枯渇

2018年10月11日(木)

出演作品を一通りきき返し終えた。
全体の中の役割、立ち位置、展開の流れ、みたいなことを汲んで、ここはもっとこういう風に演じたら、話したら、良いのにって思うところが一度ならずあった。
今だからわかる、見えた、ことだった。

あと、ひとりで完結していて会話が出来ていないと、掛け合い芝居の意味がないよ!ってなる。。
これは前から知っていたけれど。。
たまにかっちり嵌まっていると嬉しくなる。

それはそれとして。
自分の役に入れ込みすぎて、全体がいまいち見えていなかったと気付きはじめたのは、たぶん活動の終盤も終盤の頃だ。その先はもうなかった。
役を愛して愛して愛し抜きたかったから、その役だけを抜き出して集中出来るのは担当CVだけだから、役には全体像なんて見えていないのだから、
入れ込んでこそと思っていた節がある。
それで成り立つ場合もあったけれど俯瞰も大事だ。
狭い視野に全力投球していた。

DL保存していた一リスナーなお気に入り作品もまとめてきき返しはじめた。
たくさんの尊敬と、ちょっぴりの悔しさ。
わたしも、もっともっともっと成長したかった。
それとは別に、作業BGMに、お芝居系の歌もまとめてきき返しはじめた。
ああ、お芝居がしたい、したい、したい、したい、したい……
どうしてわたしはそこにいないんだろう。
羨望と、嫉妬。
でも言葉ほど強烈な感情じゃない。激しい気持ちはどこかへ行ってしまったから。

お芝居をすること。
何かを受け入れ、増幅し、吐き出すこと。
枯渇しているくせに含めないわたしには出来ないこと。

一人芝居を一人でやってみる?と過った。収録や編集は何ならしなくても良い。ひとりでその場でやるだけでも良い。
わたしの中のわたしなりの全盛期は勿論、活動終盤の何とか繋ぎ止めていた頃にすら、少なくとも簡単には、すぐには、どうしたって届かないだろうけれど。
台本は、こだわったものをじぶんで書きたいと思った。でもそれも枯渇しているのだった。
過った、だけだったなあ……。
大体、前の家より防音がかなり弱い今の家じゃ……
大人しい芝居ならまあ良いんだろうけれど……
なんて言いながら引っ越して来た頃に叫ぶ芝居、していた気がするけれど……
……まるぎこえだったかもしれない。…時間帯でまあセーフだと良い…。

読書中に文字を文字としてでなく、お芝居的に立体に想像しそうになり、でもし切れないという、まだ微妙な影響も現れはじめた。
台詞はしっかりとした抑揚を持ち生きて話されている筈なんだよなあと、久しぶりに気付いた。

途中で止まって何年も経つ虹天の外伝小説を書き切りたいとも、不意に思い出しては過るんだ。
キャストさんがキャラクターに命を吹き込んで下さったあとで番外編や特別編を書き足したりもしていたから、
有志の方々が誕生日企画や一周年企画を開催して下さったり、何度かオフ会をしたりもしたから、
キャストさんとキャラクターの距離が他の自企画より近い気が勝手にしていて、わたしの執筆ごと大事に育てて貰った気がして、つまりわたしだけのキャラクターじゃない気がして、
キャラクターたちを、ちゃんと幸せにしてあげなくちゃ、って思う。
みんな苦しいまま止まっているから。
でも枯渇。
みんな奥に引っ込んでしまって遠くて小さくて、わたしの中は見渡す限りからっぽ。
昔の感性もきっと薄れたから、もしまた続きを書けたとしても、改稿しても、途中から違和感のあるくらい根底が変わってしまうのかもしれない。



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