生理が重いことは書いた。 重いことに加え,とても嫌な思い出がある。 10年も前のことなのに,今でも生理の時に思い出して嫌な気分になる。
そのころすでに,随分体調が悪くなっていた。 その時付き合っていた男性は,私が家の外にいるかぎり一緒にいたいというので,常に一緒にいた。 だから,私の体の調子が悪いことは知っていた。
週末も,一人で外出しようとすると,文句を言われた。 仕方なく,週末も一緒に過ごしていた。 外に出られないほど調子が悪いのが生理の時。 緊張が解けるのか,たいてい週末に来る。 平日の間に生理が来たら,週末はキャンセルした。 当日にキャンセルするより,前もってわかるのだから,先に断ったほうが良いと思っていた。
あるとき,彼が言った。 身体の調子が悪いから,週末の予定をキャンセルするというのは,自分への気持ちが少ないからだと思っていた,と。 もう一度強調するが,私の調子が悪いのは,良く知っていた。 頭痛や吐き気,肩こりなどの身体の痛み,胃の痛みなどを良く訴えていた。 それを一番近くで見ているはずの人物から,「気持ちが少ない」と言われ,とても傷ついた。。。。のだと思う。
10年も経って,傷ついたと断言できないのは,その時には怒りしか感じなかったからだ。 そして,今でも思い出して嫌な気分になることから,傷ついたと憶測するしかない。 その上,今でも,傷ついたと感じることがほとんど無いのだ。
その場で,感じたことは言ったつもりだった。 それまでにも,「自分はこれだけしているのに,あなたはしてくれないから,大事にされていない」としばしば言われ,不快に感じ,愛情を測るということをしないで欲しいと言っていた。 そして,その時もそのようなことは言った。 でも,私の気持ちは通じなかったし,私には,調子が悪いことを,「気持ちが少ない」と評価された事が残った。
多分,あまりにも驚いて,言うべきことを思いつかなかったのだろう。 10年もの長い間,思い出しては嫌な思いをしているのだ。 嫌なことを忘れる努力はしてきた。 それでも忘れられないことは,吐きだしてしまうしかないのだろう。 でも,この話ばかりは誰にも言うことが出来なかった。 診察で初めて,話をした。
生理だと言うことは出来なかったか,と聞かれた。 付き合い始めたばかりの相手に言えるだろうか。 普通は言うのだろうか。 今でも,きっと言えないだろう。 女性どうしても,余程仲のいい相手でなければ言えない。
生理がひどくなったのはいつ頃からか,聞かれて15歳くらいと答えたけれど,考えると日本に帰国してからのように思う。 生理で思い出すこと,と聞かれたが,とくに無い。 けれども,性に関する事に強い嫌悪感があった。 映画などのキスシーン,ベッドシーンが苦手だった。 この嫌悪感は二十歳頃まで続いた。 今でも好んでみるものではない。
私は血が苦手だ。 生理の出血も,気持ちが悪いと感じる。 怪我をしたときに流した血も気持ちが悪かった。 テレビの手術も,人や動物が殺されるのも,見ることも,細かい描写を読むことも出来ない。 解剖も出来ないので,進路の選択にも影響を及ぼした。 虫の死骸も苦手で,死骸の処理が嫌で虫の退治が出来なかったり,処理する回数を減らすために,放置したりする。
お葬式の思い出などがあるか,聞かれた。 お葬式はそれほど経験していない。 祖父,祖母のお葬式では,こんなに冷静なものかと思うほどだった。 数年前,同級生が亡くなった一週間後,彼を通じた友達が亡くなった。 二人とも事故だった。 友達と言っても遠くに住んでいたので,会える機会は年に1-2回だった。 その機会を,忙しいこと半分と,母からの小言に疲れてしまったこと半分で逃してしまったことを後悔した。 会える機会に会っておかないと,会えないままになってしまう事を思い知った時だった。
風邪を引いて,はな,のど,みみがいたい。 それなのに,腰痛と腹痛,身体の冷えまで襲ってきた。 同時に来なくてもいいのに!
