資料館は、凄かった
あたしが求めてやまなかった
黒い雨の本物を間近で見ることができた
そして 影の残った壁も
それを見た瞬間、恐くて悲しくて
どうしたらいいのか分からなくなってしまった
だって
さっきまで そこにいたのでしょう??
存在を消すほどの
人間を蒸発させてしまうほどの 熱
恐ろしい 殺人道具
影は今も語っている
放射能を浴びたために 身体中が斑点だらけになり 苦しそうに
横たわる人
原爆を落とされた直後の町の様子
絵が 写真が 叫び声を上げているのかと思った
子供・・・あたしらと同じくらいの
まだ 大人とはいえない年頃の人の写真も何枚かあった
なぜか 凄く悲しくて
泣いてしまった 恐かったんじゃなく 悲しくて
その日は 碑めぐりをして
ホテルに泊まって寝た
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二日目
今日は神戸に行く予定だ
その前に まずはホテルで平和についての講話を聞く
来てくれた人は12歳の時に被爆した女性だった
彼女は
空襲を避けるために 固まった住宅地を壊す手伝いをしていて
原爆にあったそうだ
彼女は 全身の火傷を負い
助かる可能性はない
これで生きられたら奇跡だ
といわれ続け 今に至る
彼女は逃げるさい 全てのものを捨ててきた
道で苦しみ
水ヲクダサイと呻く人の縋る手も
子供が家の下敷きになっているからタスケテ
という声も全部 全部 置き去りにして
自分の家に向かったそうだ
原爆は人から 人らしい心を奪い取る
そして
生きたいと願う暇すらなく 幼い子供まで一瞬で焼き尽くす
そう聞いたとき あたしは思った
切に 死にたくないと。生きたいと思ったことがあっただろうかと。
死んで欲しくない、は何度もあった
大切な人がコノヨカラ一人でも消えるのは 耐えられない
でも自分は…
そう考えたら 自分が恥ずかしくなった
またその人の父は
全身火傷の 娘を動かして 防空壕に逃げるコトなどできない、
一緒に死のう。
と、心を決めていたそうだ
それを聞いたら 急に悲しくて
無条件に愛を支えるのが親、という彼女の付け加えも聞いたが
それでも彼女は親に家族に とても感謝している、と言っていた
その日は 神戸の異人館と中華街に行った
なんだか食べてばかり…
夜に乗った ディナークルーズでは何故か
あの人と席が隣で 嬉しいような 恥ずかしいような