酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2005年10月09日(日) 『悪党たちは千里を走る』 貫井徳郎

 埋蔵金詐欺で一発当ててやろうとしていた高杉と園部は、先客の美人詐欺師にあっさり撃退されてしまう。次に人間はできないが、と犬の誘拐を企てるのだが、美人詐欺師と犬誘拐(するはずの)先の子どもが乱入してきて・・・

 貫井さんがこんなふうなコメディタッチで物語を書かれるんだ〜v とても面白かったです。悪党達がぬけていて憎めなくて。悪党達を翻弄する少年・巧くんも小憎らしいほどにずる賢くてかわいくて。日常に密接したせこい犯罪なんかも笑えました。そんなことするより汗水たらして働きなさいよってくらいせこい(大笑)x この物語の良さは三人の悪党(小悪党)と少年の交流だろうな。本当の悪人じゃない。うん、とてもいい感じに楽しめました。オススメv

「そうなの? 詐欺師稼業も辛いねぇ」

『悪党たちは千里を走る』 2005.9.25. 貫井徳郎 光文社



2005年10月08日(土) 『アッコちゃんの時代』 林真理子

 バブルの時代、地上げの帝王と呼ばれた男の愛人となり、その後キャンティの五十嵐さんの妻となった女。二十歳そこそこの女の子が狂乱と濃厚な時代の象徴だった・・・。

 これはどうやら本当に実在した女性を描いているようです。主人公の美女アッコちゃんのマブダチの美女が故・尾崎豊夫人らしいことも興味深いです。あの時代のスキャンダルも散りばめられていて「へ〜」と思ってしまった。
 いいとか悪いとかよりも、したたかに逞しく美しいアッコちゃんが伝説となったのはうなづけるなぁ。こういう女性となら会ってみたいもの。

 けれども違う、違う、違うのだ。文字に書かれていることは正しくても、事実はまるで違う。文字はただの記号で、起こったことは生きている。死んでいる活字が、どうして生きて動いていることを描写できるのだろう。

『アッコちゃんの時代』 2005.8.30. 林真理子 新潮社



2005年10月06日(木) 『楽園の眠り』 馳星周

 友定伸は息子・雄介を虐待していた。妻が雄介を置いて家を出て以来、愛情があるのに快楽のように暴力を振るい、ストレスを発散する日々。大原妙子は父親に虐待されていた。尻を叩かれ、その行為に興奮する父親を嫌悪していた。ダイスキな男の子どもを身ごもり、嬉々として彼に報告するが、彼に腹を蹴られ流産してしまう。そんな妙子が雄介と出会い、雄介の身体に虐待の後を見つけ、雄介を連れて逃亡をはじめる。雄介への虐待が明るみに出ると困る友定伸は執拗にふたりを追いかける。伸は警察官だった・・・

 ノワールとして読むならば、面白い。でもこういうの駄目な人も多いだろうな。父親からの虐待(性的なものも含めて)は、どんなに子どもの心に影を落とすことか・・・。愛情いっぱいで子どもに接する事ができない人間は子を持つ資格などないのではないかしら。精神的に子どもなままの大人は子どもを作っちゃいけないわ。雄介少年が天使の様に可愛いだけに痛々しかった。ううう。ラストがねぇ、そうきちゃうわよねぇ。ほんとにねぇ・・・。

 どうしてだろう。泣くほど悲しいのに、辛いのに、どうしてやめることができないのだろう。

『楽園の眠り』 2005.9.30. 馳星周 徳間書店



2005年10月05日(水) 『箪笥のなか』 長野まゆみ

 親戚から譲り受けた古い紅い箪笥。留め金具は蝶の形を施されているが、小抽斗の一方の留め金具だけは蝙蝠だった。この抽斗から様々な不思議が現れる・・・

 仲の良い姉弟が自然と不思議に巻き込まれる。静かな雨の日に不思議で優しい心持になるような物語たち。これはなかなかステキだなぁ。彼女の家に似合う箪笥。こういうココロ優しき人々ならではの不思議なんだろうなぁ。

 コハクはこうやってタマシイを吸い寄せるんだって。・・・・・タマシイだけでも連れて帰れたら、いいよねえ。

『箪笥のなか』 2005.9.5. 長野まゆみ 講談社



2005年10月04日(火) 『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩

 時子叔母が亡くなり、久美は家宝の「ぬか床」を引き継ぐ事になった。このぬか床は呻く・・・しかも卵ができてしまった!? 受け継いできたぬか床にこめられた呪縛。囚われて生きるのか、解放されるべく動くのか。

 なんだかショックでした。こういう物語を紡ぎだせる才と言うのは、いったいどこにあるのだろう。生きるということをしっかり見据えなければと思わされると言うか。飄々と描かれた怪異がひたひたと怖いんですよね。妙に迫力があり心にずっしり残りました。魂抜け気分だった。これはオススメv

