エロとピンクとアミタイツ。
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2019年04月18日(木) カメラを止めるな!

金曜ロードショーまで引っ張り上げられたせいで、
賛否両論にさらされた映画「カメラを止めるな!」は
「おもしろい」と思える人には免許がいる作品だ。

いわゆる「青春」とか「リア充」とか「家族」みたいな、
恵まれ免許を知らず知らずに取得した層にしかわかるはずのない
ハッピーファミリーポジティブメルヘンである以上、
自称風紀委員的な、リアルで相手にされないが故に
見知らぬ攻撃相手をネットで探すタイプの幸せ無免許さんには
「つまらない」、わからない作品でしかないだろう。

見たことも聞いたこともない愛を自分が持てないことを
認めることはできず、絞り出した言葉は「つまらない」。
無意識に拒絶するに値するメルヘンである。

しかしながら人生の免許のあるなしで評価が分かれる作品を
金ローのような場で流した日本テレビもまた
テロリストである。


2013年06月18日(火) 33歳になりました

ものすごく久しぶりに開いてみたら、
まだエンピツというサイトが存在していて笑えた。
33歳になった今、21歳の自分に会うのは怖くて恥ずかしくて笑えない。
だけどこの文章はきっと消せないのでしょう。

会社員になって3年が過ぎましたが、
相変わらずひとり旅は続けていて、
エジプトの壮大なピラミッドの下、
世界一うざいと評判のバクシーシ商人と大喧嘩をしたりしながら
ふわっと毎日を生きています。

さすがの私も大人になってあんまり世間に腹を立てることも減ってきたけど、
今日は会社員になって思う「コミュニケーション能力」について。

「私、コミュニケーション能力が高いって言われるんですよ〜」
と、ニコニコ語る僕のデスクの隣のやせてるくせにボインにひとこと。

「上」と「外」にしか発動しないスマイルはコミュニケーション能力とはいわねんだよカスが。

以上。
成長していませんね、私。

アラフォー目指してたまに更新しますので、
今後とも宜しくお願い致します。


2010年12月30日(木) 2010年の日記

高校球児のくせに未成年で喫煙してもお咎めがなく、
無計画に中出しした揚句アイドル孕ませてもなお
祝福されるあいつが昔から大嫌いだったのだが、
ようやく世間が「実は馬鹿なんじゃないか」と気がついたことが
2010年の嬉しいニュース。

90年代後半、高音しか出ない友人がカラオケで
「時代が私に追いついた、いや、小室が私に追いついた」
と豪語していたが、私も言おう。
世間が私に追いついた。

良いお年を。



追記
年が明けたら、このページも10周年。
私の日記をいまだに登録してくださっている方がいらして驚きです。
SNSに押されがちですが、今となってはレトロなこのサイト、
細々とずっと続きますよう願っております。




2009年03月17日(火) オレ、いま、カッコイイ

有名な戦争系舞台を、縁あって観劇してきました。

男性が、形を重んじる?「日本兵」という役を演じると、
高確率でナスシストになってしまうのは何故だろう。
「オレ、いま、カッコイイ」としか読み取れない表情を残して、
特攻隊員は死んでゆきました。怒られるよ、あんた。
無駄に大声出しすぎて枯らした声ですら、

「オレ、こんなに、声、でない」

とでも言いたげに、誇らしげ。

15秒のCMですら泣く私が、
登場人物が全滅しても泣かなかったのはある意味すごいぜ。





2008年05月05日(月) 東京が嫌いなら帰ればいいのに。



『東京の人は冷たい』


よく聞く言葉です。

道を聞いても教えてくれない。
ぶつかっても何も言わない。
親身になってくれない。
だから、東京の人は、冷たい。

間違ってないけど間違ってるね。
なんでかって?
東京は、結局地方から風呂敷かついでやってきた、
田舎者、ヨソモノで構成されているからです。
東京の人が冷たい、のではない。
正確に言うと、
「東京を歩いている臆病な地方出身者は目を合わせない」だけなのである。


渋谷センター街の近くで育った私は、
話しかけてくる大人が「アホなキャッチ」なのか、「道に迷った人」なのか判別できる。
だから私は商売目的でない人の話は聞くし、
むしろ旅先で何度も人に助けられている私は、
ガイドマップを手に迷っている人を見つけると放っておけず、
「どこかお探しですか?」
と、声をかけることすらある。
すると、だ。
東京で声をかけてくる人間は全員悪徳キャッチセールス人だと思っている
地方のアナタは、結構な形相で私を振り返り、ひとことこう言う。
「…大丈夫ですっ!!」

