The color of empty sky
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雪が降り始めた。 いつまでたっても季節の変わり目はしんどいものだ。
冬が来て年末年始にまた誕生日を迎える。 月日を重ね身体は老いて上辺だけは穏やかになってきても、私の中身はやはり幼いわがまましか知らない子供のままだ。
孤独なことに慣れすぎて人と触れ合う方法を忘れそうになる。 いっそ忘れてしまえばいいのかも。 社会と繋がる糸を一つ一つゆっくり断ち切ってきた。 それでも全部は断てずただずるずると重ねる日々に飽いてくる。
自分が幸せになれなかった理由はよく分かっていて、その努力を怠ってきたからだ。 幸せになりたいとは具体的には考えていなかったし、いつか何かのきっかけでぽろりと幸せになれるんじゃなかろうかという甘っちょろい望みを抱いていた。
この先もやっぱりその努力はしないと思う。 過去の中の肌触りの良い思い出でたまにひっくり返して引き出して頬ずりしながら眠り、虫の居所の悪い人に八つ当たりされてはため息を付いてやり過ごす。
さてウィスキーでも買ってこよう。
元気かな。
私は元気。 まだ一人で札幌に住んでるよ。 この頃悲しいことは思い出さなくなった。 特に楽しいこともない日々を送ってるけど死ぬほどじゃない。
先日生まれて初めて入院したよ。 寂しかったけどどうって事はなかった。 きっとずっとこうやって生きて行くのかな。
美しい景色や音楽が私と世界を繋いでくれているよ。辛うじて。 良かったら何かフォームからメールくださいな。
もう7回忌だよ。
ビートたけしが言った、震災で2万人が死んだということは、一人の人が死ぬということが2万回起こったということ、という言葉が胸に刺さって抜けなくて眠れない。 仕方がないので、好きではないけど好きだといってくれる人の側で眠ることもある。 辛さを背負って生き延びる力は誰の胸の中にもある。 それが芽吹く春が早く来れば良い。
この頃好きな人がいるんだよ。 ちょっと遠くの町に住んでるんだけど毎週のように会えてて、もっと好きになってしまった。
楽しいフリをして生き続ける事にまた疲れてきたよ。もう何もしたくないのに。好きというこの温かく力強い脈動に引き起こされてしまう。
左の膝を痛めてもう2年になろうとしているが、先日ふと気がついた、左右の足の太さが違うことに。左の膝をかばう右足は見て分かるぐらいに筋肉がついてしまった。 30を過ぎてのめり込んだ「ある事」はその内容が日に日にハードになっている。理由は簡単、やった分だけ上達できるから、そしてほかの事を考えなくてもよいからだ。本当は布団を被って部屋から一歩も出たくないし消えてしまいたい。しかしたまたま、人と殆ど口を利かなくてもよい暇な仕事にありつくことが出来、まるで生殺しのまま余生を生かされる日々が訪れたので、じゃあ死ぬ代わりに何か本気でやってみようと思った。 一見充実した日々を送り、あんたは悩みが無くて毎日楽しそうだねと再び他人に言われるようになったが、結局心の中の砂漠化に歯止めがつくことは無く。 「ある事」のために痛めた膝はもう元には戻らないと医者にも言われたけれど、「ある事」を止めなければならないというほどでもない。
欲しいものもやりたいことも次々砂漠に飲まれていく。頑張って走って逃げているけれど膝が持ってくれるかなぁ。
辛いとかもういいやとか思ったときに、何故だかふと手を差し伸べてくれる人がいるようだ。
この頃の私は努力を怠るいじけ虫モードでもう駄目駄目で。 何もかも捨ててしまいたいと泣き言を漏らそうとしたら、なんかね、感謝の言葉を貰ってしまって。結局ちょっと泣いちゃったんだけど。
何で生きてるのかな、何で頑張れないのかな、何で素直になれないのかな。
もう4回目の命日なのです。
何度も未遂を繰り返し、最期には自らの両手を縛り見事首を括り果てた人の事を、毎日毎日まぁ飽きもせずに思い返して暮らしてきました。 まぁそうなる前は、アダルトチルドレンとしての自分を持て余しつつフラッシュバックと感情の暴走に振り回されながら、どろどろとした生活を続けてきていたのですけどね。
今、私には好きな人たちがいます、その人たちが私のことを好きでいてくれるのかはちょっと分からないんですが、私はその人たちのことが好きで信じています。そういえば初めてなのかもしれません、こうやって誰かのことを信じてみるのなんて。
