産後の回復の差
 先日書いた「帝王切開その後」、読み返して反省。
 偉そうなこと書いて、やな感じだ。あーあ、どうしよう・・・
 苦し紛れに言い訳させてもらうと、正直「経膣分娩」者に対しての嫉妬、もちろんありました。←自分の遅婚は神棚にあげている
 でも、それ以上に「自然分娩」=「経膣分娩」 偉い度数「経膣分娩」>「帝王切開」という図式というか、何と言うかそれがヤだったもんで。つい、偉そうに書いてしまいましたい。ごめんなさい、お産に上下も優劣も楽も無いのにね。
 ということで、話題変えます。産後の回復の差。コレ、目からうろこでした。もちろん「経膣分娩」と「帝切」のお母さんの差ですよ。
 スタスタ歩いてトイレに行ってる同室のお隣さん見て、驚いたもん。オレなんて術後四日も経つのに寝起きに一苦労。歩くのも腰の曲がった婆ァ歩きだし、トイレから立つのにも気合が要ったし。はぁ〜っ。床にナプキンでも落とすモノなら足で取ってましたよ。だってかごめないんだもん。なのに、昨日お産したばかりなのに、今日からシャワー許可出たし赤ちゃん同室だって。羨ましいったらなかった。
 ところが彼女、お産は初産にも関らず15分で終わったんだって。ちょうど手術室(分娩室)の目の前の部屋だったから夜中のお産、実はオレ、知ってたんだ。助産婦さんの「もう、産まれますよ」の掛け声と赤ちゃんの産声。人事ながら感激した。思わず「おめでとう!」と拍手したもん。でもね、赤ちゃんが未熟児(2400g後半)で小さかったせいか、するっと産まれたように時間も短かったが、その代わりというか会陰が裂けてしまったそうで・・・しかも複雑に。時間が短かったせいもあり先生は縫合に来たような感じだったと言ってましたね。お産15分に対して縫合に1時間近くかかったって。そしてそこが痛くて座薬を入れてもらってました。
 痛い場所が違うだけで、お互い辛いねと励ましあってましたなぁ。
 でもその彼女は5日目に退院。いいなぁ、こうなったら早く退院したいよね。
 次の彼女は「第二子出産」のベテランママさん。上のお子さんが3歳になったばっかり。その母子の会話を聞いていて胸に詰まされた。


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 そして「ありがとう」としか応えられないママの声。
 涙でそうになったよ。夕食前にお見舞いに来てママの夕飯を少し分けてもらう。でも、ママは実家で夕飯を作っているお婆ちゃんの事が気になり「ばあばがご飯作って待ってるよ」としか言えない。「帰りなさい」とは絶対言えないよね。健気にも待っている実家では「ママ」とは絶対言わないんだって。偉いね、ミーちゃん。アーちゃんのお姉さんになったんだもんね。
 そしてアーちゃんは産まれて初めてできたでん子のお友達! 写真一緒に撮ったんだよ。

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2003年07月07日(月)