バリアが高すぎるんだよ。
その対・東京バリアを、他人に向けるから
東京の人は冷たい、という悲しい話になってくるんだ。
違うんだってば。
あんただよ。

それは、東京で話しかけてくる他人=全員キャッチかキャバの勧誘で、
売り飛ばされるか有り金全部巻き上げられる、という間違った教育を
田舎の学校で教わった結果なのだ。



私は東京の真ん中で生まれて育った。
悪いけど地元には町内運動会だって、お神輿担ぐお祭りだって、
盆踊りだってあるし、子ども会もある。
悪いけど生まれたときから知ってる隣近所の皆さんには
道であえば挨拶するし、子どもが生まれれば見せに行くよ。
東京だって、コミュニティーはしっかりしてるのだ。


じゃあ、なんで東京に「いる」人間を疎遠だと感じるのか?
正解は、「冷たい、冷たい」って大騒ぎするあんたたち地方出身者が
大量に押し寄せて、虫食いのよう東京を侵した結果です。
あんたが田舎のおかあちゃんからもらったお金で借りたマンション、
両隣ノックして出身聞いてごらん?

学校にたとえてみよう。

学級にひとりやふたりの転校生ならちやほやできるし
新しいコミュニティー・関係も、たやすく形勢できる。
でももし、教室の8、9割が転校生だったら?

その状況のもと、お互い転校生だということを知らないで話しかけたとする。
「ねえ、図書室どこ?」
「・・・」
まだ「場」に慣れてないという理由で、
相手にそっけない態度を取られた場合。
その転校生はこう思うのでしょう。

『この学校は冷たい』

あなた達が「冷たい」って思ってる人間の、
90パーセントは地方出身者です。
道を聞いても教えてくれないのは、
単に知らないのです。

もしくは、ヨソモノが集まったこの狭い東京という街で、
ヨソモノ同士がぎゅっと詰まって生活するため、
自然と幅広のパーソナルスペースが形成されたに違いないんだ。
でも、そこで押さえておいてほしいのは、
あなた達が恐れる「東京型パーソナルスペース」は、
「東京に出てきた地方出身者」が作り出したものであって、
もともと東京にあったものではないのだ。
(もちろん、全員とは言わない。)

しかしながら、生粋の東京人ですら、今日にあっては
その影響を受けていないとは言いがたい。
何故なら、東京に出た結果、土地(すなわち、そのコミュニティー)を愛し、
一生を過ごすのならばまだしも、
彼らはものすごいサイクルで入れ替わっていく。
夢破れて故郷に帰り、その空き部屋にはまた新しい地方出身者が入る。

つきあいきれないのである。
地方出身者はどうせいつかいなくなる、ということを
東京の人間は身を持って知っている。

それでも私は、「東京の人は冷たい」を否定したい。
街で出会う「そっけない人」の大半は地歩出身者だ。
何度も言うように、「東京を歩いている臆病な地方出身者は目を見ない」だけなのだ。



私は東京を愛しています。東京は案外つながってるものです。
つながろうとする人にはね。
それでもなお「東京人は冷たい」というのならば、
荷物まとめて明日実家に帰りなさいよ。
だあれも止めないし、むしろ自殺しても誰も気がつかないから。
あんたの理論で言うとね。


2008年04月25日(金) あるなら言ってみろ

私に好きだといったあの男の子が
私がクズだと思っている女と
セックスをしていたことが判明したとき
自分の値段が途方もなく下がったような気がして
誰にも当たれず途方に暮れる

どこだ。共通点は。
どこだ。


2007年08月25日(土) 恐山にて

そして私は、風に揺れる無数のかざぐるまの中をどこまでも歩いた。
すれ違う人々はみな優しく、「暑いですね」と声を掛け合う。
そして、最後に必ず私にこう問うのだ。


「それで、あなたは誰が亡くなったの?」


恐山の、入り口に立つ。
息が止まるほど美しい三途の川に、
真っ赤な橋がかかっていた。
ここを渡って、私はあの世の入り口に行く。
境界線へと、一歩踏み出す。

すると、私のすぐ後ろを家族が歩き始めた。
お父さん、お母さん。3歳くらいの女の子、
そして彼女のおばあちゃん。
おばあちゃんが、幼子に言う。

「生きてるうちに悪りごとすれば、
この橋、下から針がいっぱい出てきて、
最後まで渡りきれねえんだ。
悪りごとしてねえか?」

女の子が、必死の顔をしておばあちゃんにしがみつく。
いっぽいっぽ、そろりそろりと橋を渡る。
・・・渡りきった彼女に、
「いい子にしてたからだなあ」と、
言いながらおばあちゃんが頭をなでたのを見届けて、
私も、そろりそろりと、橋を渡り始める。
針は、私にも刺さらずに。


