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2006年03月25日(土) WBCとは何だったのか

WBC=正式名称/ワールド(world)・ベースボール(baseball)・クラシック(classic)において、日本代表が優勝した。奇跡の優勝に近いが、チャンスを生かした監督、コーチ、選手等の頑張りに敬意を表したい。本当におめでとうございます。
でも、そのこととは別に、WBCの問題点をおさえておかなければいけない。日本では優勝に浮かれだれも取り上げないから、当コラムで書く。

●勝手に決められたグループ分け
まずだれもが疑問に思ったのが、対戦組合せだ。WBCの主催者である米国大リーグ(MLB)は、2次予選の組合せとして、米国・韓国・日本・メキシコのリーグAと、キューバ、ドミニカ、ベネズェラ、プエルトリコのリーグBに恣意的に分けた。サッカーW杯ならば、予選リーグ組合せ抽選会は重要なイベントであり、どの国がどのグループに入るかが話題をさらう。強豪国が集まれば、「死のグループ」ともいう。ファンも当然、抽選という偶然性を楽しみにしている。
WBCでは、リーグ分けが米国の思惑で決められただけではない。同グループの1位と2位が準決勝を戦うという方式がMLBによって採用された。これも不思議なレギュレーションだ。サッカー等の決勝トーナメント進出組合せは、同一グループ(リーグ)の1位と2位が再び対戦することはない。WBCの方式では、同じ国同士の組合せが再度発生してしまうので、大会の面白みが減退する。にもかかわらず、主催者(米国)がこのような方式をファンに強制したのは、米国が政治的対立を続ける世界最強キューバ、メージャー選手の集まりであるドミニカとの対戦を回避したためだ。米国の思惑は、比較的実力が劣ると思われる日本、韓国、メキシコのリーグA組で決勝進出を決め、一方のリーグでキューバがドミニカに負け、ドミニカと決勝を争うというストーリーを描いたのだろう、米国とドミニカならば、どちらもMLBの選手で構成されているのだから、米国が負けてもMLBの「名誉」は守られると。

●対戦国と同じ国籍の審判を起用
二番目の問題点は、米国の出場試合に米国国籍の審判がジャッジを行ったことだ。このことについては当コラムで書いたので繰り返さない。また、ミスジャッジを繰り返したD審判については、コメントのしようがない。一生懸命やっている選手が可愛そうという以外の言葉がない。MLBの「常識」は世界の非常識ということか。

●投手の投球数制限は是か非か
日本のスポーツマスコミの主張は、WBCが採用した投手の投球数制限制度を「リトルリーグ」と揶揄しているが、筆者はWBCを断固支持する。日本の高校野球以下アマチュア野球のすべてがWBCを見習ったほうがいい。

●イチローの変身の理由は
WBCの印象を記しておこう。最も印象的だったのが、イチローの変身ぶりだ。クールな彼が異常にハイテンションだった。その姿に驚いた人も多かったのではないか。
彼はなぜ、変わったのか、その理由をだれもが知りたいと思っているに違いない。日本のスポーツマスコミは、弱小チーム・マリナーズでプレーしていることからくる飢餓感だとそれを説明する。マリナーズはMLBアメリカンリーグ西地区の万年最下位候補チーム。イチローは個人成績でトップクラスを毎年記録し続けるが優勝はもちろん、プレーオフ進出すら体験できない。ヤンキースの松井に先を越されてしまった。イチローは、チームプレーの野球において、その栄誉から最も遠いチームの1つに属している。それがイチローの飢餓感となり、WBCで優勝すれば、ヤンキースの松井を越せると考えたのではないか――というのがイチロー変身の理由のようなのだ。
確かにそういう面を否定できない。日本の優秀なスポーツジャーナリスト諸氏がきっちり取材をして、そういう結論をくだしたことに間違いはなかろう。
でも筆者は、この説明に納得していない。イチローには、自己のイメージチェンジを図る理由が別にあった、と筆者は考える。筆者の以下の記述は取材に基づくものではないので、推測にすぎないのだが。
イチローはデビュー当初、名誉、栄誉を否定することの“格好良さ”を自らの商品イメージとして戦略化し、そしてそれに成功した。しかし、このままクールな個人主義者でい続ければ、彼は「野球職人」で選手生活を終える。しかも、彼が築いた“格好良さ”の賞味期限は、2005年で最後だった。
サッカーのヒデ(中田)の影響もあった。ヒデはW杯アジア予選を通して、あえて日本代表のチームメートに苦言を呈し、士気を鼓舞した。クールで個人主義者の「ヒデ」を卒業し、指導力、リーダーシップのあるニューヒデに変身を図った。イチローはヒデの影響を受け、WBCを通じて、日本プロ野球の「ヒデ」になろうと務めたのではないか。
ヒデ及びイチローは、いまなぜ変身する必要があったのか。そのような年齢に達したからか――CMキャラクターとして、新たな領域を開拓するためだ、というのが筆者の想像だ。賞味期限が切れたクール路線を続けていれば、企業は新鮮味のないヒデ・イチローにコマーシャル出演のオファーを出さなくなる。ヒデ・イチローのCM出演本数は減り、ギャラも縮減する。それを食い止めるためには、新たな自分を構築しなければいけない。新たなイメージのキーワードは、個から公(国)へだろうか。その背景には、日本の若者の間に、ナショナリズムや保守主義の台頭の萌芽が認められるからかもしれない。個に留まっているだけではもう、“格好良く”ない時代なのだ。ヒデは先のW杯予選を勝ち抜き、イチローはこのたびのWBCで優勝を果たした。二人とも個や私を捨てて、公に取り組むキャラクター構築にみごと成功したのだ。ヒデは薄氷を踏むような予選試合を何度も体験したし、イチローは予選敗退決定的だった。しかし、カミカゼが吹き、奇跡が起きた。天才とは、天をも味方につけることのできる者のことか。

●誇り高きメキシカン
日本を優勝に導いた最大の功労者がメキシコチームだったことは、だれもが認めざるを得ない事実だ。メキシコチームが米国人審判の疑惑の判定に怒り、米国の不正と断固戦う姿勢を貫いたことは賞賛してしすぎることがない。メキシコのプライドがWBC(=米国)のペテン、インチキを粉砕した。米国に負け韓国に負けた日本。しかし、メキシコのおかげで息を吹き返した。“一度死んだものは二度と死ぬことはない”――ゾンビ・日本はその神話のとおり、準決勝で二度負けた韓国に勝ち、決勝で世界最強のキューバに勝った。ゾンビといって日本の優勝を貶めるつもりはない。結果がすべてのスポーツだ。
けれど、日本の(プロ)野球のあり方がWBC優勝ですべて免罪されるとは思わないし、日本が世界で一番実力があるとも思えない。米国が日本野球に好意的なのは、政治的対立を続けるキューバに勝ったからだ。兄貴の喧嘩に弟が代わりに出て勝ってくれたからだ。弟・日本が兄貴・米国を守ったというわけだ。日米は固い絆で結ばれたかもしれないが、それもメキシコが米国に勝ったおかげである。勝負とは本当に、皮肉なものだ。
日本が喜んでばかりいられない理由はまだまだまだある。たとえば、勝率でいえば、韓国は準決勝で日本に負けた以外は1次予選から負けなしなのだから、韓国の実力も認めないわけにいかない。日本プロ野球関係者が喜びに浸っていられるのは、いつまでだろうか。


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