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2008年08月23日(土) 金メダル・韓国に礼を失する星野の言い訳

五輪野球三位決定戦でも、日本はアメリカに負け、メダル獲得の最低ノルマも果たせなかった。やれやれ、日本の負けは残念だけれど、この負けは、あのそっくりかえりそうに偉そうな態度の星野にはいい薬になっただろう。

そもそも、五輪大会について、監督、選手、野球界、野球ファンがドクサにあって、超越論的判断中止ができていなかった。日本の野球はワールンド・クラス、国内のいい選手を揃えれば、メージャー抜きのアメリカ、韓国、カナダに勝てるし、キューバのパワーも技術でかわせるわい――くらいの軽い気持ちだったのではないか。

星野が、負けてから、国際審判員のストライクゾーンがどうのと言い出したのにはあきれる。こういう言い訳は、優勝した韓国、パワーベースボールを見せてくれた銀メダルのキューバ、日本に勝って銅メダルを獲得したアメリカに対して礼を失する。

国際審判員の審判技術が低かろうが、参加国に等しい条件だったのであって、日本だけに不利に働いたわけではない。国際審判員のストライクゾーンが国内と異なるのは、金メダルに輝いた韓国でも同じだろう。基本的なことだが、日本が五輪野球に参加するのは、北京が初めてではない。国際審判員のストライクゾーンについては、何年も前から織り込み済み、経験済みの課題だ。いまさら、五輪監督が持ち出す話題ではないはずだ。選手が可愛そうだとは聞いてあきれる。野球界は、負けた監督、選手を甘やかしてはいけない。敗戦を他人のせいにすることは、スポーツマンが絶対にしてはいけないことの1つだ。そのような弁明を許す、スポーツマスコミがおかしい。負けを批判する記事の1つでも書いてほしいものだ。

国際大会の経験がなかった星野は、予選で退場を食らっている。国内リーグなら、星野がちょっとすごんで抗議をすれば、以後、審判は自軍に有利な判定をしてくれるだろうという「常識」が通じるはずもない。筆者はこの星野の「退場」を非難したのだが、それを批判したマスコミは皆無だった。筆者は、「退場」を星野の焦りの現われだと直感した。自分の思い通りにいかないもどかしさ、苛立ちだと感じた。指揮官の焦りが選手にいい影響を与えるはずがない。この時点で、本大会の日本の敗戦は、決定付けられていた可能性もある。

国際経験豊かな参謀役を置かず、旧友のコーチ陣で固め、ドリームチームをつくればなんとかなる、大会が動き出せば、選手がなんとかしてくれる、という慢心が星野にあったのではないか。選手選考も国内リーグで調子の上がっていない選手を含んでいた。経験を買ったという見方もあるかもしれないが、結果はご覧のとおりである。とりわけ、攻撃陣、クローザーが精彩を欠いた。そこにこそ、星野の選手起用の誤りが凝縮している。

短期決戦は、長期のペナントレースに比べて、監督の采配、センスが勝敗を左右する。長期のペナントレースとなれば、選手層、選手の実力といった総合的なパワーが平準化して現れる。監督の采配で勝つ試合もあるだろうが、やはり、チーム力に負うところが大きいのである。

一方、五輪大会のような短期の勝負では、たとえば、調子の悪い選手を使い続ければ、勝利の確率は低くなる。星野は勝負の流れを読む力を勝負師としてもっていたのだろうか、ラッキーボーイ及びその反対の選手を見極めていたのだろうか。一言で言うならば、勝利を引き寄せる采配が星野にあったのだろうか、相手チームの分析、相手選手の情報を正しく把握して試合に臨んでいたのだろうか・・・

スポーツ選手、監督が謙虚さを失い、過信、慢心をすれば、勝利の女神は逃げていく。日本は挑戦者なんだ、という気持ちで本大会に臨んでいれば、結果は違ったものになった可能性は高い、と筆者は思っている。但し、星野はそういうタイプの監督ではない。


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