mixiの同年代コミュニティを見ているうちに「同じ25歳でもみんな色々なのだなぁ。」と、しみじみ当然のコトを呟いた午前8時。すでに何かになっている人、これから何かになろうとしている人。何かを辞めてまた何かになろうとしている人、等等。。ただ、言えることは、みなさん幸せを追求している、ってことなのかもしれず。
色々な人がいるぶん、もちろん幸せのかたちも色々なのだが、詰まるところ、幸せになる=「腑に落ちる」ってことなんじゃないかなぁと、最近思うようになった。たとえば、経済的価値を産み出していない=経済全体としてはマイナス要因、とか何とかいうマクロ的視点に立脚した労働経済学的根拠で、専業主婦=悪、みたいな主張をする人がいますよな。しかし、結局のところ、専業主婦という仕事を選択した個人がそれで「腑に落ちて」いるのなら、それって幸せなワケですよな。
って、専業主婦という職業の善悪のどちらを主張するのかっのは、要するに、その論者がマクロ経済学的かミクロ経済学的かに依存する、っうことなのでしょうなぁ。(→注:私はミクロ寄りであるよ。)
というか、まぁ、誰からも強制されず、そうするように圧力をかけられず(例:結婚しろとか。)、自分自身が「腑に落ちる」選択をしていれば、間違いはない、っうことなのかもしれない。確か、国際的ギャンブラーの森巣博氏が著書で「好きなことだけしろ。したくないことはやらなくてよろしい。」(確か『無境界家族』だと思うよ。)と書いておられたが、その通りだよなぁと思ったり。
ってコトで、年をとってからヒステリックな人間にならないためにも、「腑に落ちる」小さな選択をしていきたいものです、はい。
□□□□□□□□□□□そのほかのほざき。□□□□□□□□□□□□□□□
・好きじゃないなぁ、と思ってた。けど、それって詰まるところ、その人が自分に似ていたからなんですなぁ(笑)。人かお金のどっちかと聞かれたら、私もお金を動かすほうが得意なんだもんな。。