2006年07月15日(土) |
(リアル話)■あまりやりたくないシリーズ■ |
この1つ前の日記を読むと、虚しさヨリモ不思議な笑いが漏れそうだ。
↓読んでもちっとも楽しくない、愚痴成分85%以上注意報発令。 ↓読み飛ばし推奨。 ============================
ええ。またしても、散々バタバタした挙げ句、やっと(この期間でも“もう”より“やっと”だ)出所。 というか、思い返すのも胸クソ悪いです!!!!!!
まー。あの会社で何があったかは、じわじわと書いたりして(そんなモロな事はもちろん絶対書かんけど。社会人として)ストレス発散してゆくかもしれないけど(たぶん稀にみる糞会社だと思う。もっと下を見ればキリがないかもしれないが、私はエンリョしとく。特に、社長の人格とか社長の性格とか……) 今は働き方そのものを変えて「派遣」として、お隣の市の印刷会社で働いてます。帰ってきたカンジだ。
もう、しばらくは「正社員」という名前にはこだわらずに行こうかなーと。 だって、それで今まで焦って失敗してきたんだし。 もうこれ以上失敗するより、諦めたらいい事もたくさんあるはずだ。たぶん前向き。
印刷物を作る会社は、大都会にでも出ない限り、求人そのものが少ない。 (すみません。実家出る資金が貯まってませんので) →都会寄りで、辛うじて交通費出してもらえるレベル(月3万以上かかるのに、交通費自腹の会社で働いていた過去もある。基本給そのものも極低だったな。あの頃の月収は自分的ワースト1・2を争う……)で、受けられそうな求人を見つけたら、飛びつく。 →面接に行く。 →採用の連絡を受けたら、即OK。 だいたい、在職中(一応辞めるメドだけは付けてある)に活動してるんで、よけい焦ってる気がする。“これを逃したら、もうしばらくは求人が見つからないんじゃないだろーか”とか。
と、いうのが、なんか書くのも恥ずかしい私の(この業種での)就職活動。 探し方は、求人情報誌かネットの求人サイト。
あ あ あ あ ぁ。/////
おまけに、印刷業界は
・残業代出ないのが当たり前「ですよね〜」 ・モチロン時間にして月100は、「いきますよね〜」 ・土曜休みは「あればラッキー!」(前の会社は代休も取れなかった) ・終電までが定時!(私は夜の1時くらいだ) 「徹夜組(サービス。3日目とかもいる)の皆さん、申し訳ないです!!」 ・労働基準法って何だっけ!!?「ですねーーー」
と、ある意味洗脳なのか、何なのか、 同業でもそうじゃ無い会社も確かに存在しているのに(そういうトコの求人を見かけたことない…けど)←たぶん私の探し方では見つからない。 思い込んでしまっている。深い所で。 (結果、まさにそういう場所にばかり行ってしまう)
本音は「そんなの嫌」なんだが。 仕事は仕事で一生懸命やるけど、もちろんプライベートあってだろうと。 この職種が好きなんですよ。……続けたくて。成長したいし。 今まで、手取り20超えたこと無いんですが。 面接で、希望年収「300」と書いたら、例の社長に一蹴されました。 250も無理でした。 アホやなー。
気が付いたら、丸3年経っていた。4年目まで(こんなに転々としていながら)続いてるのはちょっと奇跡。 ほとんどが、過酷な折り込みチラシとか、納期激短なリーフレットとか、週刊・月刊発行のカタログ(30ページ〜80ページくらい)を、少人数で!な会社に居たので、何か身に付いたんだろうか。
そうだ、バタバタと流されていただけで、そこがなんだかアイマイなのが、自分にとっていちばん問題なのかもしれない。 デザイン的な事もやりたいので、少しでも、特集のキャラクターイラスト(マヨネーズ味特集なら「マヨちゃん」とか)描かせてもらったり、靴箱のパッケージデザインやらせてもらったり、カット描かせてもらったりするだけで、楽しい“気がしてた!” さらにもう1つ前の会社では、3校や最終校正から修正して、下版、検版、PDFをCTP室へ送信とか、らしい仕事ももちろんこなしつつ。 1から一人でレイアウト考えて、案を提出して、通った案で作って、修正して、下版して……。あの、「デザイン」って結局何?どこから?どこまで?オペレーターって、どこから……(延々)
