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人間性 - 2002年09月02日(月)

私は、重大些細に関わらず自分の発言に全く誠意も責任も持たない人間が大嫌いである。
例えば友人と共通の知り合いがいたとして、私に言ったことと友人に言ったことが
全く逆のことだったりしたりするとすごく不愉快だ。
どうなるか分からないことだったら分からない、と言ってくれればいいのに私の発言に対して
否定的な返答をしたにも関わらず実際の行動では否定したはずのことをやってたりすると
不愉快というか信頼が無くなる。
私にあまり好意的ではないのなら別にそれはそれでいいのだが、否定や拒否をされれば
私だってそれは仕方ないと納得する。それで全く逆の行動を取られたら…いくら神経が図太い相手でも
失望して当然である。信用しているからこそ打ち明けることだってあって、相手がそれを聞いて
理解を示したような言葉を返してくれたら安堵感を得られるが、それを裏切るような行為、行動を
とったのならもうあなたを信用するのは止める、と言われたってどんな言い訳も出来ないはず。
というか言い訳しようものならますます失望するというものである。
自分を正当化したい気持ちも分かるが、全てが自分中心だと思うのは愚かであり
実年齢関係なく精神的に子供同然だ。

と咎めたところですぐに改善出来る人間はそうそういないだろうから、自分なりに
反省して失言だった、暴言だった、とんでもない行動を取ってしまった、と自覚できたなら
詫びるなりフォロー入れたりすればいいだけのことであって、それをしようとしない人間は
真に信頼されることはまず無いと思ってもらいたい。
チャットだってメールだって、失言やついつい相手にとって暴言と思われる発言をして
しまうことだってある。カンペキな人間なんていやしないのだから。
でもそこで終わりにするのではなく、フォローを入れればいいのだ。人間関係でぎすぎすしていたり
仲がよかったはずの友人と些細な事でケンカになったりしている人は、それを忘れないで欲しい。
そして、フォローは出来る限り早く入れることだ。
本当は人に指摘されてから気付くのではなく、自ら自分の非を認めて受け入れて
誠意ある行動を取れるようにしなくてはいけない。

勿論、万人と上手くやれる人間もいやしないのだから、八方美人になれと言っているわけではない。
どうでもいい相手だったらそれで縁を切ったっていいと思う。
ただ、どうでもいい相手にだって自分の人間性を疑われるというのは非常に悲しいことだ。
信頼されれば嬉しいと思う、誰だって。
いつも、言い訳ばかり考えるのは止めましょう。


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