*不敗*
*もくじ**きのう**あした*


2004年01月17日(土) 神戸は5:47雪が降っていた・・・

ダンナちゃんの 仕事現場(神戸市内某所)では
「メモリアルウォーク」があるということで 
<本日の道路工事は中止>なのだそうだ

(でも仕事にはいっていた)

「メモリアルウオークってどんなん?」と 帰宅したダンナにきいたら

ただ 歩いていただけやったそうだ

どこにむかって歩いていたんやろなあ

そうか・・・あれから9年か・・・

「震災から○年」というのを聞くたび(テレビやラジオの音声)
あたしには 全然関係ないことやけど
どうしても ムカツイタ言葉を思い出す

丁度 1年後
ラジオでは 数日前から 「震災1周年」という言葉が頻繁に聞こえてきてた





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別に投書マニアでもないし そゆこともしたことはないし
実際には 何もしなかった
何もしなかったけど
あたしは むちゃくちゃムカツイて
「○周年」って言い方は正しいのか? どーよ!と
一人憤慨していた

ある日 その言い方がピタリと聞こえなくなり
「震災1年」という言い方にメディアはいっせいにかわった

それから 毎年
「震災2年」「3年」と メディアは報道するようになった・・・

(実際 ○周年といういいかたが 国語的に正しくなかったんかどうかは いまなお しらんのやけど・・それでも 聞いた瞬間の違和感は
 おーてたんかもな〜・・と おもってる)

テレビニュースは (今日は)ほとんど見てへんのやけど
(神戸)新聞は どの面もすべて<震災特集>だった
(特に夕刊は 今日神戸市内あちこちで行われた 行事の写真と文章だらけだった)

(朝刊では)震災から9年 の文字がフォント500(実際はなんぼかしらんが)ほどの大きさに比べ 
言い訳程度のフォント3くらいで「センター試験」の文字があった

でも たぶん 神戸(あるいは関西?)以外の地域では
センター試験と震災の記事は この逆の大きさなんだろうな〜・・?

神戸以外の地域の人の心のなかで
震災という記憶は 遠い遠い過去のものになっていってるんだろうな〜・・・?

震災後に 子供の心のケアをするために 市内小学校には
専門のセンセ?(医者?)が 常駐するようになったのは
あの震災以来なんだそうだ
(ここ数年 イヤな子供の事件で 事件のあった小学校に
 専門家を派遣するようなしくみになったのは 震災後 神戸市内が行った
 やり方を真似るようになったそうだ)

それを決めるのは 文部省だそうだけど
神戸市内の小学校に 
専門家を常駐させるのは今年限りで打ち切りという案もでているらしい

確かに あれから9年
9年前に小学校1年生だった子供は 中学卒業

1歳だった子供は9歳

果たして 子供の記憶(トラウマ)は 何歳から生まれるのか
あたしは専門家じゃないのでわからない

1つだけ 言える(思う)ことは
「文部省」のえらいさんは 誰も 震災経験者じゃないんじゃないのかな?
数字や統計や学術的?なものさしだけで 決めているんであろう
「○○省」のえらいさんは 誰より「えらい」んだろうな〜

9年前の 震災より
イラク派遣のほうが 「日本人」の関心は高いだろうし
センター試験のほうが 大事な人は多いんだろう


あたしにとっても
震災は9年前の出来事だ

ただ あれからもう9年もたったのか?
そのおもいのほうが強い

あの時落ちた屋根の瓦は元通りになり
割れた天窓はまた元通りになり朝陽を知らせてくれる
ひび割れた壁は 今もなおひび割れたままだ
(コーキングを自分でした 笑)
落ちて額縁が割れてしまった
ラッセンのイルカの絵も 割れた額縁の部分をマジックで塗りつぶして
今は 玄関の廊下(そんなええもんじゃないが)に飾っている

壁だけが あのときの生々しさを残しているけど
壁さえ見なければ 「あのとき」の名残はなにもなくなっている

壊れた物は そんなになかった
無くした物も そんなになかった


だけど
大事な大事な 命は あたしの元から 消え去った


震災のせいで
なくなった

・・・・

震災

それは
何年たとうと
あたしのなかでは
過去ではないのかもしれない

(でも過去なんよな〜)



早朝5じ過ぎ

シンシンという音がして外を見たら

雪だった・・・


震災の日は どうしてこんなに寒いんだろう



*今日の花言葉*
すいば・・・親愛の情

れお



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