 母はそんなこと、どうでもよかったんだろう。僕が、新しい命にたぶん、望むように。解き放たれてあれ、と。母の繰り返しでも、父の繰り返しでもない、先祖の誰でもない、まったく世界でただ一つの、存在なのだから、と。

『沼地のある森を抜けて』 2005.8.30. 梨木香歩 新潮社



2005年10月02日(日) 『弓削是雄全集 鬼』 高橋克彦

 陰陽寮(おんみょうりょう)は、占い・天文・漏刻・暦の編纂を担当する内裏の機関のひとつ。市中警備はもとより、盗賊の捕縛、殺人の詮議はいずれも検非違使庁の務めであるのだが、鬼の存在が信じられていた時代、まともとは思えぬ死骸や出来事が生ずると、その解明は専ら陰陽寮に委ねられた。陰陽師として人々から信頼を得ていた弓削是雄は、仲間たちとともに様々な鬼と対決する・・・

 陰陽師と言えば、安倍晴明が代名詞のようになっていますが、高橋克彦さんは弓削是雄という陰陽師に目をつけられました。弓削是雄が鬼と関わるうちに次々とユニークな仲間たちが増えていくところも読みどころv この『弓削是雄全集 鬼』は、異なった出版社から出ていたものをひとつに纏めるという力技で生まれた豪華版。そしてこれに止まらず、まだまだ是雄の活躍は続いていきそうです。
 しかし・・・鬼や妖しの恐ろしさよりも人間の欲や業の深さの方がおぞましく感じられるのですよね。

「いつの世でも人は鬼より怖い。儂らは鬼を相手にしている方が気楽に生きていかれる」 

『弓削是雄全集 鬼』 2005.8.10. 高橋克彦 講談社



2005年10月01日(土) 『天使のナイフ』 薬丸岳

 桧山貴志は、愛する妻・祥子を少年(13歳)たち三人に殺された。残されたひとり娘・愛美を祥子の友人で保育士のみゆき先生に預け、オーナー店長としてカフェを切り盛りしている。祥子の事件から4年、犯人の少年の一人が殺される。桧山にはアリバイがなく、復讐目的の殺人かと疑われてしまう。たったひとりで事件の真相を追いかけるうちに、桧山は祥子の隠された過去を知ることとなり・・・

 二転三転する物語は、トテモ面白かったです。この物語の根底にある少年法に対する疑問は、今の世の中の人たちも多かれ少なかれ感じている思いなのではないかしら。現実でも少年法に守られた少年が社会に復帰し、また事件を起こすという悪循環をたびたび耳にします。そんな時、更生するとは、罪を償うとはいったいどういうことなのかなと頭を抱えてしまいます。やり直すチャンスをいただいておきながら、同じ事を繰り返すナンテ愚かとしか言いようが無いですね。愛する者の命を奪われた人間が、復讐として犯人の命を奪うならば自らも加害者となってしまう。命の尊さを幼い頃からキッチリ教える、それしか術はないのかもしれません。重いテーマであるにも関わらず、さくさくと読ませてもらえました。これも映像化するでしょうね。

「だけど、あなたは更生はしなかったんだ」

『天使のナイフ』 2005.8.8. 薬丸岳 講談社



2005年09月30日(金) 『禅定の弓 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学教室の大学院生・伊月崇は、高槻市内で連続する小動物殺害事件に憤っていた。幼馴染で刑事の筧と共に拾った猫をししゃもと名づけ、可愛がっている崇は小さな命を慈しむ優しさがある。そこへ解剖が入り、焼死体と思われていた老人の遺体が死んでから火災に遭ったことに気づく。全く関係のないと思われていたふたつの事件がクロスした時、見えてきた真相とは・・・

 さてさて“今の段階で”出ている鬼籍通覧シリーズはここまでです。噂では年内に鬼籍通覧を出せと担当さんから椹野道流さんは言われているとか、いないとか(笑)。これって1年以上前に出たんですものねぇ。果たして年に一度のインターバルを守れるか、否かっ!? 早く出して欲しいのはファンの心でありますが、生み出す苦しみは大きそうなので、あまり言えないかしらん。でも読みたい(本音)v
 この『禅定の弓』を初読みした時に、肩透かしだった記憶があります。今回鬼籍通覧シリーズを通して読んで、その勝手な肩透かしの訳がわかりました。ひとつには鬼籍通覧にオカルトものを求めすぎていたこと。最初がそちら路線だったのでインパクトが強かったための思い込みでした。もうひとつは伏野ミチル姉さんが脇すぎて、伊月崇と筧が全面過ぎると感じたこと。これは本当に私がミチル姉さんを主軸に捉えすぎていたせいでした。はじめからこのシリーズの主は崇なんですよね。間をあけて読むと自分の勝手なイメージ膨らませすぎてだめだわ〜。反省。
 今回の物語にも人間の抱えている闇が浮き彫りにされています。犯人たちの姿や動機が見えてきたとき、やっぱりなんとも胸に苦しいしこりが残りました。崇や筧のような心優しき人間ばかりじゃないからなぁ・・・。
 前作に続き、ダイスキな都筑教授はタイトルの意味を崇に教えています。都筑教授とミチル姉さんと龍村さんに鍛えられて崇は本当に幸せものだわー。

