*不敗*
*もくじ*|*きのう*|*あした*
日記の内容と 日にちがズレている 笑
土曜日に 亡国のイージスを見に行って 日曜日に USJにいった 月曜日は クロカンにいった
そうして今日は 丹波篠山のデカンショ祭りにいってきた〜
イージス艦を見に 舞鶴までいきたかったけど 果たして舞鶴にいったらイージス艦が見れるんかどうかさえ 怪しく しかも お昼もだいぶまわった頃におもいついた
舞鶴のだいぶ手前の 丹波篠山にデカンショ祭りをみにいくことにした イージス艦とえらい違いやな 笑
盆踊りの巨大バージョンみたいやった やぐらが組んであり その上でも そのまわりでも ひたすら デカンショ踊り(でええんか?)を踊っている
そのまわりには イスがあってそこで見学する そのまわりは 夜店がいっぱいあって ついついいっぱいこうてしまう
なかなか見てるのも楽しいもんやな
いろんな連合(いうんかな)の踊り子さん(とはいわへんやろなあ)たちが それぞれの お揃いの浴衣で踊ってる
飛び入りで自由に参加して踊るのも もちろんあり
延々「デカンショ節」が流れる
もちろん生演奏に生歌
交代でうととった
何時間もおんなじ歌をうたい 何時間もひたすらおんなじ踊りを踊って 何時間もひたすら それを見る
「この歌しかかからへんの? 炭坑節とか オバQ音頭はかからへんのかなあ あたし炭坑節やったら得意やねんけどなあ」
そういうたら
そういわれたらそうか・・・納得
それでも だんだん参加したくなる
ダンサーの血が騒ぎ出した (いつからダンサーしとんねん!)
花火もあがって 最後に参加してみた
やっぱ 踊るほうがもっとたのしー
踊るあほうに見るあほ〜 同じあほならおどりゃな損損♪
(あ・・これ デカンショ節ちゃうわ・・・ぷ)
デカンショ節の一節のなかで
「私しゃ××の立ち食いそばが〜」というんがあった
「なあなあ なんの立ち食いそば・・いうとん?」
ダンナに聞いたら
「そんなんいうてへんやろ <私しゃ丹波のなんちゃら育ち>いうとんで なに育ちやろなあ」
あたしって耳まで悪いみたいやわ
かおのよさと耳の悪さは反比例するんかな(ぷっぷぷぷー)
ほんでも 立ち食いそば に聞こえんねんもん
気になるから 調べてみたら
「私しゃ丹波のかち栗育ち」やったわ
かち栗育ち と 立ち食いそば
似とうやんな・・うん・・笑
デカンショってほんでも どーゆー意味なんやろ・・・
・・というわけで調べてみた
興味のあるひとはどーぞ
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さて、"デカンショ"の語源については多くの説がある。
△古くからの盆踊り唄にある「ドッコイショ」の変化で、 「デッコンショ」−「デカンショ」
△青山藩士たちがよく飲みあかし、唄い明かした事例がそのままに 「徹今宵」―「テッコンショ」−「デカンショ」
△郷土出身者の「天下将」たらんとする心意気がそのまま 「テンカノショウ」−「デカンショ」
△学生たちが、有名な三人の哲学者 「デカルト」「カント」「ショウベンハウエル」の頭文字をもじったという「デカンショ」
△昔から丹波杜氏の出稼は有名で「出稼しょう」−「デカンショ」
△その他方言「デゴザンショ」やら、あるいは大きなこと「デッカイコト」しよう。 ------------------------------------------------------------------
等々その根拠らしく、いろいろ伝えられていてなかなか巧妙である。 その語源がいずれにせよ「デカンショ」の語義そのものには特別には意味はなく、例えば炭坑節「サノヨイヨイ」や安来節の「エッサッサ」と同じ掛け声に相当するもので、「ヨイヨイ」や「ヨーオイ、ヨーオイデッカンショ」もハヤシ言葉にすぎず、ことさらに意味を持ち、また持たせる必要もないであろう。 東京在住の高田彰(篠山出身・鉄道員勤務=明治43,4年に「丹波戦史波多野盛衰記」発行・著書)が、明治44年に「デッコンショウ節」の歌詞を募集している。そして大正4年斉藤秀三(立町)がはじめて「デカンショ節」を編輯されている。したがって大正の極く初期には、「デカンショ」という文字にすべて定着したと見るべきであろう。
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そやけど 花火 しょぼかった・・・
オリックスの花火のほうが もっと盛大やでー 笑
残念!
(●・・●)れお
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