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記録用。
友人に借りて遅ればせながらONEPIECEを読んでいます
この作品って確かに作画能力の高さ・魅力的なストーリー展開・ 独自のキャラクター造形には全くソツがないけれども 何千万部とか売れるのは面白さの一つの指標ではあるけれども いやおたく的に見ても大変結構な作品ではあるけれども サンジが眼鏡をかけるのは結構ではあるけれども(聞いてない) なーんか なんだろうなあこれ? なんだか違和感を感じるなあ と思っていた矢先に 教養としてのまんが・アニメという本を読んで納得した次第
いわく戦後のマンガの歴史というのは作品「勝利の日まで」で 今まで空襲を受けても顔がススけるだけだった主人公が 物語の後半で機銃掃射を受けて初めて「撃たれて血を流す」= 「死すべき肉体を持つ」ものとして描写されることに始まっており それは手塚治虫氏が最初だったですよ とかそういう話
あー思考の遅い私の脳にも何となくわかってきた ONEPIECEは 人が死ななさすぎる のです 例えばアラバスタ編ではBWのエージェントに少年が斬られ 「明らかに死んだ描写の少年→反乱軍が国を終わらせようと決意」 という流れになってて とても感動したのは良いんですが 後で証言が必要になると少年はあっさり生き返ってしまいます いや私の涙を返せ よ! という訳ではないですが 冷静に考えるとエージェントは少年ひとり本気で屠れなかった? そしてそのエージェントにゾロは苦戦した? とか矛盾を微妙に感じてしまい困った次第であります これきっと藤田和日郎だったら少年まっぷたつにする気がしますよ
ルフィについては能力者なので非現実的な肉体でも結構ですが 空島編で雷にうたれた普通の神軍の人々が結局全員無事だったのは なんだかどうしたら という感じではあった だって帰りを待つ家族を描いて切なさ出してたのにその展開って
誤解をおそれず極端に言うと 演出上の都合で 「死んだと思われる表現」を感動の記号として扱っておいて それでいて本当の死を描くことは避けている 作中の人々にとって 死はいつも伝説か思い出の中にあるもので 自分の目の前で 自分の知っている誰かに起こるものではない
さらにねじれてる感じがしたのは 表現として「爆発した後に顔がススける」だけでは済まずに 明らかに致死量の出血をしたり水分が奪われたり骨折したりする =手塚氏の作品ならとっくに死んでいるはずの肉体 なのに 生きている 肉を喰らいぐっすり眠れば何度でも蘇る あー何かキャシャーンの父みたいな感想だな どうせすぐ生き返る その肉体の不在感が余計に違和感をおぼえる原因かも
単に私の受信感覚が古いだけなのかも知れませんし 明らかに尾田氏は意識的にやってるしSBSでも言ってたようだし 死にすぎるよりは死ななさすぎる方がいいだろう とか だってファンタジーなんだからこれ という意見はさて置いて おいしいとこどりでずるいなあ と平たく言うとそんな感じ
繰り返すがサンジが眼鏡をかけるのは結構で(聞いてない)
齋藤孝さんの身体論にかぶれておる昨今ですよ
mh
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