職業婦人通信
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2002年04月16日(火) |
モーレツ新人教育 その3 |
入社すると同時にソルジャー(兵士)として扱われることになった千代子たち同期総勢二十数名。 山奥の研修施設はまるでサティアンか少年院のようであった。 この日記は、深い山中で監禁同然の生活を強いられる若者達が東京へ生還するまでの長い道のりの物語である・・・(大映ドラマ風)
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研修生活の朝は早い。5時半に起床し、6時に体操をはじめる。 研修初日に与えられたお揃いの、明るい青色のジャージが朝日にまぶしく、これ以上ないぐらいかっこ悪い。 体操といっても、ラジオ体操なんてライトなものではなく、まずは研修所のコンクリートの駐車場で 腕立て50回(女子は30回)からはじまる基礎メニューをこなす。コンクリートで傷ついた手のひらに血がにじむが、 途中でやめたり、ズルがバレれば、容赦なく小隊全員が最初からやり直しになる。
そして体操の後は毎朝3キロのランニング。社名を叫びながら・・・ 「○○○○(社名)〜!ファイ、オー、ファイ、オー!」と叫びながらの3キロは、運動不足気味の千代子にとって 文字通り死の行軍であった。しかし、途中で脱落すれば小隊全員でのトイレ&フロ掃除当番が待っている。 そう、小隊とは、連帯責任を課すことによって個のわがままを完璧にコントロールするためのものだったのだ。
食事はこれ以上ないほどの不味さで定評があり、当初は 「不味いからおかずを食べられない」というわけで、毎食、玉子と海苔とご飯のみで命をつなぐ者が続出した。 しかし長期にわたる研修生活のなかでは「粗食でも食わなければ命がもたない」ことに気付き、やがて全員が 不味いメシを平らげることになるのであった・・・。 入所当時は「ここって自衛隊みたい(笑)」なんて余裕の笑いもあったのだが、やがて 「ここは自衛隊どころか刑務所である」という厳しい現実と直面した同期一同であった。
最初の1週間は商品に関する基礎知識を机上で学ぶ研修が行われた。 しかし、朝っぱらからあまりに苛烈なメニューをこなしてきた我々は、ハッキリ言って勉強などする状態にない。眠くて眠くて。 ところが、居眠りもまた小隊全員の罪となり、一人の居眠りにつきグランド1周もしくは正座の刑が科せられるのである。 そうわかっていても千代子は滅法眠気に弱く、千代子のせいで我が中原小隊は何度も正座や走り込みを やらされるハメに。 今でも、当時の小隊の同期にはすまないことをしたと思っている。思ってはいるけど、朝からあんなに走らせといて眠るなって いうのがムリな話じゃないの?
毎朝は体操のほかに朝礼があり、 「○○期大隊 研修10の精神」というスローガン10項目を暗記して、それを毎朝無作為に選ばれる1名がみんなの前で怒鳴り、 それにみんなが唱和する。代表者に選ばれたのにスローガンを間違えたり、順番を誤ったりすれば即、代表者が属する 小隊全員に罰が与えられるのであった。
スローガンというのは例えば、「『5分前集合』の精神」とか「『お客様第一』の精神」などと10項目があるのだが、 どれもわざわざ朝っぱらから怒鳴るほどたいしたことは言ってない。なかでも一番くだらないと思ったのが 「『出船』の精神」というくだりなのだが、
出船って何?
えーと、正解は「トイレのスリッパをそろえること」です。(ホントだってば) 二十代前半の男女が山中で「トイレのスリッパをそろえよう!」という意味合いのスローガンを怒鳴っているのだ。 今思い出しても、こんな研修をする会社の意図を推し量ることはできない。
またある日のこと。 「昔の研修の記録ビデオをお見せします」とのことで、映写室に集められたことがあった。 映し出される20年前の研修ビデオは、想像を絶するモーレツ新人研修ぶり。 その研修の内容は例えば、 ○自衛隊に入隊し、ヘルメット着用で匍匐(ほふく)前進 ○ハイルヒットラーのポーズで一列に並んで社長をお出迎え(in羽田空港ロビー) ○駅前だろうがインターチェンジだろうがところかまわず社歌斉唱(耳を疑うほどの大声) ○ハンモックで就寝(一部屋に10人以上)
「これに比べれば、今の研修は全く楽だということがおわかりでしょう」と勝ち誇るインストラクターを見ながら 千代子は静かに思っていた。(この会社であたし、長続きしないだろうな・・・)
しかしその会社で、千代子は満6年勤め、現在のところ辞める予定はない(クビにならない限り)。
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まだ続く。が、次回でおしまいの予定。
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