酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
DiaryINDEX|past|will
2005年02月22日(火) |
『果てしなき渇き』 深町秋生 |
藤島は妻の不倫相手をボコボコにし、警察を依願退職。家庭を顧みず、仕事仕事だった藤島は、職場も家庭も失ってしまう。警備会社で働くようになり、パトロール中にコンビに強盗殺人事件に遭遇。しかも元妻から娘が失踪したと連絡が入る。娘を捜すうちに皮肉にも自分の過去を知っていく事になるのだが・・・
ノワールばんざーい! 読者を選ぶ作品と選考会で問題になったそうですが、私は諸手をあげてソノ読者に選ばれたい。ぐろいわ、えぐいわ、残酷だわ。フィクションだからこそ(現実に起こったら引きます)の気持ち悪さに弄ばれたという感じでした。主人公の藤島が壊れに壊れていくさまも小気味よいほどv そして輪郭を掴む事が難しい影のヒロイン藤島の娘・加奈子が非常に魅惑的でした。人を破滅させるほどの女って魔性だ〜(涎)。
女は思った。もしこの世に悪魔がいるとすれば、それはきっと彼女のような姿をしているのかもしれない。欲望にとりつき、蟲惑的な魅力を振りまき、人を破滅に追いやる。
『果てしなき渇き』 2005.2.10. 深町秋生 宝島社
2005年02月21日(月) |
『いま、会いにゆきます』 市川拓司 |
たっくんは愛する妻・澪と死別して6歳の息子・祐司と暮らしていた。たっくんは頭の中の化学物質のせいで様々な不具合の中で頑張ってシングルファーザーとして生きている。夜眠る前にたっくんは「アーカイブ星」のお話を祐司に話して聞かせる。この星へ澪は行ってしまったのだ。そしてある雨の日、澪がアーカイブ星から帰って来て・・・?
話題になった物語を横目で見ながら通り過ぎそうになることがあります。この物語もそうなりそうだったところ、知り合いが絶賛していたので覚悟を決めて(泣くと思っていたので)読みました。読んでよかった。素直に心からそう思う。 とにかく文章がものすごく好みです。間の取り方とか、会話のキャッチボールの軽妙さとか。そして・・・なにより登場人物(&犬)のキャラクターが素晴らしい! 魅力的な人たちばかりなのであります。物語自体も展開がうまかった〜。このタイトルはいったいどこで呼応するのかと考えながら読んでいたので、判明した時には涙がダダダダダーッと零れ落ちてしまって。 もう読んだ人が多いと思いますが、もしまだ読んでいない人がいたらオススメですよ。映画も必ず観ようと思っています。号泣覚悟でv ポコポコ
「我々は生きていくよ。どれだけ別れを繰り返しても、どれだけ遠い場所に流されても、それでもね」
『いま、会いにゆきます』 2003.3.20. 市川拓司 小学館
2005年02月20日(日) |
『さまよう刃』 東野圭吾 |
長峰重樹は、亡くなった妻が残した一人娘・絵摩を溺愛していた。高校生になった絵摩は父にねだって買ってもらった浴衣を着て、友達と行った花火大会の帰りに行方不明となる。そして発見された娘は、彼女を拉致した少年たちによって心も身体も壊され死んでいた。たった一人となってしまった父は・・・
