一言で「恋愛」といっても、国や経済や企業や家族といった抽象的な概念と同じく、その内容はさまざまである、ということは事実として知っていた。
のですが。。
ここまで内容がバラエティに富んでいるというのがわかってきたのは、ここ1年くらいのことである。
私の「恋愛」に関する個人的な体験とそれを起点として広がるイメージは常に、抽象的な表現ではあるけれども、流動的な遊戯、のようなものである。円形が基本的な関係のかたちであって、時々その円がなだらかに形を変える。楕円形になったり三角になったり。
で、その変形の程度と速度がなだらかであるが故にお互いがリラックスできて、というか、逆に言えば、その変形のなだらかさの程度と速度についてお互いに了解できていることこそが、信頼や親密さを意味している、というか。
そこに悲しみや切なさは、ほんのりと微かに混入しているにはしているけれども、それらは部分であって、全体を占めることは無い。また、悲惨さだとか苦しみといった重度の負の感情は含まれていない。もしもそれらが表出化してきたとすればその時はもはや終了の合図、という了解もまたお互いにできている、というか。
そんな風な幼稚で気楽な恋愛観を持つ人間だからなのでありましょう、、殴られたり蹴られたりして鼻血を出したり顔が変形したにも関わらず、「一緒にいたい」だとか「やり直したい」だとか思う人たちが存在している、という事実は、非常に非常に衝撃的であった。。
そういう人たちがいるということを、私はまったく知らなかったのである、ほんの1年くらい前まで。。
ああ、なんたる無知よ。。
っていうか、