正直なところ、相変わらず消え去りたいという気持ちを持ち続けています。 何かをこつこつと積み重ねて努力する裏で、何もかも棄ててぶち壊して死んでやりたいという衝動がいつでも暴れだしそうになります。 それでもやっぱり生きてかなきゃならないのだということを確認したくなると、私はここに戻ってきてこうやって日記を書いてしまうのです。 そしてまた、マイエンピツさんの日記を読んで、会ったことないのにあんまり長いお付き合いなものでつい他人とは思えなくて、古い友人に触れたような懐かしく暖かい気持ちに浸ることもあるのです。 この空の先にいるあなたの無事を思い出したときに祈り、暖かく優しい風がふわりと吹くことを祈ります。
淋しさを埋める術がない、これは永遠に、だ。 その隙間に入れられるのは後悔と罪悪感と猜疑心だけで、無限に湧き出るそれらはしかしすぐに、水みたいに流れていったり乾いたりする。
何故その人に惹かれていたかというと姉に似ていたからだ、というのを脳味噌の片隅では認識している。胸苦しい罪悪感に苛まれつつも酔っ払ったふりをして抱きしめて頭を撫でてみた。エマールの匂いがするシャツと柔らかい髪の毛、ひんやりとして乾いた肌の感触。賢く弱くずるく優しくうそつき。
それにしても・それにしても。 ここで日記を書くようになってから8年弱になろうとしている。 その間に何が変わっただろう。
例えば姉が死んだことによって、もともと壊れかけていた私の魂は真っ二つに裂かれてその片方が死んで、でも残りの片方はしぶとく生き延びた結果、今まで知らなかった喜びを知るに至った、とそんなところか。 こんなことを言っても、多分姉は怒らないだろうから書いておこう。
お姉ちゃんが死んでくれて良かったよ。 お姉ちゃんが死んで、世の中に誰も私のことを分かってくれる人がいなくなったと絶望したけれど、人に分かって貰おうと自分から働きかけることが上手く出来るようになった。 自分のことで必死で身動き取れ得なくて、お姉ちゃんに手を差し伸べることが出来なかった自分を変えたいと思って、強くなろうと今どうにか頑張ってるよ。 お姉ちゃんが今生きてたら、私はこうやって変わっていなかったかも知れないし、人に優しくも出来ず人に感謝することも知らない甘ったれた三十路になってたかもしれない。 年をとるたびに人生が面白くなる、って、先日お誕生日だった人が書いてたけどさ、私もそう思うよ。 今までだっていいことはあったし楽しかったのかもしれないけれど、年をとるたびに、色々物事を知って何かを深く理解したり心から感謝したり、そういうことが出来るようになっていけるみたい。 だから私はまだお姉ちゃんとこには行かないで、もうちょっと年をとってみようかな。
生きること、生きていくことを考えるのはとてもしんどいんだけど、考えなくても私は生きていくんだよなぁ。意識しなくても呼吸できるというのと同じで。 でもたまに混乱したり疲れたりして、呼吸すらも上手く出来なくなるときもある。 そんなときは、立ち止まったり声上げて泣いてみたり大酒飲んでみたり、生きるための精一杯の悪あがきでもしてみるか。
・・・8年たっても何も変わってないよなぁ、私。
Shinichi Osawaの「The One」があまりにも良くてヘビーローテーション。 Our Songがすごく好き、グラデーションの夜明けの空に光る明けの明星みたい。
どうでもいい、とはある意味魔法の言葉だ、自分らしく生きていく力を奪ってゆくが死なないために効く言葉。 自分にそうやって魔法をかけながら、2年半、どうにか息を接いで生きるだけ生きてきた。 どうだっていいんだ何もかも、でも私は生き続けなければと。 私は、2年半経ったのに結局何も癒えていないし成長もしていない、多分。
自分が幸せになり楽しい思いをすることに否定的になって、わざと顔を背けて物陰に潜んで生きるうちに、心の砂漠は広がって私を飲み込もうとしている。 それを打開したくて高価な「欲しいもの」を買うことにした。 生きるには困らないし死ぬわけじゃない、それが今までそれを買わなかった理由。 ここしばらく何事においても判断基準はそれだった、「生きるのに必要か否か」。
よく逆だといわれる、何のために生きるかではなく、いくつかの行動がありその収束された結果が生きるということなんじゃないの、と。 でも私はやっぱり何かのために生きることしか考えられなくて、何かを探して歩き回らなきゃならないんだ。
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