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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2004年02月23日(月)
「離婚」考。

62day_6_-_04_Feb_04_-_39-thumb.JPG小泉今日子サンと長瀬正敏サンが離婚したそうですね。この“離婚”自体には賛否両論なのでしょうが、何はともあれ、円満に解決なさったという点はご立派だと思いました候。

個人的には、小泉氏が発したとされている「〜、夫婦の関係が時に不自由にさせてしまったような気がします」という言葉に反応してしまった。何故って、過去、似たような気持ちになった経験かあったので。(*注記:あ、もちろん結婚制度は利用していませんでした候。)


人との“関係”は流動していくモノ、絶えず動いているモノ。時の流れとともに、相手も自分も変化していくモノ。けれども、“夫婦”や“恋人”という創られた記号に包まれた途端、小泉氏がいうような“不自由”を感じたりするワケで。


で、何故不自由になるのか。たぶん、それは“夫婦”“恋人”という役割は、“関係”が本来は保有しているはずの流動性を減速させ、固定化へと向かわせる性質を内在しているから、もしくは、当事者間でその役割の意味する内容が共有化されていないから、とか。になるのかもしれないなぁと。(→理論的には正しくないと思うよ。社会学知らないからね、私。)


62day_6_-_04_Feb_04_-_55-thumb.JPGそういえば以前、社会学者の知人は“代替可能な自分”という概念(?)を説明してくれたっけ。うろ覚えだけど、確か、「自分という人間は誰かにとって特別でも唯一でもなく、常に入れ替え可能な存在である」ということを意識せよ、って感じの内容だった。これを聞いたとき、「あぁ、社会学者って精神的にシンドイのぅ。」と思ったのを覚えている。


また、この知人は「相手を自分の幸せの道具にしている人」に注意せよ、ってなコトも言っておりました。はっきり言っちゃうと、そういう人って周りに沢山いるものです。(→もしや皆さんの周りにも?)こういう意味・背景を考慮すると、私は、別れてくれるコトも愛だなぁと思ったりする。時には、ずっと一緒にいるコトよりも、別れるコトの方が愛情を示す決断であるなぁと。


かなり個人的だけど・・・。ある人と別れたことを思い出した。正確には、別れてから初めて訪れた相手の部屋を。詳細は省くけど、私は自分が想像していたよりもずっと愛されていたのだなぁと、その時理解できましたよ候。


■□■□■□■□■□そのほかのほざき、っうか“謝罪”■□■□■□■□■

・あの〜、さっきね、ここに載せてるアドレスを久しぶりにチェックしたんですよ。で、メールを下さっていた方がおったのですが、今、気づきました。
かな〜り、お返事遅れてますが、必ず書きますんでもうしばしお待ち下さいまし。すみませんでした、ハイ。(特に1ヶ月以上前にメールを下さった方、ホントすみません。全然悪意はありませぬ。ぼ〜っとしてただけです。。。)
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