宗教とか、はっきり言ってよくわからないし、
意識して生活なんてしていない。
でも、こういう場面に出会うと、
悪くないなあと思う。
いましめとか、道徳とか、そういうことではなくて、
世代が「場」で繋がってゆく美しさに、
私はかすかに震えるのだ。


見上げた石段は青い空に向かって続いてゆく。
上山式と呼ばれるその僧侶と信者の行列は、
物悲しい歌を歌いながら山を登って行く。
手を合わせ、涙を流し、行列を見送る沿道の人ら…
そこへ、一陣の風が吹き、皆が顔を上げた。
・・・彼女たちには、何が見えているのだろう。

そして私は、風に揺れる無数のかざぐるまの中をどこまでも歩いた。
すれ違う人々はみな優しく、「暑いですね」と声を掛け合う。
そして、最後に必ずこう問うのだ。
「それで、あなたは誰が亡くなったの?」


ここに集う人たちの目的は同じだ。
もう一度会いたい。それだけ。
その思いで、山を登り、花を手向け、砂浜に手を合わせる。
そこに流れる時間は限りなく優しい。

私も境界線に向かって手を合わせる。
来たよ。元気?お酒足りてる?


恐山に日が落ちてゆく。
イタコの口寄せに並ぶ人ら。
名入った手ぬぐいを木にくくりつける人ら。
賽の河原でもくもくと石を積む人ら。
そして、山を降りる私の傍らで、
真っ赤なかざぐるまが揺れている。



7/22 恐山にて


2007年01月04日(木) そして、私はバスから飛び降りた

バンコクで、動いているバスから飛び降りるタイ人を見た。
別に彼女は誰かに追われていた訳ではなく、
もちろんバスがジャックされた訳でもない。
そこで降りたかったから。
ただそれだけの理由で彼女は開けっ放しのドアから車道へ飛び降りた。
車道の真ん中に躍り出て、向かってくる車をひょいひょい避け、
何事もなかったように市場へ消えていく後姿を見送りながら
私は旅立つ前に日本で見かけた、ある違和感を思い出していた。

私がその違和感を感じたのは、朝のホームだった。

「全駅にホームドア設置」

東京メトロの「善行」である。
「ホームドア」。見かけたことがあるだろうか?
ゆりかもめのあれがそうだ。
ディズニーリゾートラインのあれがそうだ。
要するに、線路への転落を防止するために、
電車とホームの間に開閉式の「壁」を設置、
電車が到着してドアが開くまで壁は開かない、
という極めて安全性に優れた機械だ。

しかしながら、私はその設置に疑問を持った。
正確に言うと、ホームドアそのものの安全性への疑問ではなく、
私が感じたのは、その設置によりまた人間から距離感が奪われるのではないか、という危機感だった。

私は、小さい頃から電車を利用している。
もちろん、「ホームドア」なんていうハイテクな安全装置なんてなかった。
だからとは言わないが、私はホームから落ちたこともある。
動いている電車に触って怪我をしたこともある。
痛い思いもしたが、それによって、
今私は電車との適切な「距離感」がとれるようになった。そう思う。
「黄色い線」「何センチ」という規定によってではなく、体で知ったのである。

仮に、メトロ以外も含め、東京中全ての駅にホームドアが設置されたとしよう。
そして、その中で生まれ、ホームドアのある駅しか知らない子どもが育ったとしよう。
彼が東京を出たある日、彼はホームドアのない駅に出会う。
私は思うのだ。
その時、彼は適切な距離感を持てるのだろうか?
保護されない状況を目の前にして、
自分でラインを引くことは出来るのだろうか?

その時はただ漠然とそんなことを思い、
何がそんなに気持ち悪いのか判断できずにいた。
しかし、バスから飛び降りたタイ人をみて、
私はふいにはっきりと問題点が見えた。
それは、グランドキャニオンの女子大生の死亡事故にも通じるものがあった。

グランドキャニオンの事故の概要はこうだ。
ある女子大生がグランドキャニオンに観光で行き、
友人に写真を撮ってくれと頼まれた。
ファインダーを覗くと、全員を写真におさめるには被写体との距離が近すぎた。
一歩、下がる。まだ全員入らない。そして、また一歩…
そうやって、彼女は崖から転落した。

日本では、危険な場所、高所には必ずと言っていいほど「柵」が設置してある。
ここから先は危険だ、と言うラインを他人が引いてくれるのだ。
一見安全そうに思えるが、その結果がこの転落事故であると言うことは間違いない。
彼女は突如として天変地異に襲われたわけではない。
突風に見舞われた訳でもない。
自分でラインを引くことが出来ない彼女は、
「後ろに崖がある」という、たったそれだけの危険を察知することができなかった。
この事件こそ、安全大国・日本の闇の象徴であると思う。

