(以下、Mixi日記より引用。)
「キミ」
http://homepage2.nifty.com/joshi/0412.html#050116
今これだけ話しているのに、まだ明日も会って話したいという態度にあきれつつ、要はさびしいんだなこいつは、と思った。本当に、情けないほど甘えている。
私はその彼に対して、「キミ」とか「アナタ」などと呼びかける癖がついているのだが、話しているうちに、彼は「キミ」と呼ばれるのが実は不快だということを白状した。
それならそうと早く言ってくれればよかったのに、と私は言いつつ、なぜ彼をキミと呼んでしまい、彼はそれが嫌なのだろうか、と考えた。
おそらく彼と私の関係では、私のほうが完全にお姉さんというか、お母さんのような立場だから、キミと呼んでしまうのだ。とにかく、どう考えても男気があるのは私のほうだ。
彼がキミと呼ばれるのを嫌がるのは、そのことを感じつつも、認めたくないからなのではないか。
だったら、キミなんて呼ばれないくらいの男気を身につけろ、と思ったが、飲み込んだ。
世の中は、男気あふれる女と、女々しい男の組み合わせで成り立っているのでは、と思うほど、この手の話はよく耳にする。
男気のある男になかなかお目にかかれないのも去ることながら、自分の男気のなさに気づいていない男が多すぎるのは、もう少しなんとかできないものかと思う。
結局、彼の飲みにつき合っている自分を鑑みると、こうやって甘やかしているから男に男気が育たないのかしら、とも、ため息の中で感じている。
まぁ、私も「どう考えても男気があるのは私のほう」となる場面が98%なのですが、ホントどうにかならないのかなぁ。いや、別に「男である」ことを主張するのは良いのですよ、でも、その場合の「男」の定義に、「男気」が含まれていないからこそ、「キミなんて呼ばれないくらいの男気を身につけろ、と思った」のでしょうし。でも、「が、飲み込んだ。」は余計かもしれませんね、これは「優しさ」ではなく、「過保護」というのですよ、ふむふむ。(日本の女性は甘すぎるよな、ホント。)
詰まり、簡単に言えば、生物学的に「オス」であるからといって、社会学的には「オスの役割を果たしている」とはいえませんし、「男気」というのはですね、こういうこと言うんですから。
『金を稼げるだけ稼ぎ、維持できるだけ維持し、与えられるだけ与えるのは、男の義務である』(ジョン・D・ロックフェラー・シニア)なので、そりゃあ無理ってものなんですよね、「男気のある男になかなかお目にかかれない」のは。でも、「自分の男気のなさに気づいていない男が多すぎる」のは、ジャパン特有の現象かもしれません。。
以下、頂いたコメント。
★ああ、そうなんですよね。胸に落ちました。。。
「もうオレで手を打てば?高望みしすぎだよ。」という
お言葉を昔頂戴いたしました・・・。
★なお。
おお、その言葉素敵ですね♪「男気」を感じました、はい。
でもまぁ、上で書いたとおり、これは「ジャパン特有の現象」ですので、ここは素直に諸外国まで足を伸ばしてみるというのも良いかと思われます。逆に、スウェーデンなど北欧諸国ですと、「自分の男気のなさに“気づいている”男が多すぎる」というのが問題らしいので。。