はぁ、とてつもなく「すごい」物語です。登場する加害者の少年の悪魔(モンスター)ぶりに怒りを覚える人は多いことでしょう。私は読んでいくうちに「殺せ、殺せ(加害者の少年を)」と本気で思いましたもん。確かに法律で犯罪を犯した少年は守られているし、それをリンチで裁くことは許されないこと。でも「そんな馬鹿ども殺してしまえ」・・・そう思わずにはいられないわよ。もしも彼らにふさわしい罰が法律で与えられることとなろうとも、残された遺族の心はどうにもなりはしない。そしてたとえ己が復讐を遂げたとしても壊された心は元に戻りはしないですね・・・。いったいどうすればいいのでしょうか。哀しくて辛くて心が揺さぶられる物語でした。
不意に人間が生きていることの意味がわかったような気がした。それは単に食べて呼吸しているだけのことではない。周りの様々な人間と繋がり、いろいろな思いをやりとりしているということなのだ。いわば蜘蛛の巣のような網の目の一つ一つになることだ。人が死ぬということは、そんな網から結び目が一つ消えることなのだ。
『さまよう刃』 2004.12.30. 東野圭吾 朝日新聞社
2005年02月19日(土) |
『明日の記憶』 荻原浩 |
佐伯は広告代理店の営業部長50歳。最近物忘れが激しく「誰だっけ。ほら、あの人」と言うような言葉が増えた。まだまだ若者に負けないつもりの現役バリバリ気分だった佐伯を若年性アルツハイマーという病魔が襲い掛かり・・・
ものすごく哀しい物語でした。働き盛りの男を襲った若年性アルツハイマー。佐伯の孤独な闘いに胸が痛い思いをしました・・・。 アルツハイマーと痴呆は違い、通常の痴呆は脳の血管異常が考えられ、アルツハイマーは脳内神経細胞をそのまま冒されてしまうそうです。現在の医療では修復不可能のため治癒は望めない・・・。生きることすら忘れてしまう死に至る病。自分の愛する人がそんな病に蝕まれたら、いったいどうすればいいのでしょう。 生まれて生きて死に至る。ごく普通に全う出来る人もいれば、理不尽な苦しみにあがいて無念の死を迎える人もいる。生まれつきと言えばそれまでかもしれないけれど、あまりにも理不尽です。自分の愛した人が若くして病に連れて行かれたことを思いおこし、泣きに泣けました。
『明日の記憶』 2004.10.25. 荻原浩 光文社
2005年02月18日(金) |
『霧笛荘夜話』 浅田次郎 |
港町の古いアパート霧笛荘。管理人のおばあさんが六つの部屋をかつての部屋の主の思い出とともに語る。自殺しようとしている女・幸せな生活を捨ててきた女・中途半端な心優しいやくざ・ロッカーとなった少年・女を捨てた女・キャプテンとなったマドロス・・・
浅田次郎さんらしい心優しき人たちの物語でした。さまざまな人生があり、苦しい哀しい過去を持つ人たち。でも健気に生きて人生を後悔していない清々しい幸せを感じました。まぁ、この人はうまいから。個人的に一番好きな話は女を捨てておなべとして生きた女性の物語でした。すごく素敵な人・・・うっとり。
『霧笛荘夜話』 2004.11.30. 浅田次郎 角川書店
2005年02月17日(木) |
『春を嫌いになった理由』 誉田哲也 |
瑞希は語学堪能同時通訳者志望の26歳。英語のほかに日常会話程度のポルトガル語とイタリア語をたしなむプータロー。訳あって親に借金あり。テレビ局敏腕プロデューサーの叔母・織江に超能力者(霊能力者)エステラの通訳を頼まれる。瑞希は超能力も霊能力も大嫌い。しかし、親への借金返済のため渋々引き受ける。エステラの霊視や織江の傲慢さに振り回されながら、生番組で事件が・・・?