帝王切開その後
 お産には「経膣分娩」と「帝王切開」があります。要は下から産むか切って出すかの違いだけど、これが大違いなのだ。
 俗に「帝王切開は楽で良いわね」などと無知な女性に、にこやかに言われておりますが
「てめー腹切った事あんのか? ああぁン?」
 と下から睨み上げてガン飛ばしたくなる今日この頃、カイザー経験者のみなさまお元気ですか?
 ということで、「帝切」経験者に不愉快な思いをさせないように、「帝切」の大変さをお聞かせしましょう。
 経膣分娩経験者曰く「陣痛がないだけでも良いわよね」について。はい、陣痛が来る前に切って出したから陣痛なんて知りません。ええ。
 実はこれには訳があります。逆子ということと、高齢出産ということ。もし、骨盤位で「破水」という事になると、羊水が全部出切ってしまう恐れがある、もっと恐いことに「臍帯脱出」で(ですよね?)先にへその緒が出てしまい赤ちゃんが死んでしまうというトンでもない事になる恐れがあったからです。←これは逆子に多いそうだ。
 そう、帝王切開とは自分で「私、帝王切開で産みたいから先生手術してくださいね」などと自分から望んでしてもらう出産ではないのです。それは経膣分娩ではリスクが大きいからより小さなリスクすむ「帝切」で出産しましょう、という結果なのです。ここ、間違わないで。誰も最初から望んでなった結果ではないのです。他にもいろんな理由から「帝切」へ切り替えられたお母さんも多いはず。だから、「簡単で楽なお産とか」言わないで欲しいのです。実際「簡単」じゃないし「楽」なんて冗談じゃない。誰が言ったの!!! くらい痛いし苦しい術後があるんですよ。マジで、この痛みって術中から襲ってくるんだから。
 麻酔が効いているハズの縫合時、子宮収縮(後陣痛)が始まります。はっきり言いますが、ものごっつう痛いです。正直者のオレ様は「ああ、これが陣痛の変わりの痛みなんだ」と素直に思いましたけど。でも、でも、麻酔効いてるはずなのに何でこんなに痛いんでしょう? 規則的にキリきりキリきりと刺すように痛みます。激痛なんですけどね。辛い生理痛よりまだ痛いぞ。
 オレの場合、ナチュラルハイテンションから冷めマイ旦那と二人きりになると見栄を張る事も無いから「痛ぇ〜っ」「あううっ〜」などと叫んでましたよ。痛みを誤魔化す為に、右手で拳を握り締め「う〜う〜う〜」と拳を回してみたり、気分はもう五木ひろし。なーんて自分で突っ込んでみたり、旦那父さんが新幹線に乗る前に買って来た「パチスロ」雑誌の新機種にツッコミ入れてみたり、とにかく腹から意識を逸らす作戦実行してましたさ。
 そうそう、前の夜から絶食してて、当日は朝8時以降水分も禁止されてたので、水分補給用に透明な点滴を受けてました。これはほぼ全開状態でさっさと終わらせるんだけど、次の色付き(黄色)の点滴には抗生剤とか子宮収縮剤(帝切の場合自力収縮が弱いので)が入っているのでゆっくり入れるのです。これに切り替わると子宮収縮に拍車が掛かる訳で、痛みも倍増になるんですわ。んで、点滴が色付きに替わり、握る拳にも力が入ったってことですわ。そしたら先生が「どう? 痛い?」と病室を覗きに来てくれて「がんばって」と拳を握るオレの真似して笑ってました。んでも、腹が痛いのはどーしようも無くてマイ旦那に看護婦さんを呼んでもらったのがだいたい午後8時くらい。術後一時間かな。でも、でも、看護婦さん「まだ、座薬は入れない方が良いですよ。麻酔、まだ全部抜けてないし。麻酔切れたらもっと痛いですよ」と脅すんですぅ。で、麻酔が抜けるのが午後10時辺りだから、10時まで我慢してくださいと言われたのですわ。
 ええ、これ大正解でひた。看護婦さん、すんばらひいです。麻酔切れたらどうなるか、奥さん。そりゃ、もう言うに言えない痛さですわ。後陣痛に、縫い合わせた子宮の傷も痛けりゃ切った腹の傷も痛い。三重苦ですよ。キリキリ、ヒリヒリ、ズンズン。何でもいいけど、とにかく色んな痛みが腹に集中してこりゃたまげたって痛さで涙がにじむくらい痛かった。ようやっと座薬を入れてもらい、薬の効果が出るまで30分、拳握り締め我慢してたましたよ。ようやく痛みが落ち着いたところで「オレ、寝る努力してみる」ことにしたのです。
 先に寝た旦那の寝息をBGMに翌朝6時まで眠れましたよ、なんとかね。
 文章力が無いから、上手く後陣痛の痛さを伝えられないけど「どーやら痛いらしい」という事は伝わったかな? でもね、痛い辛いはこの後も続くのよ。自力で起き上がるまでわずか三日。腹切って三日で起きなきゃいけないのよ。
 
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 翌日からは寝返りの練習を始め、三日目には尿管を抜かれ半強制的に自力でトイレに行くことになるのだ。毎朝体を拭いてもらっていたけど、この日からは自分で拭かないといけません。でもね四日目の朝、ベットの部屋に移り午後からはでん子と同室になったんですよぉ〜。そりゃぁ、嬉しかったさ。見舞いに来たマイ旦那もビックリして、もう抱いて離さなかったもんねぇ。
 起き上がる時と横になる時、腹筋使うと死ぬほど痛いので一旦起きるともったいないとベッドに座ってたなぁ。でも5日目から麻酔の後遺症? の頭痛が起き寝起きがもっと大変になった。頭動かすと殴られたようにグワンッと頭に激痛が走るのです。薬もらったけど、すっかり消えることは無かったよ。三日は苦しんだね。腹が納まると頭かいっ。てな感じでいつも何処かが激痛でした。そうそう、ガスが出て食事が始まると腹がゴロゴロ鳴りはじめ「普通食」になる前に一度ピーになり、「普通食」になると食べ始めると同時にお腹がピーゴロゴロになり下痢の大波状態の痛さになるのですわ。術後の便秘とは無縁でしたねぇ。ゆるゆるうんちくんのお蔭でふんばる必要もなく、排便は楽チンだったわぁ。唯一、これが自慢だな。
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2003年07月03日(木)