まだまだわからないことだらけです。 まー、実際まだまだ浅いわなー。もっともっと揉まれないと。でも、時間だけではダメな気がする。 自分で考えて別の行動起こさないことには。 肩書きなんて、自由に名乗っていいのだが(本人の勝手だし)そこんとこの謎が、いつ解明するかわからんです。もーいーや。(じゃー考えるな)
その前は、フルタイムのアルバイトで、CADオペレーターを3年とか、その他、地図のトレースとか、日雇い工場内作業とか、まぁ履歴書の職歴欄に(書く必要ないのも多いが)入りきらなくなってきたマダオ(by.銀魂)です。
印刷業界最初の一歩って、実は新卒の時なんですよね。 二十歳だった。 あこがれの「グラフィックデザイナー」という職種名(その実態は、社長入れて4人のデザイン事務所)Macでお仕事できるなんて! (短大デザイン科だったのに、パソコンほとんど触らせてくれない学校だった。高校までの「美術の時間」のノリ。それが現実だった) →人数少ないから、雑誌の広告ページ見開きでいきなりイラストの仕事がくる。 →下書きまでは、なんとか社長オッケーが出ていたのだが、それをイラレで描きおこしたら(当時まったくと言っていいほど、イラレのヒゲの使い方に慣れていなかった)社長から「使えない」と言われた。 →書き直しは、イラレとの格闘だった。納期が迫り(もともとほとんど期間がなかった)、泣く泣く妥協で下版せざるを得なくなる(他の人は、別の仕事があるし、社長は営業をしていたのでほとんど居ないし) →給湯室でひとり、さめざめと泣きました。(若かった) →その後、イラレと格闘しつつ(さすがに今なら余裕のレベルなのに…)バタバタと。 →もちろん、残業代出ないサービスはこの頃から仕込まれている。 (夜2時とか) →営業から帰ってきた社長が「お前、まだそんな事してるのかー!!!!!!」と、その辺にあった本などを投げる暴力行為に出始める。 (そこで気付くべきだっただろ(笑)と、今なら笑ってツッこめる) →(本を投げつけられつつ)「厳しい。これが社会か!」とマジメに受け止めていた。(……) →入って2ヶ月経った頃、「事務所の家賃が払えなくなったから」という社長のひとことで、私の最初の職場は終わった。
その後、未経験(経験2ヶ月やし)でパソコン操作もまだママナラナイ私には、中途採用のハードルは高かった。(受けられる所がまず無い)あきらめて、なんとなくCADの世界へ……。世の中の人が、皆やさしく見えた。 約5年後、再び戻ってこれたものの………。
なんだこれ(笑)デザイン事務所って、こんな社チ…… ばかりなのか? それともよっぽど私の運が悪いのか? デジャヴュ…(いや、どれも現実だし)
って、なんか愚痴成分のほとんどを今日だけで放出してないか? てか、長っ…。なにこれ。
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次回からは、まだもう少し発散してない前の会社の出来事をちょこっと書いて……で、もう愚痴も尽きそうだな。良いことだ!
また、以前のように萌え話でも書いていけたらなーと。
と、言う訳で、実際は1ヶ月経ってしまったのですが、復活してみようかと自分を震い立たせてみようかと思ったりなんかしたりして。(太一郎節v)
いや。すみませんホント。 ありがとう。
まーこんなんでも、楽しいこともあったんですよ。仕事以外では。 うーん筆無精。
暑中お見舞い申し上げます。
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