The color of empty sky
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こんばんは。メールありがとうございます。 何度も読み返してどう返事を書くかを何度も考えているうちに、返事を出しそびれてしまうのです。 ごめんなさいね。
いつもは忘れているけれど、たまに落ち込むとやっぱり思い出してエンピツさんに戻ってきてしまいます。 細々といつまでも続いてくれますように。
会社を出たら雪がぼうぼうと巻いて降っている。 帽子をかぶるのを忘れてきたことを悔やみつつ、マフラーを巻き直して歩き出しす。 こんな日は車も人も足元ばかり見てのろのろ押し黙って歩を進めているが、お母さんの後ろをついて歩く着ぶくれた小さい子供たちだけは、なぜかみな笑顔ではしゃいでいた。 いつの季節、いつの世も、子供だけは希望を湛えた光のようなものなのだ、と、振り返って眩しく眺める帰り道。
キリンジのホライゾン!ホライゾン!を聞くと姉を火葬した日を思い出す。 春を感じさせる青空の綺麗な日にたなびく煙突の煙。
棺の中に仕込まれたドライアイスで姉の身体は冷たくされていて、額に触れてびっくりした。 アルコールに溺れた姉はしかしお酒が好きなわけではなかったと思う。 お酒が好きな人は果実酒用のホワイトリカーなんてものを飲んだりはしない、と、親に見つかる前に処分しながら泣いた。
姉の孤独な魂をたどりながら私も野垂れ死んでしまいたい。 そう思いながらもう6年半も経ってしまった。 次の誕生日が来たら姉よりも年上になってしまう。
雪が降り始めた。 いつまでたっても季節の変わり目はしんどいものだ。
冬が来て年末年始にまた誕生日を迎える。 月日を重ね身体は老いて上辺だけは穏やかになってきても、私の中身はやはり幼いわがまましか知らない子供のままだ。
孤独なことに慣れすぎて人と触れ合う方法を忘れそうになる。 いっそ忘れてしまえばいいのかも。 社会と繋がる糸を一つ一つゆっくり断ち切ってきた。 それでも全部は断てずただずるずると重ねる日々に飽いてくる。
自分が幸せになれなかった理由はよく分かっていて、その努力を怠ってきたからだ。 幸せになりたいとは具体的には考えていなかったし、いつか何かのきっかけでぽろりと幸せになれるんじゃなかろうかという甘っちょろい望みを抱いていた。
この先もやっぱりその努力はしないと思う。 過去の中の肌触りの良い思い出でたまにひっくり返して引き出して頬ずりしながら眠り、虫の居所の悪い人に八つ当たりされてはため息を付いてやり過ごす。
さてウィスキーでも買ってこよう。
元気かな。
私は元気。 まだ一人で札幌に住んでるよ。 この頃悲しいことは思い出さなくなった。 特に楽しいこともない日々を送ってるけど死ぬほどじゃない。
先日生まれて初めて入院したよ。 寂しかったけどどうって事はなかった。 きっとずっとこうやって生きて行くのかな。
美しい景色や音楽が私と世界を繋いでくれているよ。辛うじて。 良かったら何かフォームからメールくださいな。
もう7回忌だよ。
ビートたけしが言った、震災で2万人が死んだということは、一人の人が死ぬということが2万回起こったということ、という言葉が胸に刺さって抜けなくて眠れない。 仕方がないので、好きではないけど好きだといってくれる人の側で眠ることもある。 辛さを背負って生き延びる力は誰の胸の中にもある。 それが芽吹く春が早く来れば良い。
この頃好きな人がいるんだよ。 ちょっと遠くの町に住んでるんだけど毎週のように会えてて、もっと好きになってしまった。
楽しいフリをして生き続ける事にまた疲れてきたよ。もう何もしたくないのに。好きというこの温かく力強い脈動に引き起こされてしまう。
左の膝を痛めてもう2年になろうとしているが、先日ふと気がついた、左右の足の太さが違うことに。左の膝をかばう右足は見て分かるぐらいに筋肉がついてしまった。 30を過ぎてのめり込んだ「ある事」はその内容が日に日にハードになっている。理由は簡単、やった分だけ上達できるから、そしてほかの事を考えなくてもよいからだ。本当は布団を被って部屋から一歩も出たくないし消えてしまいたい。しかしたまたま、人と殆ど口を利かなくてもよい暇な仕事にありつくことが出来、まるで生殺しのまま余生を生かされる日々が訪れたので、じゃあ死ぬ代わりに何か本気でやってみようと思った。 一見充実した日々を送り、あんたは悩みが無くて毎日楽しそうだねと再び他人に言われるようになったが、結局心の中の砂漠化に歯止めがつくことは無く。 「ある事」のために痛めた膝はもう元には戻らないと医者にも言われたけれど、「ある事」を止めなければならないというほどでもない。
欲しいものもやりたいことも次々砂漠に飲まれていく。頑張って走って逃げているけれど膝が持ってくれるかなぁ。
辛いとかもういいやとか思ったときに、何故だかふと手を差し伸べてくれる人がいるようだ。
この頃の私は努力を怠るいじけ虫モードでもう駄目駄目で。 何もかも捨ててしまいたいと泣き言を漏らそうとしたら、なんかね、感謝の言葉を貰ってしまって。結局ちょっと泣いちゃったんだけど。
何で生きてるのかな、何で頑張れないのかな、何で素直になれないのかな。
もう4回目の命日なのです。
何度も未遂を繰り返し、最期には自らの両手を縛り見事首を括り果てた人の事を、毎日毎日まぁ飽きもせずに思い返して暮らしてきました。 まぁそうなる前は、アダルトチルドレンとしての自分を持て余しつつフラッシュバックと感情の暴走に振り回されながら、どろどろとした生活を続けてきていたのですけどね。
今、私には好きな人たちがいます、その人たちが私のことを好きでいてくれるのかはちょっと分からないんですが、私はその人たちのことが好きで信じています。そういえば初めてなのかもしれません、こうやって誰かのことを信じてみるのなんて。
正直なところ、相変わらず消え去りたいという気持ちを持ち続けています。 何かをこつこつと積み重ねて努力する裏で、何もかも棄ててぶち壊して死んでやりたいという衝動がいつでも暴れだしそうになります。 それでもやっぱり生きてかなきゃならないのだということを確認したくなると、私はここに戻ってきてこうやって日記を書いてしまうのです。 そしてまた、マイエンピツさんの日記を読んで、会ったことないのにあんまり長いお付き合いなものでつい他人とは思えなくて、古い友人に触れたような懐かしく暖かい気持ちに浸ることもあるのです。 この空の先にいるあなたの無事を思い出したときに祈り、暖かく優しい風がふわりと吹くことを祈ります。
淋しさを埋める術がない、これは永遠に、だ。 その隙間に入れられるのは後悔と罪悪感と猜疑心だけで、無限に湧き出るそれらはしかしすぐに、水みたいに流れていったり乾いたりする。
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