帝王切開体験記<後編>
 いよいよ後編です。但し、ここからの話は各病院によって違う模様。色んな方の「体験記」を読ませてもらったところ、それぞれやっぱり微妙に違ってました。なので、今からカイザーを予定されている人、アクマで参考程度にしてくださいね。ここよりもっと待遇が良い病院も、もちろんあるでしょう。当然、ん?? と首を捻ってしまう病院もあることでしょうから。でも、転院4回目にしてたどり着いたこの病院は、オレとでん子にとって最高の病院でした。これだけは明言しておきます。
 では、続きをはじめますね。手術室に入ると助産婦さんの指示に従い手術台へ上がります。上がる前にマッパになりました。ええ、素っ裸ですよ。
 横になると脱いだ手術服(ピンクの水玉模様で前開きのワンピースみたいだった)を体にかけてくれました。パイパンにされた時も服をかけてくれた。これ、なにもかけないでほっぽかれるところもあるそうです。たかが布切れ一枚と侮ることなかれです。診察時にしろ手術前にしろ、かけるかけないで女性にとってどれほどの差があるか、経験者は分かりますよね。
 はい、手術台に乗った次は尿管挿入です。これは、痛いというより熱いって感じでした。その内に手洗い看護婦二名に準備の手伝いに一人、助産婦さんがもう一人やって来て手術準備完了です。左手は点滴に、右手は血圧計に拘束されたまま右横を向かされ背中を消毒される。これが冷たい。冬場だとちょっと辛いか? 夏場で良かった。
 先生が麻酔の準備にかかり背中に何かが当たる感触。「背骨を突き出すように」と指示されるが、何度挑戦しても失敗。「お腹を抱えるように、お臍を覗き込むように頭を下げて」と言われたが、お腹が大きすぎて膝が曲がらないし、頭も下がらんちゅうねんっ。
 「先生が押し付けている器具? 対して押し返してみて」と言われ、ようやく麻酔が入る。説明は表現が難しいが、麻酔が入った所からじわっと熱くなり、まず左足から感覚が無くなってきた。だるいって感じに近いかな? 麻酔が入るとあお向けにされ手際よく手術用の布で体の左右から包まれ、首の所で目隠し用の布が立てられた。
 その頃から急に息苦しくなり、気が遠くなりかけた。息が苦しくてできない。耳鳴りがし、目の前が真っ白になる。
 「息を吸って! ゆっくり吐いて!」
 左から声がし、目を開くと助産婦さんが声をかけてくれていた。
 必死で息を吸い、吐くを繰り返す。なんとか意識だけは失うまいと目を開き、回りの声や音に集中する。
 血圧が65まで下がっていることがわかり、先生の指示で薬が投与された。助産婦さんがその都度、説明してくれ「薬を入れたから(点滴に)すぐ楽になりますよ。血圧が下がってますからね、息をゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」
 言われるまま、意識して息をゆっくり吸いゆっくり吐く。徐々に呼吸が楽になってくる。彼女の力強い声に救われた気がした瞬間だった。
 「もう、手術始まってますからね」 と言われ初めて下腹の辺りでの妙な感触に気が付く。両側に皮が引っ張られたような感じ。
 「赤ちゃんが出てくる時、お腹を押さえますけど我慢してくださいね」 続いて何やら圧迫感が下腹に。
 「もうすぐ赤ちゃんが生まれますよ」 腹が揺さぶられるような感覚に続き「はい、生まれましたよ」 と先生の声がした。そして待望の産声が!
 でん子が泣いてる。元気に泣いてる。やっぱりと言うか、予想外でもあったけど涙が出ちまいましたい。産声って、いいねぇ。それから産声の後直ぐに助産婦さんが「ママですよ」とまだ頭にいっぱい胎脂を付けたでん子を連れてきてくれました。それからでん子は外で待っていたパパとじいじいずとばあばに挨拶したようで、「今パパに抱っこしてもらったのよ」と頭がきれいになったでん子がもう一度逢いに着てくれました!
 ここからもう記憶が定かじゃないけど目隠しの布から先生が何度か顔を出し「頭が大きかったから(36cmあった)、逆子じゃなくても途中で切ることになったよ」とか「赤ちゃん、元気だよ」とか話し掛けてくれてました。
ところで、「赤ちゃん、げんきだよ」これは魔法の言葉だと思いませんこと? でん子が元気に誕生してくれた。そう思ったら後はもういいやって、一気に気持ちが楽になったもん。
 本当はでん子が生まれてからお腹の遠いところでチクチクと刺すような痛みが走ってたのだ。でも「魔法の言葉」で一瞬和らいだ。でん子の泣き声で忘れてた。でも、でん子が新生児室へ連れて行かれると何とも言い様のない痛みになってきてたんですね。そしたら「子宮が収縮しますからね。痛いですよ」と助産婦さん。 何それ? もう始まってんの? とオレの頭ぱにっく。だって今生まれたばかりじゃん。しかも麻酔してんでしょ? 何でこんなに痛いのよぉ〜っ!! 麻酔切れかかってる? え? 今縫ってるところよね。いじられてるのは分かるけど痛くない。でも中身はいたぁ〜い!! これが漏れ聞いた「後陣痛」って奴? めたくそ痛いんですけど。痛いっ、せんせいっ、いたぁ〜いっ!!
 と声には出さなかったが顔に思いっきり出ていたようだ。「ミミちゃん(本名で呼ばれてますってば)痛がってます」と助産婦さん。ありがとう、助産婦さん。ホントやばいくらい痛いの。「今、痛み止め入れましたからね(点滴に。既に全開で点滴中)」でも、やっぱり痛い。
 結局縫合中に痛み止めを3回打ってもらった。にも関らず全然痛みは取れなかったのだ。
 手術が終わると、なぜかマイ旦那が傍らに立っており「はい、ご主人の首に腕を回して」と言われた。訳も分からず従うと 何と! びっくり! スタッフとマイ旦那とマイ父ちゃんに抱えられ病室へ運ばれたのであった。
 そうか、それで手術室のまん前の病室だったんだ。と納得してしまった。
 布団に横になり(ここは和室)妙にハイテンションになっているオレと興奮状態の家族がここで、大話を始めてしまいした。腹痛かったんとちゃうんかい? オレ。と自分にツッコミたくなるが、だって頭がナチュラルハイ状態にぶっ飛んじゃったんだもんっ。
 余りに声がでかかったのか、それともマジでやばかったのかマシンガントーク炸裂中の部屋に、看護婦さんが「患者さんが疲れますから、そろそろ休ませてあげて下さい」と声をかけてきたのだわ。うん、彼女は正しい。熱出てたし血圧も高めだったもんね。
 それで頭を冷やされたご一家「じゃぁ、帰ろうか」←帰るんかい? しばらく側に居るんとちゃうんかいっ 
 あっさりと引き上げて行きました。付き添いにはコキ使えそうなマイ旦那を指名してあります。ええ、これからが地獄の始まりだったのですわ・・・・
 ということで「帝王切開体験記後記」へつづく。なんつってね。

