The color of empty sky
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何故その人に惹かれていたかというと姉に似ていたからだ、というのを脳味噌の片隅では認識している。胸苦しい罪悪感に苛まれつつも酔っ払ったふりをして抱きしめて頭を撫でてみた。エマールの匂いがするシャツと柔らかい髪の毛、ひんやりとして乾いた肌の感触。賢く弱くずるく優しくうそつき。
それにしても・それにしても。 ここで日記を書くようになってから8年弱になろうとしている。 その間に何が変わっただろう。
例えば姉が死んだことによって、もともと壊れかけていた私の魂は真っ二つに裂かれてその片方が死んで、でも残りの片方はしぶとく生き延びた結果、今まで知らなかった喜びを知るに至った、とそんなところか。 こんなことを言っても、多分姉は怒らないだろうから書いておこう。
お姉ちゃんが死んでくれて良かったよ。 お姉ちゃんが死んで、世の中に誰も私のことを分かってくれる人がいなくなったと絶望したけれど、人に分かって貰おうと自分から働きかけることが上手く出来るようになった。 自分のことで必死で身動き取れ得なくて、お姉ちゃんに手を差し伸べることが出来なかった自分を変えたいと思って、強くなろうと今どうにか頑張ってるよ。 お姉ちゃんが今生きてたら、私はこうやって変わっていなかったかも知れないし、人に優しくも出来ず人に感謝することも知らない甘ったれた三十路になってたかもしれない。 年をとるたびに人生が面白くなる、って、先日お誕生日だった人が書いてたけどさ、私もそう思うよ。 今までだっていいことはあったし楽しかったのかもしれないけれど、年をとるたびに、色々物事を知って何かを深く理解したり心から感謝したり、そういうことが出来るようになっていけるみたい。 だから私はまだお姉ちゃんとこには行かないで、もうちょっと年をとってみようかな。
生きること、生きていくことを考えるのはとてもしんどいんだけど、考えなくても私は生きていくんだよなぁ。意識しなくても呼吸できるというのと同じで。 でもたまに混乱したり疲れたりして、呼吸すらも上手く出来なくなるときもある。 そんなときは、立ち止まったり声上げて泣いてみたり大酒飲んでみたり、生きるための精一杯の悪あがきでもしてみるか。
・・・8年たっても何も変わってないよなぁ、私。
Shinichi Osawaの「The One」があまりにも良くてヘビーローテーション。 Our Songがすごく好き、グラデーションの夜明けの空に光る明けの明星みたい。
どうでもいい、とはある意味魔法の言葉だ、自分らしく生きていく力を奪ってゆくが死なないために効く言葉。 自分にそうやって魔法をかけながら、2年半、どうにか息を接いで生きるだけ生きてきた。 どうだっていいんだ何もかも、でも私は生き続けなければと。 私は、2年半経ったのに結局何も癒えていないし成長もしていない、多分。
自分が幸せになり楽しい思いをすることに否定的になって、わざと顔を背けて物陰に潜んで生きるうちに、心の砂漠は広がって私を飲み込もうとしている。 それを打開したくて高価な「欲しいもの」を買うことにした。 生きるには困らないし死ぬわけじゃない、それが今までそれを買わなかった理由。 ここしばらく何事においても判断基準はそれだった、「生きるのに必要か否か」。
よく逆だといわれる、何のために生きるかではなく、いくつかの行動がありその収束された結果が生きるということなんじゃないの、と。 でも私はやっぱり何かのために生きることしか考えられなくて、何かを探して歩き回らなきゃならないんだ。
なにげなくも突然に、「あ」って声が出ることがある。 本当は叫びだしたいんだけどそれを飲み込んたとき、漏れ出てしまった音だ。
毎日充実していてそれなりに楽しいふりをするのに、また疲れてきた。 私だってたまには弱音はいたり愚痴ることもある、でもほっといて欲しいんだよなぁ、我侭だけど。
いつの間にか夏は終わっていました。
メールでエベレストの話をしながら、携帯電話を握ったまま眠ってしまった。 10年後ぐらいにエベレストに登れるくらいになってたらいいな、と、戯れに話したところ、その人は何かにつけてエベレストを登頂した人の本を貸してくれたり、今日のエベレストの気温は何度だよなんてメールをくれたりする。 エベレストだなんて。 今までは、まるで宝くじが当たった時のことのようにその名を口にしていたけれど、誰かと分かち合うことの出来る夢というのはパステルの粉を指で擦り付けたように、淡い色がついている。 朝、窓を開けていたせいで寒くて目が覚めたのだけど、夢の中で耳と鼻が千切れそうなぐらいに尖がった寒さを味わった。
