2007年6月19日(火) 大日本人について(ネタバレなし)。
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6月4日、一人で松本人志第一回監督作品「大日本人」を鑑賞。 おそらく「面白い」「面白くない」といった二元論で捉えられる作品ではないだろうし、 これだけはどうしても一人で見に行こうと決めてた映画でして。 で、鑑賞後に他人の意見に左右されることなく、一人でいろいろと考えたいなと。 そうして考えた結果、いろいろと語りたいことはあるものの、 一言に収めると、やっぱ映画ってメディアは笑いに合わないな、ということに尽きる。 お笑いってのはチープで地味でちっぽけなもんで、だからこそ最高なんであって、 映画という大舞台はお笑いには似合わないんじゃなかろうか。
6月5日、もう一度見たくなり、今度は友達を誘って二回目の「大日本人」鑑賞。 一回目にはわからなかった小ネタがちらほら見えてくる。逆に切なさも倍増。 松ちゃんが公開前に「フリの部分が長くて退屈に感じるかも」と言ってたけど、 オレ的にはこのフリの部分だけで延々と押し通してもよかったんじゃないかと。 それほど秀逸な、完璧なまでに構築された世界観。 そのパラレルワールドの中での喜怒哀楽、起承転結を描いて、 悲しい「泣き」の作品にした方が良かったんじゃないか、と個人的には思う。 放送時に驚愕した名作「とかげのおっさん」を思い出した。
6月6日、mixiやYahoo!映画などでのレビューを見てげんなり。 あまりにもわかってないバカが多すぎる。 もちろんそれは内容や深さや笑いがわかってないって意味じゃなくてね。 そんなのオレだって松ちゃん本人じゃないから全部わかるはずもなく。 いやね、面白くないと思ったんならそれでいいんだし、 それを個人の声としてネットに書き込む権利は誰もが擁してる。 だから「つまらなかった」なんてレビューに辟易してるわけじゃなくて、 そいつらのあまりにくっだらない姿勢に脱力を覚えたわけよ。 まず、はじめから松本嫌いで、文句を言うために映画館に足を運ぶバカね。 こいつらのネガティブさって何? なんか怖いんですけど。小日本人? 逆に「最高でした」「爆笑しました」と手放しで絶賛するバカ。 そういう作品じゃないだろうと。これで心から爆笑出来りゃ立派な躁病よ? そもそも映画館で爆笑できる時点でデリカシーのなさ丸出しでしょ。 「退屈だった」「映像が荒い」なんて受け身すぎるバカもいて、 こういうハリウッド作品しか見れない輩まで寄せ付けてしまったことが、 変に話題性を持っちゃったこの映画の悲劇なのかも。 他にも「素直にMr.ビーンでも見とけ」と言いたくなるバカ、 「おとなしくテレビだけ見とけ」と言いたくなるバカ、などなどトホホなバカの品評会状態。 そもそもそういう、いわゆる「普通の」映画じゃないことぐらいわかってんだろうと。 それで普通の映画じゃなかったことに憤りを感じて何になる? むしろ「映画を壊したい」と言ってた松ちゃんにとって、 この「普通の映画を楽しみに来て憤ってるバカが大量発生」という状況こそが、 ある意味、成功を表してるんだと思うがいかがなもんか。
6月12日、BRUTUS「大松本論」を購入。 「大日本人」よりも「松本人志」に焦点を向けた一冊で、 BRUTUSならではのアート的な視点がウザく感じるところもあれど、 インタビューやクロスレビューなど読み甲斐のあるところも多々あり。
6月17日、「大日本人」を解読するためのヒントとして、 14年前に発売されたビデオ作品「頭頭(とうず)」をTSUTAYAでレンタル。 まだ若すぎる松本・今田・板尾に違和感を感じるし、 若さゆえに多少の芸術性(もしくは映画っぽさ)を持たせてしまってたりして、 決して声に出して笑える作品ではないけれども、 「本来絶対に“ない”ものを“ある”ものとして世界を構築する」、 この微妙な非日常の描き方は「大日本人」とまったく同じ方法論で、 「大日本人」の世界観の創造性が14年前にすでに完成されていることに驚いた次第。 こりゃもう一度くらいは映画館に足を運ぶ羽目になりそうです。
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