「それは、やめた方がよろしいかと」
千代は淡々とした口調で、そう答えた。 目の前の男は、その返答を予期していたように、その理由を尋ねた。
「それは、何故?」 「私は、くノ一ですから」
薄い笑いと共に、彼女は言って、第三協栄丸と視線を合わせた。
「学園でも…少し危ういところがありますけれど、そこは皆忍の道に生きる者のこと。 こちらの皆さんは…少し、心が清らかに過ぎます」 「何というか、難しいお話ですな」 「要するに、私が兵庫水軍の方を骨抜きにする可能性があるということです」
きっぱりと言い放つ千代の目は、もう笑ってはいなかった。 それは、彼女の経験と、鋭く他人を見通す忍の瞳が、限りなく確実な未来として、その事実を弾き出したからであった。
「たしかに、そうかもしれませんなあ…あの様子だと」 「ええ、そうでしょう。私が誰かの妻でも、そうでなくても、変わりません、そういった本能的な物事については」
お話がそれだけなら、お暇致します。
千代は滑らかな仕草で、席を立った。 これが、手練のくノ一ゆえのものなのか、そうではないのかは、第三協栄丸には分からなかったが、男やもめの彼らにとっては、あまりに眩しい光景には違いなかった。
「千代さん」
一回り大きな声で、千代を呼ぶ。
「重のことは、よく頼みますよ」
どうしてか、そこには緊張が走っていた。 もう既に、是の返事をもらったことだというのに。 こんな話をした後で、妙に気が張ってしまっているのだろうか。
そんな彼の胸の惑いをよそに、千代はにっこりと笑んだ。
「お任せ下さい」
彼女はきっと、上手くやるだろう。 そこに残ったのは、そんな安心感と、潮騒に似た感情のざわめきだけだった。
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