安全管理が行きと届いた国では、個々の危機管理能力が低下する。
それは疑いようのない事実だ。

そんなことを考えている頃、バンコクでミキという男の子に出会った。
結論から言うと、ものすごいアホだった。
彼は、街でマレーシア人のおっさんに声をかけられ、ご飯をおごってもらい、
欲しいものを買ってもらい(!)挙句、ホテルまでついてゆき、シャワーを奨められて
全財産・パスポートを投げ出してシャワーを浴びたところ、
全裸のマレーシア人が風呂に乱入。「ドント ビー シャイ!」
「いやあーまさかゲイだとは思わなくってー逃げましたけどー危なかったっすよー」
と、財布落としましたくらいのテンションで話すミキ。
「あんた、そいつがゲイじゃなくて強盗だったら全裸で死んでたね。」
と私が言うと、「ああそうか、いっけねー。」
最初の二行でもう怪しさ全開なのに、
彼はややもすると死にかけたことにすら気づいていなかった。
私は、ホームドア世代の未来をミキに見たような気がした。

柵も、ホームドアも、木登りをさせない幼稚園も、
「完全に停止するまで座ったままでお待ちください」とご丁寧に繰り返すテーマパークの文言も、
結局は大人の責任回避のための複線だ。
そんなつまらない理由で、人間が本来持つべきはずの距離感や危機管理能力がそがれてゆく。
それが、本当に悔しい。

本来、私たちは動いてるバスから交通量の多い車道へ
飛び降りたって死なないだけの判断力を持ち合わせているはずなのだ。
子ども達よ!日本を飛び出せ!
判断力が、壊死する前に。全員だ。
東京メトロへ反抗するには、もうそれしか道がない。


2006年10月16日(月) 『飲み込まずに出してください』

「ここから飛ばないでください」

ある高台に貼ってあった貼紙だ。
ここの貼紙を読んで分かることは、
かつてここから飛んだ人がいるということだ。

巷には注意の張り紙が溢れている。

「エサをあげないでください」
「走らないでください」
「ガラスを割らないでください」
「カメを驚かさないでください」

それを書かねばならない理由はただひとつ、
書かなければそうしてしまう人間がいるということだ。
そしてそれは、
動物に勝手にエサをやり、
むやみに走り、
ガラスを割り、
カメに向かって大声を出す人間が
かつてここに現れたという歴史の表れでもある。

トイレのシンクにたびたび貼ってある、
「この水は飲料水ではありません」
という貼紙を見るたび、
毎回「飲まねえよ」と思うのだが、
そこから伺えるのは、
誰かがトイレの水を飲み、しかも体調不良を訴えて
事態が明るみになったという歴史だ。

「橋を壊さないでください」
この貼紙からは、一度この橋が何者かによって壊されたという過去、
そして修理されたか新しく作られたか、
どっちにしても二代目以降であるという事実が伺える。

私は貼紙が好きだ。
文面が細かな指定をしていればいるほど、
かつてその場所で起こったことが詳細に伝わってくる。
貼紙を見つけると、いつも私は嬉しい。

「ロープを引っ張らないでください」
「つぶさないでください」
「蓋は、食べれません」

かつてそうしてしまった人のことを思うのはなかなか楽しいものだ。
良い貼紙はすぐに写真をとることにしている。
ただ、カンボジアの山頂で見かけた
「子どもを買春しないでください」は
なかなかヘビーなものがありましたが。

「立ち止まらないでください」
ある場所にはそう書かれていた。
あえてそう書かねば誰もが立ち止まってしまうような
魅力的な場所なのかもしれない。
しかし、なにしろそこでは立ち止まってはいけない。
絶対に怒られる。
かつてそこで立ち止まった人も、怒られたに違いないのだ。

今日の自分の行動を省みる。
どこへ行った?何をした?
もしかしたら、今日私も行動いかんで、
どこかに貼紙を増やしているのかもしれない。
そう思うと、ちょっとワクワクする。


2006年10月13日(金) 戦争に感動を求めるな

バンコクで出会ったアメリカ人が言った。
「日本で一番おもしろかったのは戦争博物館だ。
僕が知っている歴史と違う。」

先日、ある戦争博物館に立ち寄った。
戦犯が英雄として掲げられ、
戦争が美談として描かれ、
全く共感できない施設であった。

バンコクで出会ったアメリカ人は言った。
「そこで、ひとつの主張で事柄を判断することの怖さを知った。」

ホーチミンのベトナム戦争の資料館に
行った時にも思ったのだが、
戦争博物館は、関係ない第三国が
客観的につくれないものだろうか。

そもそも戦争に「客観」があるのかどうかもわからないが。

私は日本が大好きだけど、
ナショナリズムは好きではない。
ちなみに、ライトな人と議論をする気はない。

私は15分でそこを出た。


小日向マリー |MAIL

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