これは面白かったです。個人的な欲を言えば、ラストが違った方向に落ちて欲しかったけれど、これもありだろうと。エステラと瑞希と織江の織り成す人間模様が良かったです。しかし導入部分には「ゲ」と驚かされました。つかみはOKであります。
人が見ている世界には、個人が望むと望まざるとに拘らず、必ず意味があるものよ。
『春を嫌いになった理由』 2005.1.25. 誉田哲也 幻冬舎
2005年02月16日(水) |
『おんみつ蜜姫』 米村圭伍 |
九州豊後温水(ぬくみず)藩の蜜姫は、本来なら江戸で育てられるところ、あまりのやんちゃっぷりに国許で育てられる。父の密かな企みで讃岐風見藩に嫁入りが決まりそうになった時、父が暗殺されそうになる。温水藩と父のために蜜姫は自ら隠密となり、将軍吉宗のもとまで旅をするのだが・・・
うははははは(大笑)v キュートで暴れん坊な姫君が破天荒に活躍する痛快時代劇でありました。米村圭伍さんの本は装丁のイラストにいつも惹かれていて、今回念願叶って初読みとなりました。これって評判いいはずだわー。 蜜姫と蜜姫に付き合う(渋々と)忍び猫タマ、そして蜜姫の母上様。最高のキャラたちでしたよー。他にも面白い人がいっぱい出てくるーv まぁ、是非に読んでみていただきたい物語なのであります。とってもお茶目さんですよー。ラブリィv
「そなたも、ただ隠密家業とやらにうつつを抜かしていえはなりませぬ。旅を通じて、いかにすれば凛として生きる娘になれるのか、会得してお戻りなさい。当節は男衆のみならず娘の風儀も乱れています。おなごだからとて、美しい花として咲くばかりではいけません。蜜には、凛として咲く娘になってほしいの」
『おんみつ蜜姫』 2004.8.20. 米村圭伍 新潮社
2005年02月15日(火) |
『しゃぼん玉』 乃南アサ |
人生を投げ出し、通り魔を繰り返し、逃げ続けていたイズミは、宮崎に迷いつく。怪我をした老婆を助け、彼女の家に転がり込んだイズミは、生まれて初めて正面から人と接するようになり・・・
人生って思うようにならないものですよね。迷ったり、頭打ちだったり、苦しんだり、恨んだり、泣いたり・・・。でもそれを自分以外のなにかの責任にしてしまうかどうかで人生は決まるのだと私は信じています。自分が生きている全ては自分の選んだ末のこと。自分以外の誰も責任なんて取ってくれない。そこを間違えないでいられたら、きっと人生は何度でもやり直せるはず。腐らないで自分のできることを捜して前向きに生きていけたらいいな、と素直に思わせていただけました。
「自分の力じゃあ、しょうがねえことも、そりゃあ、あるばい。じゃけんど、自分の生き方についちゃあ、しょうがねえって諦めたら、そこで終わりばい。諦めたら、人生なんかやり直せねえ。どげに若くても」
『しゃぼん玉』 2004.11.30. 乃南アサ 朝日新聞社
2005年02月13日(日) |
『ニッポン泥棒』 大沢在昌 |
尾津は優秀な商社マンだったが、今は妻に離婚され、ハローワークに通う64歳。心の隙間から目をそらし、日々を大切に生きようとしている毎日。そこへアダム一号と名乗る男が、尾津はアダム4号だと接触してきた。引きこもりだったという男の持ってきた話は、尾津には破天荒で信じようにも想像もつかない世界だった・・・
大沢親分だからこそ、こういうテーマを面白く最後まで読ませてくれたのだろうなぁ、と。インターネットやパソコンに知識のない尾津が、若き頭脳集団が発明したとあるシュミレーション・ソフトの解凍の「鍵」の片割れに勝手にされていたなんて尾津のとまどいはどれほどだっただろう。かわいそうに。それでも大沢親分の描く男らしく正面から闘うのでありますが。果たしてその結末やいかにー!?って感じですね。今の時代をしっかり捉えた面白い物語でした。ちょっとむずかしかったけど(本音)。
『ニッポン泥棒』 2005.1.15. 大沢在昌 文藝春秋
2005年02月12日(土) |
『なんにもうまくいかないわ』 平安寿子 |
並河志津子42歳独身バリバリキャリアウーマン。なんでもかんでもあっけらかーんと喋ってしまうため、人からは無神経と思われている。仕事が出来て人情家でいいかげんで、そしてとってもいい女。
面白かったですねー、この志津子って女性。なんて言うか何でもかんでも喋ってしまう性質の悪い女のように見られがちだけど、すっごく一生懸命生きていることが伝わってくるのです。どんな形であれ、完璧な幸福なんて存在しない。隣の芝生は青いけど、自分の道を自分らしく進めばよいのだと実感しました。志津子すきv
「そうじゃないけど・・・・・・しゃべっちゃうのよ。忘れられないいろんなことがあって、酔っぱらったりすると、口からどんどん出てきちゃう。どんな出来事も、あったことはみんなわたしの中で生きてて、ピョンピョンはね回ってるのよ。躾の悪い、わがまま犬みたいに」
『なんにもうまくいかないわ』 2004.11.30. 平安寿子 徳間書店
|