酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2006年04月10日(月) 『デセプション・ポイント』 ダン・ブラウン

 レイチェルは大統領へ提出する機密文書の分析を生業としている。現在、大統領選の最中にあり、レイチェルは大統領からNASAの大発見を確認する使命を受ける。大統領選では対立候補者がNASAの無能さを論い、大統領を追い落とそうと画策している。そしてその対立候補者こそレイチェルの父親だった。レイチェルはNASAを巡り大きな陰謀の渦に巻き込まれてしまう。大統領選の行方はいかに・・・

 ダン・ブラウンおもしろーい! ダン・ブラウンの描く壮大な世界は荒唐無稽に見えながらも、しっかりと現実を浮き彫りにしているように思います。アメリカの抱える《今そこにある危機》をなんとなく読み取ることができたように思います。レイチェルと言うヒロインが美しく気高く本当に素敵。これも映像化されたらヒロイン役は誰かしら。映像で観てみたいわー。ああ、ダン・ブラウンの新作が待ち遠しいです。はまりまくりでありますv

 何ができて何ができないかを決めるのは自分自身でしかない。

『デセプション・ポイント』 2005.4.5. ダン・ブラウン 角川書店



2006年04月09日(日) 『いつもの朝に』 今邑彩

 学校でミラクルボーイと称される眉目秀麗かつ頭脳明晰でスポーツマンな兄・桐人、なのに弟の優太はチビでにきび面のやんちゃボーイ。生物学者だった父親は子供を助けて死亡。画家である母・沙羅の描く絵に必ず登場する《顔のない少年》・・・ふたりの兄弟に沸き起こった出生の秘密と母の家族が惨殺された陰惨な殺人事件。桐人と優太の運命は・・・

 今邑彩さんの物語はホラーであるイメージが強かったため、今回の物語には意表をつかれました。物語のトーンに不気味なホラーな色が流れてはいるのですケレドモ、なんだかちょっと違うのですよね。キリスト教色が強かったですし。犯罪者の血が流れる者の人生について考えさせられました。罪を憎んで人を憎まず、言葉にするには簡単なことですが実際に被害者となった時そういう態度でいることが出来るかどうか。テンポもいいし、謎が謎を呼びぐいぐい読まされました。大きなものを乗り越えて尚且つ揺るがない絆の尊さに感動しました。今邑さんのこういう作品もいいものだなぁ。

「神様は常にここにいるのよ。自己の存在を決して誇示することなく、わたしたちがその存在に気付くまで、根気よくひっそりと秘めやかに」

『いつもの朝に』 2006.3.30. 今邑彩 集英社



2006年04月08日(土) 『愚考録』 貫井徳郎 

 一家四人惨殺・・・早稲田卒のエリートサラリーマンと美人妻、そしてふたりの子供が殺された。犯人は不明。ある人物が旦那と妻と交流のあった人たちにインタビューをし、その忌憚ない発言からふたりの人間が浮き彫りにされて行く・・・

 これね、ものすごーく怖いんです。なにが怖いかってまずはインタビュアーが怖い。事件に遭った被害者の人間関係にインタビューをする人物の意図が読めない。いったいなんのために聞いてまわっているのだろう?と疑問に感じてしまってすごく怖かったですね。そしてインタビューに答える人たちの深層心理が恐ろしいまでに怖いです。ここまで赤裸々に語れるものなのだろうか、と。こういうパターンの物語運びって今までにも読んだことはありますが、今まででぴか一にウマイと思いました。インタビュー形式でインタビューされている人物と被害者の人間性や表情がハッキリ浮き上がってくるから。だからこそ見えないインタビュアーの存在や真意が底知れず怖いんですよね・・・。現代のホラーかもしれないなぁ。参ったなぁ。

 人生って、どうしてこんなにうまくいかないんだろうね。人間は馬鹿だから、男も女もみんな馬鹿だから、愚かなことばっかりして生きていくものなのかな。あたしも愚かだったてこと? 精一杯生きてきたけど、それも全部愚かなことなのかな。ねえお兄ちゃん、どう思う? 答えてよ。ねえ、お兄ちゃん。

『愚考録』 2006.3.30. 貫井徳郎 東京創元社 



2006年04月07日(金) 映画『ブロークバック・マウンテン』

 1963年夏、ワイオミング州ブロークバック・マウンテンで羊番の仕事で出会ったイニスとジャック。ふたりは美しい大自然の元で互いを思いあい、いつしか友情が愛情へと移行し、結ばれる。しかし、保守的なアメリカ西部のこと同性愛などもってのほか。イニスは後ろ髪を引かれる思いで婚約者の元へ戻り結婚をする。またジャックも金持ちの娘と出会い結婚をする。それぞれの人生を歩むかに思えたふたりだったが、思いは断ち難く、折に触れふたりでブロークバック・マウンテンへ行き愛を確かめあう。そして20年という月日がふたりにもたらした結末は・・・