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2003年07月01日(火)

帝王切開体験記<前編>
 10日の検診で急遽決まった帝王切開。生まれてこの方盲腸の手術すら経験の無いオレ。体に刃物入れたのは中学の時、リンパ腺を切開したくらい。
 んーっ、手術ってどんなんだ? と経験者の実母に聞いても「お産は病気じゃない」の一点張りでお話になりません。彼女は子宮筋腫による子宮卵巣全摘手術経験者なんだけど・・・ そうこうしているうちに時間となりいざ病院へ出陣。
 午前11時、病院へ着くとまず病室へ案内されました。これがなんと和室。本当はここは分娩までの準備室? なんだけど急に決まったので部屋が無かった為だとか。とにかく手術室のまん前のお部屋でした。部屋に落ち着くと、「お土産を買う」とマイ両親ハリキッテお出かけになる。手術は午後四時開始予定なので、それまでに戻ればいいね、ということなんだけど。実の親ってあっさりしたもんだね。
 それから渡された手術服に着替え(中身はおパンツいっちょ)、出産直前のせり出た腹の写真を撮り、続いてでん子の生まれる日の旦那の写真を撮影。それから診察室へ行き、ぐるぐるでん子の最終確認。予想通りの逆子で「じゃ、予定通り手術しましょう」と宣言される。不思議と心穏やかなオレ。緊張もしてないし手術に対する恐怖も無い。これは先生とスタッフに全面的に信頼を寄せているせいかな? とにかく平常心で手術室へ。まず血管が出にくい体質なので(血管が出ないとカルテに書かれていた)しっかり血管確保され点滴開始。これは前夜(午後10時以降)から飲食禁止だったので体液補給用の点滴らしい。それからおパンツを脱いで、丁寧に丁寧に、パイパンにされたオレ。いやぁ、恥ずかしいっすね。それから点滴ぶら下げたまま部屋に戻ると、旦那のお父さんが到着してました。
 午後四時、お呼びがかかり、おパンツ脱いで点滴下げて手術室へ。「行って来まぁ〜す」の声に親父が「お、いってらっしゃい」と声援を送ってくれた。
後編へつづく・・・


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 お産て、いろんな意味で凄いね。とりあえず、マッパだろうがパイパンにされようが、どーでもいいって気持ちになるもん。手術後なんぞ「好きにしてくれ」って感じで、おまた広げてお世話になってました。いやぁ、産科の看護婦さんて大変だぁ。赤ちゃんのケアからお母さんのケアまで何でもこなすんだね。尊敬してしまいます。ビバ! 産科の看護婦さん。←産科だけに「看護士」って言葉に抵抗感じてしまふ。やっぱ産科は看護婦さんでしょ。


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2003年06月27日(金)

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