うちの果実酒は美味しく飲めている、多分暑いころに冷蔵庫にしまっておいたのが良かったと思う。 色と香りはうっとりするくらいに綺麗にアルコールに移っている。 ただ酒としては、この先時間を重ねてゆくことに耐えられるのかと不安で、多分年を越さずに飲み干してしまうのだろう。
煙草を止めてから3ヶ月が過ぎた。 吸いたいと思うことはなく、たまに風に乗ってその煙が流れてきたりするのを嗅ぐと、死んだ祖父の煙草の吸う様子を思い出して、懐かしいなと思う。 今年になってから筋トレとジョギングを始め、残念ながら体重は減らないが、体脂肪率は6%くらい減り、めきめき体力がついてきて、30にもなってまだまだ人間って進化していけるんだ、と、素直に驚き、感動。 毎週日帰りで登山をしているが、すれ違う人や追い越す人に歩くの速いねと毎回声を掛けられる健脚振りで、冬の間首と腰がヘルニアになりかけて軽いうつ状態だったのが嘘のよう。
今日は芦別岳に登った後、富良野にある演劇工場へ行った、2日連続で観る事となるZABADAKのライブのため。 あまりの音響のよさに驚愕、さすがお芝居の舞台なんだな・・・
通り雨がアスファルトを湿らせてゆきました。 イライラとするような気持ちは雨粒と一緒に流されたようで、窓ガラスにその水滴の走った跡が残っていて、ひんやりとした肌触りの夜風にニセアカシアの花の香りが混ざっています。
果実酒を漬けました、枇杷と苺。 色鮮やかで香りの豊かなその結晶を瓶に閉じ込めてみたくなったのです。 美味しくなるかはちょっと自信がありません、でもくたびれて夜中に家に帰って戸棚を開けて、その瓶を眺めるのが密やかな楽しみであります。
ここしばらく、仕事と山歩き以外のことをした記憶がありません。 何かしているのかもしれないけれど、気に留めることが出来ないのです。 生きるということはもっと沢山のことで構成されているはずなのに、駄目ですね、これでは。
そちらは暑いですか? あなたの住むところでは、夜に窓を開けたらどんな匂いがしますか?
春は出会いと別れの季節。 はっきりと目に見えるのは別れのほうが数多いかな。 私たちはそれぞれ、自分にとって良いほうへと向かうように歩いているはず、意識しているにせよ、していないにせよ。 だから私たちのこの先行く道が別れていようとも、私はそれを止めることはしない。 ただその道がよく晴れていることを祈り、いつかまた再開して笑い合えることを祈るのみ。
それにしても寂しいんだよなぁ、本当は。
なんとなく思い立って、エヴァンゲリオンの映画を見た(youtubeで)。 映画館で見たときに比べたら、言わんとする意味がよく分かるようになっている、吐き気がするくらいに。
先日も誰かとこんなような話をしたなぁ。 抽象的で自己中心的な、リアルではなくあくまでもバーチャルでしかない世界観や生き方の話。 打ち切りたい話に限って、相手がむきになってくるものだ。 あんたの信じるものなんてつまらないし私は興味がないと、相手を傷つけないように伝えることは難しく、言葉の足りない私は酒を勧めて相手を酔い潰して逃げるしか出来なかった。 しかし、人を無理やり受け止めて負う怪我よりも、目をそむけ逃げた時の悔いのほうが長く引きずってしまうようだ。
とても疲れている気分。 不幸に浸って甘える日々と、いつになったら別れる事が出来ようか。 別れたら寂しくなるかな、楽になるかな。
楽しく生きるためには、忘れるべきことは忘れ去らねばならない。 そう言い聞かせてだらだらとやってきたので、たまにふと思い返してみると、私の記憶にはどうも欠落した箇所がいくつかあるらしい。 多分これは忘れてはいないけど封印してある、とか、そういうことなんだろうな。 今日なんとなくエンヤのCDを引っ張り出して聞いてみたら、奇妙な悲しみに捕らわれて動けなくなってしまった。 その理由を思い出すことはこの先もないかもしれないけれど、この胸の焼けるような痛みの感覚は、この先もまたいつか蘇ることだろう。
それにしても、音楽という形のないものを保存しようと考えた人はすごいなぁ。 そういえば先日小樽に行ってオルゴール堂を見学したのだが、同行者がパソコンで打ち込み系の音楽(?よく分かっていない)をやる人だった。 昔の大きなオルゴールを眺めながら、ああ、これを作った人は今でいう打ち込み系の人なんだな、と、ぼんやりと考えた。
どこまでも広がる青い空、何度も何度も繰り返し奏でられる楽曲、足元は緑の草に覆われた地雷原。
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