 ゲイ西部劇などと言われた映画ですが、いやぁ普通に美しい恋愛映画で、ただ相手が男と男だっただけでした。美しく雄大な自然の元で愛し合う男と男、性が同じであると言うだけで許されないふたり・・・なんとも切なくも美しい物語でした。男同士のラブ・シーンがこんなに綺麗で自然だナンテほんとに驚いてしまいました。可哀想だったのはイニスの奥さんです。ふたりが再会して激しく求め合う瞬間を目撃してしまったのですから。あれは辛いだろうなぁ。愛する男の心が自分以外のもので、その相手が男だなんて・・・それはもう苦しんだと思います。愛し合う人たちが、その性別ゆえに差別され糾弾されることは間違っていると思います。なにが歪か何が正しいか、いったい誰が決めたのでしょうね。不思議で切なくて清々しい映画でした。やっと観ることができました。



2006年04月06日(木) 『25時のイヴたち』 明野照葉

 子供を産んでから不感症となってしまった真梨枝、仕事に生きるうちにストレスから味覚障害となってしまった理沙。ふたりは心に鬱屈したものを抱え倦怠感とともに生きていた。ふたりはインターネットのアンダーグラウンドで女だけの会員制隠しサイトの存在を知り、FM−ペンタゴンの書き込みで知り合い意気投合する。電脳世界から飛び出し、現実のオフで出会ったふたりはまるで恋に落ちたかのように接近して行く。そしてふたりはだんだんと禁断の行為に足を踏み入れてしまい・・・

 天晴れ、明野照葉! いやぁ、ダイスキな大好きな明野照葉さんがまたまたやってくださいました。これはかなり面白い! 明野照葉さんの描く女たちの日常って残酷なまでにリアルで心に痛く、ぎりりぎりりと歯軋りをしてしまう感じで読まされてしまいます。同族嫌悪なんて可愛いもんで女が女を嫌いになること間違いなし(笑)。そしてこれでもか、これでもかと暗黒さを突きつけて最後にすっと落とす。この落ちが明野照葉ならではなんですねぇ。今回の落ちはどうくる?明野照葉!?っと勢いこんでいましたが・・・まさかこう落とすとはなぁ。いやぁしびれました。上記あらすじには書きませんでしたが、とんでもないモンスターが登場していて、これがすごい。体型的に異様な太りようをしていて負のオーラを放つ女、想像しただけで背筋が冷たくなる悪魔。このモンスターをこう動かすのか。うーん想像できなかった。やはり明野照葉は面白い。ものすごく好きだー。

 (賢いということは、油断がならないということ。ある意味、怖いということ)

『25時のイヴたち』 2006.3.25. 明野照葉 実業之日本社



2006年04月05日(水) 『嫌われ松子の一生』 作画;空知周太郎

 2003年に衝撃を受けた小説の一冊『嫌われ松子の一生』が漫画化され、映画公開も控えています。確かに大きな力を内包する物語で強烈ではありましたケレドモ、まさか漫画化、しかも映画化ナンテちょっと驚いています。気になるので漫画を買って読んでみましたが、小説ほどエグイものではなく、サラリと淡々と描かれていました。映画はもっと違う角度で描かれているようなので楽しみにしています。これだけの力を持った物語となると小説を越えることは難しいですね。

『嫌われ松子の一生』 2006.3.24. 作画;空知周太郎 幻冬舎コミックス



2006年04月04日(火) 『あらしのよるに』 きむらゆういち

 ある嵐の夜に小屋に非難したヤギと狼がいた。その嵐の夜、二匹は互いの姿が見えず、会話だけで意気投合する。次に会う日を約束して別れた二匹は、約束の日に互いの正体を知り唖然としてしまう。なぜなら二匹は食う者と食われる者で友だちになんてなれないから・・・

 この物語は1994年に発表されてロングセラーとなり、去年は映画化までされてしまった優れものだそうです。実はこの物語がそんなに前に描かれていたこともシリーズ化されていたことも存じ上げませんでした(恥)。なんとなく知っていたのは話題になっていることと映画化されたことだけでした。小学生の国語の教科書にまで載っているのですね。すごいなぁ。
 私の読み方が邪道なのか、動物版ロミオとジュリエットだなぁと思ったのですが、どうも友情の物語の方が正解みたいで。でもそれにしてもホモだよなぁと思えるほどに二匹の間にラブラブ感を感じてしまうのです。うーん。まぁいずれにしてもここまで深い絆を築き上げることが出来るって本当に心に暖かいことですね。

 怒って、笑って、泣いて、必死に生きて、そして誰もが必ず死んでいく。
 生きものってみんな一生懸命で、みんなはかなく、それがいじらしくて思わずほほえんでしまう。

『あらしのよるに』 2006.1.1. きむらゆういち 小学館



2006年04月02日(日) 『りはめより100倍恐ろしい』 木堂椎

 羽柴典孝は中学時代《いじり》キャラだった。誰もに愛され親しまれているように見えるが、リクエストに答えてフザケ続ける辛さが身にしみていた。高校に入り、いじられる側からいじる側へ無事シフトできた典孝だったが、バスケット部の仲間に妙に絡まれ始める。これでは中学時代の二の舞になってしまうと慌てた典孝は友だちをスケープゴートに仕立てあげるのだが・・・

