要するに「人間関係とは相互作用的であって、同じ人であっても相手によって反応は変化するものである」という“前提”を共有できていない人と話すと、疲れるな、というお話でありますです。
Aさんは、「渡辺さん(仮名)はイヤな人なんです」「渡辺さんは妙な態度をとるので気分が悪いです」と、暗い・イヤそうなトーンで、私に訴えかけてくる。
で、次に、「なので、なおサンも渡辺さんには気をつけたほうが良いですよ」というような感じで、Aさんが「そう感じたこと」と同じような感情を、私が渡辺氏に対して持つことを勧めてくるのである。
まぁ、こういうのって、きっとAさんは「忠告」をしてくれているのだな、と考えて、次の作業に進むのが正解だとは思う。(そのほうが余計なことに使う時間が減るし。)
(あ、でも、「事が重大な場合」は、伝えるべきだとは思いますよ、例えばの話、特定の誰かが変質者だということを知っていたのに、それを知らずにその変質者と付き合っている人などには、警察沙汰になる前に、言ったほうがいいとは思いまする。)
のであるが、たまにどうしても通り過ぎることができないときがあって、そういうときって、直感として「あ、仲間に引き込まれようとしているんだな。。」という感じがする。。
Aさんの言うところの「渡辺さん(仮名)はイヤな人なんです」というのは、あくまで“発言者であるAさんにとって”「渡辺さんはイヤ人なんです」になるし、「渡辺さんは妙な態度をとるので気分が悪いです」というのも同じく、“発言者であるAさんにとって”「渡辺さんは妙な態度をとるので気分が悪いです」になるワケである。
うーん。なんていうか、聞いていると、もしかするとAさんは、誰に対しても同じ態度をとるのが優れた人間である、とか(これを「個人的な理想・目標」として実践するのは素晴らしいコトでありますが、それを接する相手全てに「押し付ける」のはちと違いますよね、ふむ。。)、人によって態度を変える人、というか、より正確には、自分が望ましいとは思わない態度を相手にとられるのは嫌なものです、と言っているようにも聞こえてくる。
まぁ、要するに、この場合におけるAさんの主張は、「渡辺さんのAさんに対する行動・発言」を軸として展開されているのであって、結局は、「自分のこと」を話しているのである。なので、「過剰な一般化」のように思えてきてしまって、なんだかな、と思えてくるのでありますです、はい。
さらに考えを進めてみれば、渡辺さんは“相手がAさんだからこそ”そういう態度・発言をしているかもしれないのである。
極端な例を出すと、「痴漢くん」という重病の方々が世の中にはおられるが、病気かつ低脳である「痴漢くん」であってもさえも、相手を選んで痴漢行為をはたらいているのである。そういう賢さだけはお持ちのようなのである。仮に、彼ら低脳軍団が相手を選ばずに無差別に痴漢行為を連発しているとするのならば、「痴漢くん」という種族はいとも簡単に滅びてしまうでありましょう。(この意味では、彼らのさらなる「低脳化」を望みますし、何なら私を狙ってくれても構わないぞ、と思いまする、身包み剥がしてぶち込んで差し上げますので。うふw)
ということで、だらだらと書いてしまいましたが、要するに、Aさん、私のことをあなたと同類だと思い込むのは自由であるし、渡辺さんはあなたに対してはそういう人なのかもしれないが、私に対しては違うので、感情の押し付けはご遠慮くださいな、と思った、という日記でありました。。(今日はチャンスを逃したけど、もう1回やられたら、これ言おうと思う。)