「そういうこっちゃ。智恵言うても勉強だけとは限らん。人間は生きていくうちに、色んな経験をして、その人なりの『慧の矢』を手に入れるんやろう。けど、今の世の中、その智恵を正しゅう生かすための『禅定の弓』を手に入れるんが、ホンマに難しいんかもしれへんな」

『禅定の弓 鬼籍通覧』 2004.7.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月29日(木) 『隻手の声 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学教室の大学院生・伊月崇は、幼馴染の筧の部屋でAWというネットゲームにはまってしまう。ゲームで知り合ったブルーズというプレイヤーのことが気にかかって仕方ない。リアルでは、都筑教授とミチル姉さんの可愛い子には旅をさせよ(?)的考えで崇は週に一度兵庫県監察医務室・龍村泰彦のもとに修行に出されることとなる。迫力満点の龍村の元で負けん気だけは強い崇が見つけてしまった赤ん坊の死因とは・・・

 鬼籍通覧の4作目です。司法解剖だけでなく、行政解剖もこなせた方が崇のためだと都筑教授とミチル姉さんは崇を龍村のもとへ修行に行かせることにします。崇は龍村のことがトッテモ苦手(笑)。龍村にもまれて崇は成長していくのでしょうね。またこれでスムーズに龍村さんが登場しやすくなるってもんですねーv 都筑教授と龍村さんというタイプは違えど“いい男”から色々学べてうらやましいぞ>崇v がんばれ(笑)>崇
 今回もタイトルが示す「隻手の声」の主のことがわかった時に、切なくなってしまいました。心の目で見て心の耳で聞く・・・。前三作ではタイトルの示す言葉を都筑教授がミチル姉さんに話してくださっていましたが、今回は崇に向って。ここが方向転換だったのかなぁ・・・。

「せや。相手の姿を心の目で見て、相手の声を心の耳で聞こうとせなアカンの違うか。僕にはま、ようわからん話ではあるけど、あんまり焦ったらことをし損じるで」

『隻手の声 鬼籍通覧』 2002.9.5. 椹野道流 講談社ノベルス



2005年09月28日(水) 『壺中の天 鬼籍通覧』 椹野道流

 大阪府高槻市O医科大学法医学室に伊月崇がへろへろになって現れた。昨日、幼馴染で刑事の筧とゲーセンのDDR(ダンス・ダンス・レボリューション)で奮闘しすぎたらしい。その昼に都筑教授とミチルと崇が昼食に出かけ、そのゲーセンを通りかかると事件に遭遇。奇しくもDDRの台の上に若い女性が失血多量で倒れていた。昼食から戻ったら解剖か、とため息混じりに教室に戻った彼らに届いた知らせは「ホトケが消えた」と言うものだった・・・

 都筑教授とミチルさんと崇が見て死を確認したはずのホトケさんが、極楽袋から消えた。世にも奇妙な現象から彼らが辿りつく事件のあらましは、なんとも言えず不思議で身につまされるものでした。タイトルの壺中の天の意味するところがなんともねぇ。やるせなくって。この回から兵庫県監察医の我らが龍村泰彦が登場v ミチルさんと同期のお友達。奇談シリーズとのリンクも楽しめます。龍村さんって素敵なバイプレイヤーだわ〜。あと筧と崇が面倒を見ることになる猫のししゃもも出てきます。ししゃもってネーミングにはやっぱり笑えてしまう。
 この鬼籍通覧シリーズは(巻末で椹野道流さんが述べられていますが)、なかなか難産の末に生まれる作品のようです。書かれている文章を読ませていただいていると、作家さん自身が少し見えてくる気がします。椹野道流さんの場合、サラッと書いているようでずいぶんと考えながら書かれているんだなってことがしっかりと伝わってきます。なんて言うんだろう。言葉に対する責任感を教えてくださるんですよね。だから登場するキャラたちも決して軽くない。文は人なりってこういうことなのだろうなぁ。

「ええもんやなあ・・・・・・。あんな事件のあった墓場で、新しい命を拾うて来るとは。何や、命は巡るっちゅう説を、信じたくなるわな」

『壺中の天 鬼籍通覧』 2001.6.5. 椹野道流 講談社ノベルス



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