お陰で良く眠れます。眠れるのは研究をサボっているからでもありますが。
お医者様に出してもらった薬は効かないので,明日またもらいに行ってきます。
生理は重くても,比較的規則正しいほう。ホルモン治療で月経前緊張症は大分改善された。前は,生理の前10日前くらいから,頭痛,吐き気,身体の痛み,身体の冷え,目まいなどで苦しみ,生理期間が過ぎても体力が戻るのに時間がかかり,苦しくない日が月のうち数日しか残らなかった。
大分改善されて楽になったけれど,それでも月数日くらいは不快な日がある。 先月くらいから,どうやら今度は月経不順になったらしい。講義を受けていたころは,数日早くなったり遅くなったりしながら,必ず週末に生理が始まった。たまに,1-2週間遅れると,その月と,翌月位は重くなる。
予定を3週間過ぎていると言うことは,いつ来るか予測もつかず,しばらく重くなるということ。あ〜憂鬱・・・
植物の研究を始めてから,この時期が苦手になった。 植物が大きく変化する今の時期は,だいたい逃してはならない時期になる。 あらしい作業を始めるのに必要な知識が揃っていなかったり,半年調査をしなかった後で準備に慣れなかったりで,とにかく落ち着かない。
調査の準備は私には大事で,何日も前から大騒ぎして準備する。好きで騒いでいる訳ではなく,心配で慌ててしまうのだ。実際に出かけてみると,必要以上に物を持っていたりする。
忘れるということで,思い出すことは,と聞かれ,パリに住んでいたときのことを思い出した。まだ英語もフランス語も出来なかったころ,常に辞書を4冊持って歩いていた。4冊と言うのはさすがに異常だと思う。でも,心配で離せなかった。持っていても,開くことなどほとんど無い。それでも,持っていないときに必要になったとき困るのが嫌で,いつも持っていた。
私の家族はみんな荷物が多くなるほうで,もう覚えているかぎりずっと昔から,遠足などは人より倍くらいの荷物を持たされていた。
忘れても人に借りられるとは,考えないのか,聞かれた。高校の修学旅行,その頃いつでも裁縫道具やはさみをポケットに持っていた私は自分でそれらを使うことはなく,人に貸すことになった。持っていったものが役に立つのはまあ,良かったが,その時初めて,持ってなくても人に借りれば済むかな,と思いそれ以来裁縫用具は持ち歩いていない。
最後に,そんなにいつも色々持って歩いていたら,重くて疲れませんか,と聞かれた。もちろん,疲れる。重いだけでなく,沢山の荷物の中から目的のものを見つけるのが結構大変だったり,準備が大変なだけでなく,片づけも大変なのだ。
2週間ほどまえ,間抜けなことに部屋の中で捻挫した。大したことないと思っていたけれど,毎晩布団に入ると痛くなる。数日経って,湿布を買った。5枚で1500円ほど。あまりの高さに,何だか勿体なくてそのままにしていた。大したこと無いし,と。
2週間経ってもまだ治る気配が無いので,昨日から湿布を使っている。 今日はちょこっと調査地に植物を採りに行ったら,もう片方の足首が痛い。 ちゃんと治さないといけませんね。
ブリジットの家に行って,捻挫の話しをし,なぜ湿布が高いのかがやっとわかった。フランス人は軟膏を使うらしい。軟膏の方が安いわよ,と言われるまで気付かなかった。もう20年も前から湿布を使っているものだから,軟膏という発想が無かった。
小学生のころから,少しずつにきびが出来始めた。にきびの全く無いきれいな肌という状態を経験したことがほとんど無い。大学受験の時にひどくなって以来,なかなか良くならない。化粧品を変えたり,薬を飲んだりして良くはなるのだけれど,完全にはなくならない。
普段の生活であまり気にしてはいないけれど,気付くと手でにきびをつぶしている。ぶちっと音がしたり。つぶした跡はまた醜く残ってしまって。そんなに油ものを食べるわけでもないし,顔も洗っているし,ストレス以外に要因が思い当たらない。
ホルモン状態も影響しているようではある。生理前には数も増えるし,ひどいのが多くなる。ホルモン治療で,月経前緊張症は随分改善されたが,にきびだけは残っている。
二十歳過ぎたら吹き出物,と言われるようになってから,10年経ってしまった。肌の衰えを感じ始めてもう数年経つのに,にきびは無くならないようだ。このまま老人になっても残っていたら・・・
先週の診察で,感情を抑えているのではないか,と言われた。意識はしていないが,そういう可能性はあると思う。そこから思いつくことがあった。一番古い記憶から,私は泣くということは恥ずかしいことだと思っていて,以後鬱になるまで殴られたとき以外に泣くことはなかった。鬱になって,泣くようになったとはいえ,頻繁にあることではない。
泣くことが恥ずかしいと思っていたのは,何故なのか,わからない。幼稚園の入園式,周りの子供が泣いているのをみて,「恥ずかしくないのかな」と感じた。やはり幼稚園の時の注射も同じ,「泣くなんて恥ずかしい」と思った。入園式の日,家や親とはなれることは私には泣くような事件ではなく,多分むしろ家にいるよりも安心できたのではないかと思う。とにかく,泣くということは一番古い記憶から恥ずかしいことで,その後鬱になるまで変わらなかったのだ。
