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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2004年07月02日(金)
「腑に落ちる」、という感覚。
156063740UUETxm_th.jpegmixiの同年代コミュニティを見ているうちに「同じ25歳でもみんな色々なのだなぁ。」と、しみじみ当然のコトを呟いた午前8時。すでに何かになっている人、これから何かになろうとしている人。何かを辞めてまた何かになろうとしている人、等等。。ただ、言えることは、みなさん幸せを追求している、ってことなのかもしれず。


色々な人がいるぶん、もちろん幸せのかたちも色々なのだが、詰まるところ、幸せになる=「腑に落ちる」ってことなんじゃないかなぁと、最近思うようになった。たとえば、経済的価値を産み出していない=経済全体としてはマイナス要因、とか何とかいうマクロ的視点に立脚した労働経済学的根拠で、専業主婦=悪、みたいな主張をする人がいますよな。しかし、結局のところ、専業主婦という仕事を選択した個人がそれで「腑に落ちて」いるのなら、それって幸せなワケですよな。

って、専業主婦という職業の善悪のどちらを主張するのかっのは、要するに、その論者がマクロ経済学的かミクロ経済学的かに依存する、っうことなのでしょうなぁ。(→注:私はミクロ寄りであるよ。)


156062978phrYJX_th.jpegというか、まぁ、誰からも強制されず、そうするように圧力をかけられず(例:結婚しろとか。)、自分自身が「腑に落ちる」選択をしていれば、間違いはない、っうことなのかもしれない。確か、国際的ギャンブラーの森巣博氏が著書で「好きなことだけしろ。したくないことはやらなくてよろしい。」(確か『無境界家族』だと思うよ。)と書いておられたが、その通りだよなぁと思ったり。


ってコトで、年をとってからヒステリックな人間にならないためにも、「腑に落ちる」小さな選択をしていきたいものです、はい。


□□□□□□□□□□□そのほかのほざき。□□□□□□□□□□□□□□□

・好きじゃないなぁ、と思ってた。けど、それって詰まるところ、その人が自分に似ていたからなんですなぁ(笑)。人かお金のどっちかと聞かれたら、私もお金を動かすほうが得意なんだもんな。。
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