 ライトタッチで描かれた現代の中学・高校生の姿が心に痛くほろ苦くありました。インパクトのあるタイトルの《り》は《いじり》の《り》で、《め》は《いじめ》の《め》なのですね。《いじめられる》より《いじられる》方がしんどいと言う意味は読んでいればよーくわかります。典孝の行為は赦せないこと、でもわからないでもなく・・・なのにキッチリラストに・・・と言うハッピーエンドではないところに作者のトテツモナイ厳しい目を見ました。高校生だからこそ書けたのかもしれませんね。さらりと読みやすいケレドモ心にずっしり残る物語なのでありました。
 
 いじめなんかよりいじりのほうが全然怖いと思う。一文字違うだけだが、りはめより100倍恐ろしい。どちらも地獄なのだが、両者には決定的な差異がある。

『りはめより100倍恐ろしい』 2006.2.20. 木堂椎 角川書店



2006年04月01日(土) 『県庁の星』 桂望実

 Y県のエリート県庁マン野村聡は人事交流研修にスーパーへ行くことになった。民間への研修は選ばれた者だけが参加でき、1年後に県庁へ戻った時には今より高いポジションが約束されている。意気揚揚とスーパーで働く野村だったが、お役所仕事と毎日がドタバタなスーパーでは仕事のやり方も考え方も全く違う。「県庁さん」としか呼んでもらえない野村の孤独な戦いが始まった。そしてそれは凝り固まっていた自分との闘いなのであることに気づいた時に野村は・・・

 読みかけては後回しにしていた人気の物語なのでありますが、やっぱり映画化されるくらいのモノってハズレナシだよなぁと感動しました。しかも映画化されたスーパーは岡山の高梁市というところで撮影されたのだそうです。知っていたら見学に行ったのに残念。地元の人たちがエキストラで参加したとか。さすがに映画館に足を運ばずにテレビでのオンエアを待ちますが、たぶんなかなかいい映画になっているだろうなぁと想像します。物語の中ではスーパーのおばちゃんが県庁さんに立ちはだかっていますケレドモ、映画では柴咲コウちゃんがやってるみたいなので登場人物を変えたのかしらね。織田裕二くんは県庁さんにピッタリな気がします。最初はお役所人間そのままのガチガチで滑稽なエリート意識をうまく表現されてるんじゃないかしらん。あ、ちょっと劇場でも観たいかも(笑)。人間っていうのは環境や周りの人間によって変わって行けるものなのだとしみじみ感じました。

「中身を見る力のないヤツは、印刷されてる数字を信じるしかない。魚の目を見れば新鮮かどうかすぐわかるものなんだ。昔の人はきちんと見てたよ。今は切り身しか食べない客が多いから・・・・・それだってちゃんと見れば、品の良し悪しはわかるはずなんだ」

『県庁の星』 2005.9.20. 桂望実 小学館



2006年03月31日(金) 『天使と悪魔』 ダン・ブラウン

 ロバート・ラングドンはセルン所長コーラーから絶滅したはずの秘密結社《イルミナティ》の紋章を焼き付けられた死体を見せられる。殺された科学者が発明した反物質を《イルミナティ》が奪い、ヴァチカンへ・・・!? 《イルミナティ》は自分達を迫害した宗教の象徴ヴァチカンで次々と殺人をおかす。巻き込まれてしまったラングドンはヴァチカンを救うことができるのか?

 『ダ・ヴィンチ・コード』があまりにも面白かったのでダン・ブラウンの作品を追いかけはじめました。この『天使と悪魔』は『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公ラングドンのデビュー作。これがまたトンデモナイ面白さ。「読み始めたら止められない」って言う惹句に嘘偽りナシなんです。このスピード感でこの読みやすさは素晴らしいと思います。もう大ファンですv この作品も映像化されるといいと思うのですケレドモ、ヴァチカンが舞台ってむずかしいのかしら。映像で見たいなぁ。

「あなたがたに欠けているのは、まさにその信憑性だよ。ミズ・ヴェトラからまだ聞いていないだろうが、セルンの科学者は何十年にもわたってヴァチカンの方針を非難してきた。創造論を取り消し、ガリレオとコペルニクスに対して正式に謝罪し、危険で不道徳な研究に対する批判を撤回するよう、陳情を繰り返している。さて、ふたつの筋書きのどちらがもっともらしく聞こえるだろうか − 四百年前に存在した悪魔的集団が最新の大量破壊兵器を携えてふたたび現れたという筋書きか、それともセルンの不届き者が周到ないかさまでヴァチカンの聖なる儀式を混乱させようとしているという筋書きか」

『天使と悪魔』上下 2003.10.30. ダン・ブラウン 角川書店



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