その後しばしば,母が怒ると殴り,殴られるとさすがに泣くのだけれども,泣くとまた殴られたり怒鳴られることがあった。「泣くな」と言われ,泣くのをこらえると,「その目つきはなんだ」と殴られたり,怒鳴られたりした。成長してから,泣くことが恥ずかしいことであるのが変わらなかったのは,この母の行動によるのかも知れない。
泣くということに対する感情が特別なのではなく,恥ずかしいと思うことが特別のように思う。多くの子供が,多分恥ずかしいと思わないことを,恥ずかしく思って育った。車や電車などで寝ることは,寝顔を見られるのが恥ずかしくて出来なかった。同時に,なにか寝るのが不安だった。幼稚園の水遊びの時に,着替えるのが恥ずかしかった。4歳でこんなふうに感じる子供は少ないのではないだろうか。文章を書くことが嫌いだということを前に日記で触れたことがあるが,内面が人にさらされるのが恥ずかしかった。走るのが遅かったために,父兄の前に自分の欠点をさらす運動会は恥ずかしかったし,体育の授業も恥ずかしかった。それどころか,人前に出ること自体恥ずかしかった。
恥ずかしいと思うことと関連して思い出すのは,母が怒ったときに,「パンツを脱いでお尻を出しなさい」と言って,お尻を殴っていたこと。叩かれることよりも,お尻を出せと言われることの方が,我慢できないことだった。そして,親戚や私にとっては見知らぬ,両親の友人の前でばかだの,のろまだのとけなされること。
家では失敗することは許されていなかった。忘れたり,物を壊したり,無くしたりすると,馬鹿にされ,けなされた。学校で習ってないことでも,知らないと馬鹿にされた。両親とも,お互いにばかにしあっているし,子供は尚のこと馬鹿にされる。そして,何か気に入らないことがあると,母は「父親に似ている」というし,父は「母親に似ている」と言う。試験の結果が,一つでも間違いがあると怒鳴られ,けなされた。とにかく,いつでも恥ずかしい思いをすることを恐れていた。
私をこのように恥ずかしい目に遭わせることを,母がどう思っていたのかもわからないし,それにどういう意味があったのかもわからない。けれど,このようにいつも恥ずかしい思いをさせられていたことが,恥ずかしい思いをより強くしていたのではないかと思う。
診察で,集中力がない話しをした。 良く考えたら,何かに夢中になったことは無いように思う。 今の状態がそうだから,そう思うのか,今までに一度も夢中になったことが無いのかはわからない。
研究は好きで選んだ。内容だって,好きなはず。なのに,集中できない。 趣味も,考えてみると夢中にはなれないように思う。 楽しむための趣味なのだから,別のことなど考えずに没頭できればいいのに,本来やるべき他のことなどが気になってしまう。
夢中になる,没頭する,といった言葉から連想することはないか,聞かれた。特に思いつかなかった。次に,そういうのは,恋をしているときに感じませんか,と聞かれた。
夢中になる恋愛,というのは経験したことが無い。確かに,彼のことは大事だし,大好きなのだけれども,夢中になるというのとは違うように思う。
私は,恋に恋する状態というのを経験したことが無い。人を好きになることはあっても,相手が自分の手に入れば運が良いだけと思っている。万一彼を失うことがあっても,次に新しい恋を待ち望むようなことはない。彼を失えば,悲しむだろうけれど,恋愛とか,結婚が絶対の幸せとは思っていないのだ。
どうやって知りあったか,彼をどう選んだか,と聞かれた。知りあったのは研究室で,一緒に外に調査に出たり,授業を受けたりしていた。彼とは一緒に話して楽しいし,興味を持つことが一致するし,信頼できて,一緒にいて安心できる。一緒にいて安心できる人というのは,それまで身近にいなかった。両親の家にいたとき,一人の時には感じられなかった安心感がある。
恋愛に対して夢中になることが無いのは多分,両親を見てきたからだと思う。仲の悪い両親が,離婚しなかったのは経済的に不可能だからだと,見ていた。10歳頃には,自分で生活できるくらいの収入を得て,いつでも離婚できるように備えなければ,と思っていた。
もう一つ,恋愛に関して人と違うと思うことに,嫉妬を感じないということがある。彼の帰りが遅かったり,他の女性としゃべっているからといって,特になにも感じない。
この二つの恋愛に関する感じ方は,多くの人と異なると思う。けれども,それでいいと思っていた。最後に,夢中になるのを,押さえていませんか,と聞かれた。そういうことは,あるかも知れない。不安定な家で生きてきたから,無意識に,いつでも離れられるように用意しているのかも知れない。
集中力の話題から,こういう方向に発展するとは思っていなかった。でも,根本にある問題は同じなのかも知れない。
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