ」に乗って着いたお台場周辺の 埋め立て開発を見た時にも、本当にここが昔々に父親とはぜ釣りに来た 「お台場」と同じ場所かと我が目を疑いました。
今回の日本出張で動き回った汐留エリアには 広い地下通路で繋がった新しい高層ビルが何本も建ち、 新しいホテルが3つも増え、電通や共同通信、日本テレビや資生堂等々誰でも知っている大手企業の近代的なオフィスがその機能美を競っていました。
かつての「新橋駅前」のイメージとは様変わりです。
国鉄(これ死語ですか?)は、今までとんでもない都内の一等地を車両置き場に 使っていたんですネ〜と再認識。
思い起こせば、東京最初の高層ビルであった霞ヶ関ビルが出来たときは大変な騒ぎでした。
観光名所となり、なんてまあ高いビルだろうと感じたものですが、現在では普通のオフィスビルのひとつになってしまいました。
新宿西口の浄水場が消え、超高層の住友ビルが出来た時には 最上階展望フロアーへのエレベーターに長い列が出来たのを覚えています。
今 ぎっしりと立ち並ぶ数十本の高層ビル群を眺めて、 あの頃のことがほんのチョット前の様に感じられるのは、 私が長く海外に暮らしたことによる「浦島太郎現象」なのか、 単に私が歳をとっただけなのか・・・・
街がきれいになるのは良いことですね。
古い町の思い出は そこに生活した古い人々の記憶にだけ残ればそれで良いのでしょう。
省線と呼ばれた山手線のこげ茶色の車両から見た雑然とした 新宿駅周辺の景色は、まるで別の場所の風体ですが、 私の中ではちゃんと今の景色に重なります。
遠い昔に汐留周辺で青春時代を過ごした方々の目に 今の近代的なシオサイトがどううつるのか、 是非一度聞いてみたいと感じながら新橋駅前、いや「シオサイト」をあとにしました。
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